今、毎朝仏壇に手を合わせると、やはりお袋のことが一番頭に出てきます。お袋は小澤商店で食料品を扱い、仕出し、弁当もやり、船乗りの親父の乗組員の世話から病気のじいちゃんばあちゃんの介護もしてました。朝5時におき、惣菜作りです。コロッケ、てんぷら、からあげ、・・漁からの朝帰りの人たちから人気でした。家族や船の乗組員の朝飯、店でばたばた働きながら昼めし、晩飯のしたく、祖父母の下の世話から、お粥までまあこんなに毎日動き回れるかというほどの働き者でした。店と家の台所をばたばた動き、店を9時に閉め、風呂に入り床に就くのは12時近くの毎日でした。爺さんがまだ元気で村長、町長のときなどは来客の世話も大変だったと思います。弁当を200などと注文が来ると店を閉めず、回りの仲間を呼んで徹夜です。ほとんど利益もないのですが『文子姉さんの弁当はおいしいねー。』といっていただければ笑顔で満足してました。多くの人から信頼、尊敬されてたのは、いつも明るく愚痴もなく、人を大事にしてました。私の運動会や学校行事は店があるからと来てくれませんでしたが、自慢の母ちゃんでした。一人っ子の私を信頼してくれて、家業も継がず、故郷を捨てましたが笑って見守ってくれました。今考えてもすごい母ちゃんでした。強い母ちゃんでした。小澤家は間違いなく母が支えてました。苦労を感じさせない笑顔はとても素敵で『男はやさしく強く、勝負がかかるときは覚悟を決め全力で戦いなさい。」こんな女性にお目にかかれません。いい母を持ちました。マザコンです。