楽しむため

 昨日は新築打合せの後、ご入居者案内で またお客様同志の交流ができました。 お客様とともに楽しめてます。わたしたちの家づくりは、とにかくお客様と楽しむことです。デザインがいいのは当たり前でたのしむためには、勉強を続けなければなりません。一言でいうと住み手も作りてもプラス思考が大切です。家が器と考えれば、たかが家ということになりますが、家族と笑いながら、生きていくための住みかと考えれば、大事な空間です。「なぜか落ち着く」「居心地がいい。」「好きなものに囲まれている。」「どこより家が一番。」子供が巣立ち、子供がときどき帰ってくる気持ちのよりどころでもあります。 sどんな家を創りためまだまだ頑張ります。

 

リタイヤしてる連中

 昔の仲間の多くは、リタイアして悠々自適のようです。うらやましいとは全く思いませんが、なぜそれができるのか不思議です。旅行に行ったり、ゴルフに行ったりしながらも、今一つ充実感がないという人もいます。「人間全く働かないようになると、つまらんばい。」といったり、「もう今更働きたくない。」と言ったり様々です。リタイヤしてる人の多くは、健康にきずかい、散歩やプールやジムにきちんと通い、週何回か病院に行ってるようです。ルーティーンがあると安心するといいます。「あんたいつまで働くと。」若いときから人一倍はたらいてきとるのに・・・・。でも人さまからまだ期待されてるということやから幸せたいな。」とにかく動ける限りはこんな楽しいことから離れることはありません。まだまだやりたいことチャレンジしたいことがたくさんあります。オーナーとの作品作りは格別です。

 

結婚の価値観

私と同じくらいのお客様になると、私と同じで今の若い人の考えの違いに違和感を覚えてらっしゃいます。入浴の際奥様がご主人の下着やパジャマを用意してるとなぜそんなことまでするのかというそうです。寝ないで帰りを待つことも不思議に思うらしいのです。最近結婚した若い夫婦には考えられないようです。食事の後かたずけや、洗濯、掃除、育児や平等が当たり前という考えのようです。平等とは同じことをすることではないはずですが。ある奥様は「頑張ってる主人の世話ができることが幸せだと思うんですよ。」とおっしゃいます。家庭を守るという言葉よりいい家庭をお互いを尊重、感謝して作るということにつきます。でも「主人」という言葉も風前の灯火らしいです。もうしばらくすると結婚という制度もなくなり、一人で生きる時代になりそうです。女性の多くは優しさを男性に求め、男性は「ただ優しくなろうと努力する。」気を使いあいながら結婚という形を守っているのでしょう。私には誕生日や記念日の度、毎年何かを送ることなどできるはずもなく、昭和を生きてよかった。

 

入居者打ち合わせ

宗像、 福津、大岳、糸島、有田、筑紫野、鳥栖、黒崎、香椎、・・・・。ご入居者の所で打ち合わせが続きます。人間関係が出来上がり、遠慮なく楽しく打合せができます。 デザインはもちろん、いろんなご相談もお受けするようになりました。話を消化して報告、連絡、相談を繰り返す方はすごく成長されとても魅力的です。70近く一つの仕事で生きていると皆、話も経験も豊富です。苦しい経験、騙された経験は生き残った今、役に立ちます。お客様の魅力に圧倒され続けながら仕事をさせていただいてます。とはいえ、いつ仕事がなくなるか、体を悪くするか、わかりません。だからこそまっすぐにしごとを続けます。作品集を見たとき作るときの多くの物語が浮かんできます。オーナーと笑いながら思い出話ができることが何よりです。コーディネーターと毎日飽きもせず、魅力的な家と、オーナーの話をします。

 

住宅に文化がない

 短期間で住宅の概念が様変わりして、景気によって「大きな生活」とうたったり、「ローコスト住宅と言ったり、リフォームの時代と言ったり、その時その時の金もうけに大変です。プレハブ全盛期から地場企業、そして増改築業者・・・・。行き当たりばったりで仕事をしてると人の成長もなく、敷いては住まいの文化が育ちません。今は黒い箱のような家ばかりです。だんだん悲しくなります。時間をかけて育んだ技術がないので日本の家には文化がありません。戦争から80年いちばん住宅が成長せず、後退さえしています。住宅にデザインなどほとんど必要ない文化です。我々のオーナーが「美しい家を創ろう。」という我々に賛同くださり、家づくりから引き渡し後の生活まで楽しんでいただき長い年月までお付き合いいただいてます。何よりありがたいことです。

