ご入居者案内

宗像のお客様を目の前が海の家と高床テラスの家をご案内しました。ご入居者は気さくに説明したり、住み心地を楽しく話していただけます。すぐに打ち解けてお友達になられます。宗像のお客様も大変満足頂いたようです。 たった二人でやってる会社で、手の届かないことも多いはずですが、微力ながら精いっぱい働いていることを認めていただいてるようです。普通の住宅会社と違いすべてをご提案します。家具、照明、カーテン、絵画、エクステリア、リネン・・・・ お付き合いはずっと続きます。15年、20年たって全リニューアルを依頼受けることが最近多いのです。素晴らしいご入居者です。今日も、庭にプールを創ろうかという話があり、うれしい限りです。「どこ行っても家がいちばんです。」というお言葉をいただけるのが最高にうれしく思います。

戦争?

トランプを筆頭にどうも最近の指導者と呼ばれる連中は、面構え通り、悪人が多いようです。我々が教えられた「自分のことばかり考えるわがままはダメ。みんなのことを考えて行動しなさい。」小学校のころ教わりました。」戦争というきな臭い言葉も真実味を帯びそうな昨今です。今ニューヨークにいる息子は「アメリカ国民は冷静で、特に教養ある人たちは反トランプ。いい加減にしろと思ってる人はおおいみたいよ。」と言ってます。先日、ラジオを聴いていると「万博に行きました。多くの国の人がいらっしゃって、トイレに行って感じたことがあります。風貌も、服装も、まして、文化や宗教の違いがある人たちが、小便器の前での立ち姿は万国共通、皆同じであると気が付き、感動した。戦争なんかしたらいかん。」なるほどと思わされました。毎日流れる戦争の映像は悲惨です。トランプのような自分本位で頭が悪いやつは、国際会議など話し合いの場では存在を示せません。いつかこのままでは、他国ではなく自国民が暗殺を企てそうな気がします。人間、顔や態度に人としてのレベルが見えます。大谷が人としてこうあるべきだとアメリカまで行って教えてやってるのに、わからんか。よほどの馬鹿です。

ご入居者訪問

 ここ数日はご入居者を訪問しました。目の前が海の家はアメリカからのエクステリアチェアーが届き、さっそくテラスにおいて座っていただき、ご満足いただきました。「ぜんぜんちがう。」と言われる笑顔がうれしかったとコーディネーターも喜んでました。その後シロアリ被害のうちにいきました。だいぶ、おちついてました。おしゃれなランチをつくっていただき、つい、ながいしてしまいました。ベイトを仕掛けていますが、時間がかかるやり方で構造の被害が見えないのが気がかりです。宗像のN 邸はエクステリアやり替えの契約をいただきました。水巻のクリニックは自動水栓取り付けと湯ポット取り付け工事です。明日はセカンドハウスの打ち合わせに行きます。鳥栖の家はメンテと清掃でコーディネーターが職人と立ち会いました。今日は久留米の子供クリニックのメンテ終了の報告です。今では効率ということでメールのやり取りが主流のビジネスですが我々はお会いすることが大事ですし、大好きです。楽しい話が勉強になり、別の依頼がいただけます。反省があります。毎日風呂屋に行きます。帰りにみすぼらしい姿でコンビニにより支払いをしてる隣がご入居者の歯科医の先生でした。「こんなところでこんな時間に会うとは驚きですね。」私はうろたえて「風呂の帰りです。」よく見ると奥様もお子さんも一緒でした。わたしははげるすんぜんのあたまはぼさぼさ、あついので服もきちんと着らずシャツだけです。下手すりゃ浮浪者です。いつもきちんとしなくてはと猛省です。娘やコーディネーターが「ほーらいつも注意してるでしょ。」という が顔がうかびました。 ふるさと納税でおいしいサクランボが事務所に届きました。娘にもタッパに入れて 持って帰ってやりました。『おいしかった。クレームじゃないけどもしかしてこのタッパ前はらっきょ入れてなかった。」図星です。洗っても多少においが残っていたのでしょう。なんか悔しい。

