ハウステンボスワッセナーでの多くの仕事はとても光栄であり、何度行ってもついつい、いろんな街の表情に、カメラを向けてしまいます。旅先でも、東京駅や、門司港駅、国会議事堂、富士屋ホテルや奈良ホテル、各地の寺院仏閣・・・・・・カメラを向けたり、画家が絵にしたり、建築は美しいものでした。色やバランスや装飾やルールある芸術でした。今の多くの建物は無機質です。誰も多くの新幹線の駅に美しさも、なにも感じません。写真家や画家が風景に取り入れるどころか、邪魔と思われているものも少なくありません。今では写真家もデジタル、建築家もキャド。ビルものっぺりとしたガラスと、鋼板の巨大プレハブです。住宅もそうです。プラスチックなど石油化学商品に覆われたプレハブ小屋をデザイナーズハウスなどとコマーシャルして安い値段で売ってるからです。何度も言うように家は売り買いするものではなく建てるものです。街並みの美しさに寄与するべきです。残念ながらプレハブの街に、同じ顔のロボットが闊歩する時代も遠くないようです。人力や指先が生み出す芸術は、なくなり、化学と科学で物は供給されそうです。子供のころから美術、図画工作、技術、音楽、体育・・・・・人の感性や能力や感覚の勉強は何となく、理科や数学や英語より、下に見られていたように感じてました。入試科目にもないし。我々は一番いい時代を生きてきたように思います。今からの時代建築家は必要なくなり、設計士がいれば事足りる時代です。さみしい限りです。