どっちにしても後悔する

これはドクターの言葉です。わたしも思い当たるところがあります。おふくろを家で介護しましたが痴呆がひどくなり徘徊もひどくなり、もうこれ以上は我われでは無理だと思い施設に入れました。病院と施設を頻繁に行き来して、最後は目も見えず、会話もできず、耳も聞こえず朝施設で静かに息を引き取りました。親父はある程度元気でしたが近くの病院に入院中、突然心臓発作でなくなりました。おふくろもオヤジも私の判断でよかったのか、幸せだったのか‥‥。今でも考えます。親父は元気だったので見舞いもあまり行くこともなく、寂しい思いをさせたに違いありません。当時、嫁の父母も含め4人の施設と病院を回って着替えや、おむつや・・・私は忙しい中でも顔を見せに行ったと思ってましたが、今考えれば後悔ばかりです。一人っ子ですからいきとどくはずもありません。後日、おやじと同室に入院してた人と話す機会があり「おとうさんは、息子や孫に迷惑かけてると言っておられましたが、息子がきたら話しておきたいことがあるんです。そろそろ来てくれるでしょう。といわれてましたよ。」・・・これを聞いた日は仏壇の前に長い時間座りました。人は人生においてどう決断しても、後悔するものだと知りました。 そもそも対馬から福岡に引き取ったことさえ本当に良かったのか。大事なことを一生懸命考えて決断すればするほど後悔するのかもしれません。この言葉を教えていただいてよかった。