 

記帳

長嶋の記帳に行きました。初日です。暑い暑い昼からの開始でした。東京ドームの広場は多くの名場面が大型ビジョンに映し出され、同年代の人が数多く訪れてありました。やはり目には涙がたまります。大谷が投げる日と重なるとは・・・・・。昼は長嶋が好きだった後楽園飯店に行きました。「長嶋さんの記帳があってるからでしょう。平日の昼ですが、多くて45分以上はお待ちいただくとおもいます。」全然腹も立たずじっと待って、食べました。「どうやった?」という娘のメールに足が痛くて、暑くてと返すと「長嶋さんは弱音は吐かないし、リハビリも必死でやってたでしょ。」と厳しい指摘。「でもよかったね。なんか安心したでしょ。」と言ってくれました。たくさん元気をもらい続けた人です。東京ドームホテルにとても目を引く絵が飾ってあり、長嶋らしい躍動感にあふれてて、心奪われました。そのまま飛行機に乗らず、東京駅のステーションホテルの喫茶によりました。モールをふんだんに使っているインテリアは輸入住宅屋として、こんな日こそ寄りたくて、高いお茶を飲んで帰りました。

 

 

ごまかしまやかし

 相変わらずどんどん、「お客様」の気持を逆なでするような対応をする会社が増えています。電話対応を機械に任せ、飲食店は注文も支払いも機械によるものです。自分のするべき仕事を自分たち都合で決めて、それ以外は しないとなにもしないといういいかげんで冷たい対応です。長嶋がなくなり、ずっとお客様に喜んでいただくためのプロ野球、長嶋茂雄を連呼する映像を見て少しは日本が変わるかと思いましたが、残念です。日本人の根気強い頑張り、人に恥ずかしくない生き方、自己犠牲の精神など平気で捨てるのですから、困ったものです。松井がニューヨークでその人柄が評価され、大谷の姿勢は皆から認められているというのに、日本の企業は責任を負わなくていいように、コンプライアンスを連呼し、国民は政治に頼り、金を欲しがる。政治家は当選のため金をばらまくという。昭和の良さが再評価され、そろそろアナログに戻る時期かもしれません。転職や,金くれ、休みくれは最も恥ずかしいことだということを教えなければ。わたしのご入居者は皆さん同じ思いで、日本を心配されてます。コーディネーターは「数十年前失敗したアメリカの政策の真似をいま日本がやってる。」といいます。地に足をつけしっかりした教育の元、じっくり進むべきです。 転職を希望することを進めてますが、転職しようとするやつは仕事ができなくて、金が欲しい、卑しい奴が多いのです。ビズリーチで叫ぶなさけないことはやめなさい。日本は今、文化国家でもなければ、世界に誇れる国ではありません。残念です。

 

かけがえのない人たち

長嶋、伊集院静、この二人は私にとってかけ替えのない人でした。 二人は立教野球部の先輩後輩でもあり、松井を育てたのも二人です。二人の存在は私にとって人生の指針でした。おふくろや、おやじ、祖父母・・・毎朝仏壇に手を合わせたとき、無償に親父、おふくろ、祖父母、叔父叔母に会いたくなる時があります。娘は皆の命日には必ず花を買い、好きだったものを買って仏壇に置きます。自分を愛してくれた人は忘れません。松井の弔辞のようになくなっても、ともに生きていってます。自分にかけがえのない人は,生きてようと亡くなろうとあまり関係ありません。さみしさだけは募ります。テレビでは盛んに長嶋の野球人生を報じます。私は伊集院静の本を再度読み返します。やはり魅力的です。わたしの大事な野球部仲間のポン友が闘病生活を送ってます。高校時代馬鹿ばかりやってましたがお互い爺さんになってもいなければいけないやつです。「死ぬなよ。」というと「あいよ。」といつもの口調です。」狭い無菌室にいることがつらいと言ってました。

