めまいと嘔吐がひどく、急患センターから山王に送られ、入院となりました。コーディネーターの気転が利いた行 動で、ずいぶん助けられました。こんな苦しい思いは初めてです。嘔吐が止まらず検査ができない状態で、心配でしたが耳石でした。嘔吐はなくなり少しずつめまいも改善しています。嘔吐したまま注射で眠り、朝起きると臭い自分に驚きました。娘も駆けつけてくれて、手続きや色々やってくれたようです。みんなに助けられ退院しました。事務所はいい。仕事はいい。息子から連絡があり「ぎっくり腰で痛くて動けん。」親子で大変な目にあってたことがわかり、今では大笑いされてます。悪友は「めまい」とかいうと格好良すぎ、頭がぐらぐらする。といえ」と言われました。ご入居者からもお見舞いの電話をいただき感謝してます。
ここ1,2年で影響を受けた大好きな人がなくなりました。長嶋茂雄、伊集院静、石原慎太郎、久米宏 みんな共通してることは、世の中がどう変わろうと、自分の考えをしっかり持っていて発言するところです。協調性とか、調和とか、平等とか、遠慮とかに縁遠い人たちでした。華があり、人を引き付ける雰囲気や言葉を持ってました。彼らの前ではみんな小さく見えます。やってた実績というのは何より輝くものです。栗山英樹が野球殿堂入りし、よくテレビに出演します。頭のよさや、人柄の良さなど、私も大好きですが、華と輝きがありません。それは現役時代のスター性だと思います。大谷を育て、wbcで優勝しましたが、彼らの域ではありません。ましてや政治家など悪いことをして大物になった人が目立ってます。 安倍晋三は私と同じ年でしたが何の魅力も感じることはできませんでした。テクニックの中で政治をやってた印象です。今後彼らのような人は出てくるのでしょうか。 今日は福津のご入居者のエコキュート取り換えの調査を行いました。コーディネーターは戸畑のリニューアルの打ち合わせです。
当然老眼です。左目はモグ抗体とかいう厄介な病気で、眼球注射をします。この病気は自己免疫の異常で手足のしびれなども引き起こすようです。注射が高額なことを除くと幸い今のところ大きな支障はありません。左指は震えますが、右は大丈夫です。鉛筆は持てます。何よりいろんなことがすぐ口から出てこないことがつらいんです。1,2秒前に言おうとしていたことが飛んだり、名前がでなかったりです。やるべきことや、スケジュールは昔からメモしなかったからか、おぼえるすべをわかってて意外とスムーズです。こういう老化と闘いながら、日々楽しくやってます。最近、コーディネーターが照明付きの老眼鏡を買ってくれました。快適に本が読めますし、図面が書けます。近々白内障の手術をしようと思います。夜の車の運転が怖くなりました。手術しても怖ければ返納します。年とともにどんどんいろんな弊害が出てきますが、笑いながら老化と戦います。コーディネーターも「物忘れが激しいから認知症かも。でもできるだけ都合がわるいことだけわすれるようにして楽しくいきていきます。」と前向きです。でも仕事の顔を見てると若返っているのかと思うくらい机の上をぶっ散らかしながら黙々をやってます。頼もしい限りです。
オーナーとの打ち合わせ、輸入部材メーカー、工務店など打ち合わせを東京で行いました。いつものようにレンタカーをコーディネーターが運転して、あちこち走ります。初日、連休中ということもあり車は空いてて、天気も3日、晴天でした。幸い久しぶりに銀座で宿が取れ、夜は少し歩きました。2日目、午前の仕事が終わり、昼は渋谷で息子と会いランチをおごってもらいました。新年の顔合わせです。わたしの年になると、渋谷や新宿はつらいものがあります。最終日は横浜に行く機会があり、小田原まで車を走らせ、魚を食べて、小田原城を見て空港に向かいました。仕事と遊びを精一杯こなす出張ばかりで疲れますが、刺激を受けて、感性を上げることは大事なことです。 それにしても今回の出張もすべてにおいてコーディネーターにおんぶにだっこでした。悲しいかな介護状態です。
毎年、夜訪れる十日恵比寿ですが今年は天気も良く昼に行きました。毎月1日詣りはそんなに人出は多くないのに、1月の4日間は凄い人出です。商売繁盛のくじは「大当たり‐」でした。出店も多く、にぎやかな風物詩です。十日恵比寿に来ると親父を思い出します。博多と対馬を船で行き来してた親父は毎年十日恵比寿に参り、熊手と日めくりを持って帰ってました。小学生の私が朝起きて日めくりの係でした。出店で買ったであろう珍しいものをお土産でくれるのが楽しみで、港で船の帰りを待ってたものです。時代がどんどん変わります。両親はもちろん祖父母、叔父叔母従弟など皆が顔をそろえた正月は亡くなり、多くの人が故郷に帰ることもありません。いいものがどんどんなくなります。ただ、私は家づくりを通して多くのご入居者とお会いして話をするという新しい機会が生まれました。今年も一日詣 りを欠かさず、仕事を楽しみます。
息子家族が台湾からメールをくれました。仕事で世界中飛び回ってるのに、毎年正月旅行に行くのは若さのせいでしょう。わたしは鹿児島のシェラトンホテルを見たくて、行きました。小ぶりながらおしゃれでよくできてます。ただ鹿児島でこの手のホテルが認知されるかは疑問です。しかし鹿児島は暖かくいい天気で櫻島も雄大でした。人吉では阿蘇神社に行きました。やはりいい神社です。阿蘇市ほどの規模ではありませんが同じ作りです。町は水害から徐々に復興してますが、まだまだという感じです。そばとウナギの有名店で昼食をと思ってましたが、ウナギは休業でした。残念。
