過激な持論

争うことが目的でも、本意でもありませんが、敵を作ることを怖がってはいけないと思います。自分の持論を堂々と語り、相手の意見も聞き、そのうえで争い事や、敵ができても本望です。ただしそのためには常に、勉強し、刺激を受け、向上心がなくてはいけません。自分が不利にならぬよう、いろんなことに口を紡ぐことをよしとする傾向こそ、危うさを感じます。食べていくために、組織や、オーナーに言いたいことも言わず、それを辛抱や我慢という言葉で表現してますが、私に言わせれば、臆病者、ズルい人、と見えます。何も言わず、人に任せ、結果論や、できた後に、批評する人は男らしくありません。だから、評論家や解説者等という職業が嫌いです。住宅メーカーも、オーナーと対等にディスカッションをせず、提案もせず、責任をとらなくていいように、オーナーに全てを決めさせるやりかたが一般的になってますが、それは作品意識がなく、クレームを防ぐための方法でしかありません。われわれにとって住宅作りは暮らしが楽しくなるための仕事です。器の提供ではありません。損や得が表に出ると悲しい作品になります。いいオーナーさんはわれわれや職人含めてこの人に喜んでもらいたいという気持ちにさせる、魅力をお持ちです。