休み

最近、休みが多い会社が好まれ、休みが少ないと敬遠されるようです。この休みとは何でしょう。会社に来なくていい時間ということでしょうか。そう考えると我々昭和世代は数合わせだけで、いてもいなくてもいい人たちとしか思いません。休みが多い会社はいい会社という考え方はどうも納得できず、仕事の内容、やりがいより、休みの多さと、入社時の給料の多さが魅力というのですから何を考えているのやら。休みというものは、一生懸命働き、体を休めてまた次の仕事を頑張るためのものです。できれば成果を上げてから充実感をもって休んでほしいものです。規則でもらう休みなど、大きなお世話と思ってました。働き方改革など、何のことやら。大の大人が人に指図されて休むなど怒りなさいと思いますが。一人前になるため、いい仕事ができるようになるため、休んでなんかいられるかと思える人であってほしいものです。家族サービス?なんじゃそれは。長期休暇?そんなもん何の充実感もなく、休みで疲れて、だらだら仕事をする人をたくさん見ました。悲しく残念な人たちです。子供のころ私の周りにいる大人は生活の中に仕事がありました。爺さんが生活には休みはない。と言ってました。

 

騒ぎすぎ、甘やかせすぎ

なぜこんなにコメで騒ぐのでしょう。コメ以上に物の値段が上がっても自分で対処しながら生きている人はたくさんいます。我々でいうと建築資材や、工賃はとんでもない値上がりです。コメ買うのに並んでいる人はイベントくらいに思ってる人も少なくないと思います。流通の仕組みや、補助金や、政治が絡み甘やかすことが多いと、悪さする人が現れ、政治が何とかしろと自分で努力しなくなります。選挙が近いと特に政治家はばらまきますから。マスコミも政治家も多少のコメの値段によってたかっている暇があったら、世界の紛争や、拉致や、核廃絶や大事なことに動いほしいものです。国民も政治に甘えてばかりで、辛抱や工夫や自己責任の意識がないようです。恥ずかしいという概念が欠落してしまった日本人は何の魅力もありません。 

6月

 もう6月です。今年は特別月日が早く過ぎます。明日から筑紫野の解体が始まります。百道浜は美装が終わり、完了です。多くの人と出会い、仕事ができてることがうれしい昨今です。コーディネーターが現場を仕切り、よく動いてます。もし私がいなくなっても十分一人でやっていけます。 今、水巻のクリニックの電気工事完了を確認に行ってます。いまから梅雨の大雨、夏の台風が心配な季節がやってくることがやや憂鬱です。ここの所二人ともよく動いて仕事ができてます。オーナーが喜んでいただくことが何よりうれしい時です。もうお客様と業者を超えてお互い大事な人になると人生を話す間柄になります。もちろん手作りの家ですから完璧はなく手直しもありますが、それがまた一つ上のデザインに代わることを目指します。どんどんずっと考えてた住宅屋に進んでいる実感があります。金儲けは相変わらず下手ですが、あまりあるすごいご入居者という財産があります。仲間がいます。

 

面白いこと

いつまでたっても男はがきです「なにかおもしろいことない?。」とか「面白い仕事やりたいなあ。」とか「面白い話聞かせろよ。」とか面白いことが大好きです。幸い、私はオーナーのおかげで面白い仕事をさせていただいているのに、「面白い家を建てたい。」と口にすることがあります。ガキの頃、悪さやいたずらが面白いことでした。服のまま海に入り石垣に竿を入れてウナギを取ったり、蛇を海に投げ入れて泳ぐ姿を見たり、いけすの中でいっぱいの魚と泳いだり、おふくろや大人から怒られることが面白いことでした。イカ釣り船に夜遅く3人で忍び込み、置いてある刺激的な本を見るのが何より面白いというか、ドキドキしてました。面白いことが仕事で実現できれば最高です。面白いことは妄想だけでも楽しめます。みんなで集まっていろんな話をすることがなくなりつつありますが、それをやらないと面白いことからは遠ざかります。最近の世の中の変革についていくことに精いっぱいです。いつまでも面白いことを追いかけたいと思います。今夜は数人の職人と食事です。おごらされます。