私が学生のころは壱岐、対馬の人間にとって故郷の入り口は築港でした。汽船で玄界灘をわたるためです。フェリーになった時は船も大きくなり時化での欠航も少なくなりました。人は多いのですがお盆の帰省は天気も良く、暑いので、デッキで海を見ながら弁当でも食べて、5時間です。冬はそうはいきません。寒いターミナルに早くから並び、2等船室の一角を確保しないと、通路や、下手したら極寒のデッキで大きな波に揺られながらの5時間になります。なぜこれほどまでしてみんなたった2,3日故郷に帰るのだろうと思っていましたが、昔は祖父母両親、親せきのコミュニティーが強く、本来は故郷で暮らすべきだが、学校、仕事など訳合って、外で暮らさせてもらっているという感覚でした。船から降りと迎えの人が来てくれており、自然と笑顔になり、待ち構えてくれる家族のもとに急ぎます。苦労しての里帰りは大変でしたがいいものでした。仏壇に手を合わせ、ごちそうを食べる団らんが何より大事な時代だったんだと思います。気が付けば祖父母はもちろん、両親や親戚もほとんどいなくなり、、墓参りも、飛行機やジェットホイルです。いまだに築港に行ったり、壱岐対馬を結ぶフェリーを見たりすると、ノスタルジックな気分になります。東北の人が上野駅を思うように、私は築港が故郷を感じさせてくれる場所なんです。