ここ3日ほど、今年仕事をさせていただいたり、お世話になった方の所に暮れのごあいさつに伺いました。顔を見てごあいさつさせていただくとなんだかあったかい気持ちになります。笑顔と会話でより近いお付き合いができます。電話やメールの時代ですが、足を運んでのご挨拶が我々流です。今年も人から無駄な動きと言われるくらい良く動きました。特にコーディネーターは必要な仕事のすべてをやってくれました。感謝しかありません。彼女も「暮れのご挨拶に行くとなぜか気持ちよくなりますね。」といいます。どんどん昔の人がやっていた風習が平気で捨てられていくことがさみしく感じます。我々はできればご入居者様全員にお会いしたいのですがそれはかないません。でもこれからもお客様と会って仕事をしていこうと思います。よろしくお願いいたします。よいお年をお迎えくださいませ。
病院通いが多くなり、体にガタが来てるのを実感します。でも、年寄りになるのも初めての経験と思い、楽しみながら生きています。仕事においては、それほど衰えは感じませんが、人も、場所も名前がなかなか出てこないことや、目や足の衰えと戦っています。最近怖いものがなくなってきました。いいたいことはしっかり言わしてもらってます。今までわからなかったことが自然と「そういうことだったのか。」と納得したり、だいたいの人間は正しいことより、自分の得することや生活を第一に考えてることを改めて実感しています。陽水の歌ではありませんが「自殺する が若者が増えている。けれども問題は今日のあめ、傘がない。』また、経済が幅を利かせ、文化や教育、しいては 一生懸命働いてる人が世の片隅で小さくなって生きているように見えます。日本の一流大企業、官僚、政治家たちが肩を寄せて、自分たちに都合がいい世の中を創っています。しかし残念ながら 彼らは多くの人を金以外で動かせる力はありません。わたしはコーディネーターとともに、年を重ねると、どんな考え方になり、どんな作品を作り、ご入居者とどんなお付き合いができるのかを楽しみます。会社の言いなりではなく、ポリシーをもって生きてきたご入居者と話すと、近い年齢の人は、すべての問題に対して同じような考え方です。ほっとします。巨大な組織に身を置かず自分の身の丈に合った世界で自己表現します。
息子は逗子に家を建てて5年になります。いまだきれいに住み続けています。我々のご入居者の多くは日頃の手入れを欠かさず、場合によっては専門業者に美装など依頼して美しさを保ち、快適に生活されています。配管や目地、コーキングなどの点検依頼もまめに行われています。わたしは医者の不養生と同じで自宅は一切ほったらかしです。各所に痛みがあり息子から改装を盛んに進められます。息子からの提言です。「美しい家を創りましょう。はよくわかる。でも美しい家に住み続けましょう。が大事やと思う。少しお金がかかっても美しい家を保つために俺は専門業者といろいろ話して監理してるよ。美しくきれいだと気持ちいいし快適よ。仕事が忙しいは理由にならん。」グーの根もありません。おっしゃる通り。アメリカのように家を安く清掃、管理してくれる仕組みがありませんが、やる気があればできるはずだと思います。反省です。先日も浴室のタイルを補修し、目地を打ち換え、シロアリの5年点検も行ってました。庭のシンボルツリーが大きくなりすぎるようで植え替えていました。よくやります。教えられます。わたしの知らないところで、コーディネーターと相談して、カーテンやクロスも考えているようです。
大阪のエクステリアの社長が、軽トラックでやってきて数件の庭の植栽の管理を行っています。きちんとしたプロの仕事です。うだうだできない理由ばかり言う連中が多い中、こんな人はほとんどいなくなりました。オーナーからも喜んでいただいています。19日まで滞在予定です。夜は大好きなビールで楽しんでいるようです。また多くのご入居者から手紙やメールとともに結構なものをいただいています。昨日はわざわざ事務所に足を運んで、ご挨拶いただいたご入居者の奥様がいらして恐縮しています。昭和は人に会うこと、お礼をすること、されること、節目のあいさつをすることで情報をいただいたり、紹介し合ったりすることが大事な仕事でした。人とのつながりが財産でした。今、なるべく働かないこと、補助金をもらうこと、お歳暮お中元など無駄な常識は捨てること、礼状や電話ではなく一斉メールで効率よく処理すること、正月に実家に戻り親にあいさつすることなどすべて急速になくなりました。我々の常識が壊れていきます。夜汽車で博多駅に降り、大博 通りを45分寒い早朝歩き、満員のフェリーで玄界灘の大しけを5時間かけて対馬についてそれから1時間かけて実家です。両親、祖父母、叔父叔母に正月のあいさつをするため毎年続いた修行のような里帰りでしたが、なぜか好きでした。飛行機が飛び始め楽になりましたが、叔父が「やはり荒波をフェリーで揺られてこそ対馬に帰ってきたという気持ちになるやろう。」と言ってたことを思い出します。今は皆いなくなりましたが、墓の前であいさつはしないといけません。年明け同級生と対馬の墓参りに行こうと約束しています。