最近テレビでうまい店や料理上手を競わせる番組が多い。「うまい」を連呼する人ばかりです。われわれの世界でも、設計がうまいとか、パースが上手、字が上手とか、楽器がうまいとか、歌がうまい・・・・とにかくうまい、上手という言葉はどうも、上滑りのテクニックで、たいしたことないときに使われているようです。「うまくやったな。」「上手に立ち振る舞った・」とかでも使われるように、悪い意味でも使われます。カラオケの機械が採点する高得点は上手な人ですが人の心に響きません。表面上のことではなく、中身を吟味できなければいけません。。ある人をおもいにぎったおにぎりがその人にとって一番おいしいものです。健康や、体調を考えて作られる家の食事や、下手な字でも一生懸命のラブレター画心に響きます。字が上手なやつの代筆とか興ざめです。そして大食い番組や、食い物を粗末にする映像に腹が立ちます。品のないタレントと、あたまがわるいテレビ局だと軽蔑されてることに気がつかないのでしょうか。
本格的な梅雨に向けて。
おかしな世界。
日本だけではなく、世界もリーダーと呼ばれる人たちの立ち振る舞いに、怒りを覚えます。米朝会談?ふざけるんじゃない。北朝鮮の極悪非道犯罪者と、政治の何たるかも知らない、口先不動産屋の、よからぬ相談に、なぜみんな踊らされるのかわかりません。金正恩などはすぐ刑務所に叩き込み、死刑です。こんなばかげたことが許されるのなら、世界の人たちの秩序は守れなくなります。やくざの非ではありません。人を誘拐し、殺し、自国民を苦しめ飢えさせ、女を手篭めにし、うそとおどしで恐喝し、・・・・・もう生かしておく価値はないでしょうに。みっとも無いのは中国とロシアのリーダーも目くそ鼻くそです。尊敬できるリーダーが見当たりません。私は北朝鮮はもちろん中国もロシアも、いきたいと思ったこともありません。不動産屋が大統領というのはいただけませんが、アメリカにはまだ夢を感じ、行きたと思う人が世界中にたくさんいます。魅力ある国が力ある国のはずです。トランプを大統領にしたことを恥じて、教訓にし、いいアメリカになると期待します。まっすぐなごく当たり前の正義を語れる人がリーダーであるべきです。
古くても、・・・・
文句が多いといわれますが、時代の流れの価値感にどうしても納得できないものが多くなりました。私が若いころ爺さんたち、親父たちもそう思いながらなくなったのかもしれません。修行を積まない若者。身の丈を知らずお金でしか贅沢ができない人たちが多くなりました。男と女の役目も大きく変わりました。古い考えといわれようと、男は女子供を守り、女は主人に尽くすことが人の基本です。まもりたくなる女、尽くしたくなる男にならなくてはならないともいえます。そのためにはしつけと、勉強と、修行です。いろんな価値観の人はいるでしょうし、どうしようもないことだらけの世の中ですが、失敗や、間違いを起こそうが男の役目は女子供を守ることです。方法はどうであれその気持ちが見える人は魅力的です。
国民栄誉賞
羽生選手が国民栄誉賞だそうです。それについて文句もないのですが、もともと国民栄誉賞とはなんぞやと考えるとわかりません。みんなのこころに鮮烈に刻まれる業績や映像や声は時代とともに人々が語り継ぐはずです。今の受賞には業績や成績ではなく、人気があることが重要です。それは政府側の思惑で作られ、受賞させているからです。政治なんてものはそんなもんです。中身がわかって正しい思考で与えるものではないようです。医学、司法、。建築、経済、政治、宇宙・・・・・人気がなくてもいろんな分野でのすばらしい功績を世に知らしめることも大事だと思うのですが、そんなものは政治の支持率二貢献しないからか、置き去りです。そう考えると羽生選手はこれからの生き様も考慮し十分人生を経験して殻でもいいと思いますが、人気がある今じゃないと安部さんは都合が悪いのでしょう。森カケ問題を薄めたいのでしょうし。
