私は容姿が祖父に似ているようです。 幹文 という名前も、祖父の幹造と母の文子から一字づつとったようです。祖父は村長でした。そして、親戚6家族がすぐ近くに住みみんなで商売をやってました。村、家族すべてにおいて祖父は強いリーダーです。せっかちで、我がままで、よく怒り、よく笑い、少々煙たがられてもいました。しかしいざという時の決断は早く、みんなが頼りにしていることも子供心にわかりました。入学式、卒業式、運動会・・・村の行事では村長である祖父の挨拶が必ずあり、夜は村の人がよくいろんな相談に家に来てました。祖父からよく聞く言葉の中に「保険や保証が入り込む約束事は、偽物じゃ。人と人が信じ合い、信頼し合って自己責任で約束はしなさい。約束を守らなかった時のために・・・・と考え保険を掛ける約束はせんほうがいい。人が軽くなる。ましてや死亡保険なんぞ、もってのほかじゃ。」乱暴な言葉ですが、今の世の中にあって、この年になってこの言葉が私には温かく聞こえます。すべて書類と抵当、保険、保証、所得等でがんじがらめのビジネスには人を成長させる責任感や人の役に立うとする気持ちが育ちません。「わしが死んだけん、葬式やけんぐらいの理由で約束を破って人に迷惑をかけるな。」
そのほか原子力船「むつ」の母港になろうとしたり,不漁で油代がもったいないといって沖に出ない漁師たちに「出なければ0、でれば可能性がある。みんなが話し合って出れば漁場の情報が手に入る。出てみんなで策を練ろ。」乱暴に言い放った後、自腹で港に小屋を作り、大鍋にぜんざいをつくって、漁から帰ってきた漁師に振る舞い続けました。
祖父の葬儀はすごい人で盛大でした。介護で苦労した母をはじめ、親戚の叔父叔母が祖父の蓄えがあると淡い期待を持ってたようですが、結局なにも出てこず、「気持ちよく生きてるうちに全部使い、信念どうりのすごい爺さんやったねー。」と笑いながら話していました。この年で会いたくなりました。