20数年前のクリニック

ご入居者の息子さんのクリニックをデザインさせていただくに当たり、今までのクリニックの作品を見直していて、20数年前東京銀座で作ったクリニックの写真を見つけました。我々の作品は流行り廃りのデザインやマテリアルに動かされず、王道のデザインといい素材で作り続けてきたと再認識しました。多くは今、安くて簡単でそこそこかっこよくという風潮の建物があふれ、業界がそちらを向いてます。明らかに10年15年という短い命の建物が氾濫しています。10年、20年たって年月の重みが加わることでよりかっこよくなるものを本物と呼びます。

 

 

 

いつまでもぎらぎらしていたい

どの仕事も私の年齢になると大ベテランといわれ、落ち着きます。きちんとした作品を作ってきた人はその財産を使ってゆっくり仕事をします。しかし、アナログ頑固親父と陰で言われている私は、まあこれでいいかと、人にも作品にもやさしくなれません。お客様でも、工務店でも、理屈に合わない態度は許せず、作るものも自分の意図するデザインを追い求めます。昭和の男の働き方が身にしみてます。最近の人はパソコンを使ったテクニックは長けてます。たとえば安くて見栄えがよく、箱の形をおしゃれに見せるやり方です。でもこんなテクニック住宅は所詮何年かで飽きられ、歴史は刻めません。腰の痛みや足の痛みと戦いながらも、ぎらぎらした昭和男で作品を作り続けたいものです。

 

実は政治家は頭悪い?

印鑑を廃止ずるようです。ケイタイの料金を下げるそうです。デジタル化を推し進めるそうです。縦割り行政を変えるそうです。結構なことですが、ちまちましたことを変えることで改革といわれても・・・。国の仕事ですか?何の目的で国をどうしようとしているのかわかりません。安保は?拉致は?教育は?政治家の数は?領土は?金利は?・・・ひとつ聞きたい。印紙は続けるの?割り印するの?え、紙のみ必要。なんじゃそりゃ。ちっチェーやつらだ。

 

ご入居者からの仕事

小さい依頼から新築までここのところご入居者から仕事をいただいています。自分の理想の形です。ここ一ヶ月で9件ほどの依頼です。われわれの家作りはオーナーに支えられてここまでやってきました。いつまでもかわいがっていただくことに甘えず、仕事で恩返しをしたいと思います。私もこれからはがむしゃらな仕事から質の高い仕事に移るべき年齢です。これからは失敗を薬にする年でもなく、恥ずかしい年齢です。わがままで理不尽な依頼や価値観が違い、報告連絡がない工務店との仕事は無理に受けないことにします。何回も会って現場を見て、工務店と話して、家は作るものです。儲けないやり方ですが、いい作品は完成し、その作品が次の仕事を生んでくれます。

 

違うだろ

甘えた意見が当たり前になり、してもらうことが当たり前になり、無駄とか効率という理由だけでいい文化を捨てる。本当にこの国は築いてきたものを大事にしない国になりつつあります。母になった芸能人が露出の多い服を着ていることで『母親らしい格好をしなさい。」という意見に『母親らしいとはどんなこと。』と反発してました。母親らしいことがどんなことかわからぬ人が母親になったらいかん。恥を知れということです。何でも許されたり、お金をばら撒いたりする政治も悪いし、それを、足りない、まだくれというやつらがいます。低所得で結婚するやつに金をやるとはどんな神経だろうか。結婚は自立できる人が責任を持ってするものです。こんなことに目がくらむ人はいずれ生活保護でまた養うことになります。日本人は修行や忍耐で一人前になってきたわけで、欧米のようにまちがった権利ばかりを主張すると、資源がないこの国は人間力が財産だったのにすべてを失うことになるでしょう。はんこをやめることが大事か、はんこ文化のよさを継承しながら中身の効率化を図るべきと考えます。日本という国はいい国だったんですが・・・・・。

 

「モダン」にだまされるな。

ここ数年、モダンという言葉やシンプルという言葉でチープでひどい建物が増えてます。建て売りだけではなく、クリニックやアパートなども、箱的な無機質で、悲しいものが多いようです。プラモデルのようなマテリアルで、予算が少ないとモダンという言葉で安いものを作り、利益を確保しようとする手法です。作りっぱなし、売りっぱなしの商売はそれでいいのでしょうが、家具、カーテン、照明、小物などすべてを含めてデザインするわれわれは、モダンもトラッドも、エレガントも基本デザインやカラーコーディネート、インテリアコーディネートの基本に忠実に作りこんでいってます。建売業者やマンション屋がイタリアモダンとかデザイナーズ何とか言い始めるものにだまされてはいけません、デザインは奥深いものです。

 

台風被害と墓参り

日帰りで、対馬に行ってきました。先日の二つの台風で空き家である生家と店がかなり傷んでいて、近隣にご迷惑かけそうだというので、対馬の業者さんと待ち合わせ、応急処置の打ち合わせをしました。祖父母、両親、おじおば、いとこたちとにぎやかに暮らしていたところは廃墟です。町全体が、人は見かけず。音もしない状態です。悲しいというより呆然とします。墓によって花を添え、線香をたいて手を合わせました。自分の暮らしはこれでいいのかと考えさせられます。先祖に対し、自分の至らなさだけが頭に浮かびます。心残りが多い人生です。

糸島M邸

7ヶ月かかって完成です。厳密に言うとポンプボックスが連休明けに取り付き、終わりです。毎日のようにオーナーが現場にこられ楽しんで進んだ現場でした。家も大事ですが、オーナーご夫婦との関係をきづけたことが何よりです。多くの職人や、近隣の方からも注目いただきこれから大事に見守りたいと思います。25日プロによる撮影を行う予定です。リゾートハウスとしてテラスの作りこみで新しいデザインだと思います。テラスと庭の関係も、高低差をうまく使い新しい目線です。庭の広さは贅沢ですが決して広すぎず、ただ芝の管理だけが必要となります。

 

コロナ

コロナの取り扱いがゆるくなってきました。自分たちにできる事は、はじめから密を避け、マスクをして、手洗いする事くらいで日常を送る事でした。政治家やコメンテーターや、医者がいくら講釈並べても何の役にも立たず、過激な事をいって視聴率を上げ、金儲けの道具にされたようなものです。われわれが注意して現場にいくと、福岡は感染者が多いのでこっちに来るなという地方の人がいました。自分に必要な人は福岡から呼んだり、自分たちは福岡に着たり、わがままで思考回路が破綻してる、これぞある意味コロナ感染してるといっていい行動です。おかげで、多くの現場に出かけ、多くの現場を見る事ができ、助かりました。必要とされるところでがんばります。