長嶋、伊集院静、この二人は私にとってかけ替えのない人でした。 二人は立教野球部の先輩後輩でもあり、松井を育てたのも二人です。二人の存在は私にとって人生の指針でした。おふくろや、おやじ、祖父母・・・毎朝仏壇に手を合わせたとき、無償に親父、おふくろ、祖父母、叔父叔母に会いたくなる時があります。娘は皆の命日には必ず花を買い、好きだったものを買って仏壇に置きます。自分を愛してくれた人は忘れません。松井の弔辞のようになくなっても、ともに生きていってます。自分にかけがえのない人は,生きてようと亡くなろうとあまり関係ありません。さみしさだけは募ります。テレビでは盛んに長嶋の野球人生を報じます。私は伊集院静の本を再度読み返します。やはり魅力的です。わたしの大事な野球部仲間のポン友が闘病生活を送ってます。高校時代馬鹿ばかりやってましたがお互い爺さんになってもいなければいけないやつです。「死ぬなよ。」というと「あいよ。」といつもの口調です。」狭い無菌室にいることがつらいと言ってました。