引き下がらない

ずっと最近、一部の業者や工務店の体たらくに腹立たしい思いをしています。大手企業の自分たち都合のやり方も、お客さんを置いてけぼりでなんでこんなになってしまったんだろうと思うことばかりです。古いと言われても、自分の正しいと思う考えは曲げません。怒らない、叱らない、休日第一、自分の狭い仕事範囲以外は知らぬ存ぜぬという態度は許せません。そんな世の中だということはわかっていても引き下がりません。困ったときはいつでもすぐ駆けつけることがどの業種においても住宅に携わる人の常識です。レベルの低い連中に合わせることはしません。引き下がらず仕事のやり方は守ってもらいます。いつでも が連絡が取れるように、駆け付けられるように…それが守れないのなら我々の仕事は頼みません。

 

お盆

毎年この時期が来ると日々の仏壇に向かうのと違う気持ちになります。なぜか,じいちゃんばあちゃンがにぎやかな仏壇の前で手を合わせている姿を思い出します。親戚みんなが集まり、和尚さんがお経をあげます。初盆の家にも回ります。子供たちはスイカやブドウをしこたま食べてました。こんな行事を経験して大人になっていきます。今年は仏壇に供える小さな野菜を同級生からもらいました。知らないことがまだまだあります。墓参りに行ってないことが気がかりです。今月日帰りで行きたいものです。この時期みんなに会いたくなります。すごく会いたくなります。恨む人は誰一人いなくて、いい思い出ばかりです。それだけ幸せな人生を歩んできたのでしょう。

 

 大雨の日の打ち合わせ

 水巻、黒崎、宗像とこのすごい大雨の日に打ち合わせでした。大工とコーディネーターと3人で 現地を見た後、オーナーと確認し、契約まで終わりました。いつも我々はいいオーナーに恵まれ楽しく仕事をさせていただいてます。一つ一つの家が作品となり、多くの方から評価いただけるからこそ、仕事が続きます。ただこの天気です。ご入居者の家に何かトラブルが起こってないか心配です。最近の工務店や職人は無責任が多くなり、頼りにもなりません。より厳しく付き合うつもりです。自分の腕のなさやわがままな考え方をさておきオーナーや元請けへの不満だけ話します。感謝が見えません。「雨がひどいですが何かご入居者の家に問題はありませんかと電話をくれたのは1社だけです。昔はみんな自分の仕事に責任を持ってました。そうでなければ首です。甘い時代です。

 

ご無沙汰です。

毎日アポイントに追われ、長く更新できませんでした。今日も今から宗像、北九州に出ます。宗像と、水巻のセカンドハウスの計画や着工に向けての段取りでばたついてました。大手住宅会社と我々の家づくりは大きく違います。会社と契約するか、人と契約するかということです。企業は効率、個人は付き合いです。先日お伺いした有田のお客様も、「会社と言っても多くの担当部署の人が来ますが建て終わると、転勤などで誰もいなくなり、所詮同じ会社といえ、今までの経過も知らないみずしらずの人に気さくにいろんなことを頼めません。」我々は紹介がほとんどで、同じオーナーから複数回依頼を受けます。30年以上のお付き合いも少なくありません。食事や旅行や新しくできた家の見学や家族同士のお付き合いです。昨日もお客様と一緒に予防接種に行きました。セカンドハウスという建物ができたら完成パーティーを焼く計画をオーナーと話してます。楽しみです。 

我々のご入居者と役人の差

 朝から忙しく動きました。宗像の家の役所調査で、県庁、法務局、八幡西土木事務所、宗像市役所、下水道局、いろいろな質問には相変わらず、係が違うので私はわかりませんのオンパレード。田舎の役所は皆暇そうです。一つのことしか答えられない仕事ですから、やることもなく皆寄り合って楽しそうにしゃべってれます。自分が情けないと思わないのでしょうか。関連の質問5つに対し、一つ答えて後はわかりません。どこに行けば残りの質問に答えてくれるのかもわからず、ストレスです。家を建てるには多くの調査が必要です。そんなことお構いなしで、住民の役に立とうなど考えてもいないようです。それに比べ我われのご入居者は暑い中での職人の仕事を気遣い、飲み物、体を冷やすもの、食べ物など用意いただき、一筆感謝の気持ちを添えた手紙もいただいてます。昼休み、エアコンが効いた部屋で休ませていただいたり、水分補強で一日3回冷たいものを持ってきていただいたり、感謝しかありません。役人とは人間の質が違います。裏金が好きな馬鹿な政治家と、遊んで休んで給料と退職金狙いの役人は所詮低俗な連中です。