調子に乗るな。
建築業界が好景気です。つい4,5年前不況で、会社をたたんだり、仕事を辞めた職人も多くいたのに、災害や、オリンピック、政府のばら撒きもあり調子に乗って高額の見積もりや、なめた口を利く会社が多く見受けられます。ヘタほどそうです。成長したり、努力したりして仕事が増えてるわけではありません。「調子に乗るんじゃない。」と一喝したいところばかりです。腕を磨いてこつこつ適正価格でやり続けている会社や職人かどうかすぐわかります。消費税が上がり、オリンピックが終わると不況の時期がやってきます。そのとき泣きを見るのは今調子に乗ってるやつらです。修行をし、謙虚に仕事に立ち向かうことができてこそ、オーナーの信頼を勝ち得ます。
炭水化物
炭水化物を抜くと本当食べるものがありません。ここ2ヶ月10年分くらいの野菜を食ったような気がします。糖質0麺やこんにゃく、鶏肉ばかりで、白米とはいいません。うどんやそば、パスタ、パン、焼そばなどが恋しくなります。お茶漬けに漬物、を日本人が食わなくていいのだろうかとさえ思います。肉なんてこの年で大量に食いたくもありません。もう少しがんばって続けます。体重はそんなに減るものではありませんが体調はいいのが救いです。
誰のための仕事か?
誰のための仕事かという概念が抜け落ちてることが多くなりました。住宅でいうと、自分たちの都合ややりやすさ、保守的な考えから抜け出せないところも多く、オーナーのほうを向いて前向きにやることが仕事であり、その経験が力をつけるということになります。町の行政も、役人や議員や、学者、地域の大会社の経済人で、物事を決めてます。だから市民がわくわくして待ちわびる仕事が見当たらず、いつの間にかへんてこりんなものができるのです。市民を巻き込んで討論し、アイデアをいただくこと、デザイン屋を使うこと、大きなランドスケープをまず描くこと。考え直してほしいものです。昔、私が離島の小学校、中学校を担当した際、小学生、中学生に意見を聞きました。彼らの建物なんですからどんな学校がいいのかたずねるのは当然です。福岡市の大人のエゴだけで作った学校はみっともなく、どこも一緒で、刑務所よりひどい建物で夢や希望もわきません。デザインが欠乏してる町福岡。
交流
最近住宅建築関係の会社の人が事務所を訪ねてこられる機会が多くあります。私のデザインに興味を示してくださることは光栄なことですが、金儲けの手段として、提携を考えていらっしゃる節があります。デザインと設計の違いもわからず、とりあえずかっこいいから自分の会社の路線のひとつとしてタイアップしませんかというお誘いはお断りさせていただいてます。家作りの目的に大きな違いを感じます。いろんな会社の人とお話して交流を持つことは大事ですが帰り際には業種は一緒でも、やってることは大きな違いがあることにお互い納得します。わたしが家を数売ることで利益を得るという考えを否定している以上、多くの方から、「頑固な変わり者」と思われることは仕方ありません。自分では私が家作りの王道と思っています。利益を上げるための仕入れや、デザインには何の興味もありません。
できない理由
できない理由を愚痴るように話す業者や工務店が多すぎます。今までに経験がない仕事、やったことがないレベル、新しい材料や考え方にしり込みし、自分たちはこうしてもらわないとできないという連中は、大体下手です。器が小さい。いい仕事ができるチャンスをものにし、力をつけ経験をつみ、今までにない作品を作ろうとする前向きな姿勢がないのであれば、われわれの家作りに参加してほしくないというのが本音です。作品集を見て、私や、オーナーの考えを聞いて腰をすえて家作りをすることが怖いのでしょう。建売や企画住宅を作るのが楽でいいという意見もよく効きます。悲しくかわいそうな人たちです。でも少しでも可能性があれば手をとり、叱り、説明し、本物の家作りを味わい、その面白さを体感してもらいたいと思います。