夏らしい風景

広島方面に行く機会があり、錦帯橋によりました。一昔前は「金鳥」のコマーシャルの撮影場所で、日本の夏を感じさせてくれました。木組みの橋の下の清流では多くの子供が泳ぎ、釣り人もいます。山の頂上には岩国城・・・・好きな風景です。夜は広島です。戦争、原爆、オバマ大統領など平和公園は世界が見ています。もともと私の祖父母は広島から対馬に移住したそうです。暑い暑い夏ですが、夏らしい風景を見ることができよかったと思います。その場所に身をおいて感じられるものがあります。

過去帳

お盆の用意をして迎えました。毎朝手を合わせることと違う気持ちで、仏様とゆっくり話しました。家族で過去帳を開き、次にここに書き込まれるのは順番からいうと自分だということに気づきました。そして私のあったこともないひいじいさんは杢太郎、じいちゃんは幹造,親父は健次郎・・・・・字を見て、『木」にかかわってます。木の家を建ててる今の仕事は自分にあってるのかもしれません。仕事の足跡もテレビで紹介されたときのビデオを見ました。自分で言うのもおかしいですがポリシーを曲げず、いい仕事を続けてきたと思えました。それは家族も感じてくれているようです。

物を売る、腕を売る

物を売ることが商いの基本ですが、私や、職人などは、自分の腕を買ってもらうことで生きてます。不安定な仕事です。家作りにおいてこの二つは敵対関係になることも少なくありません。床材、タイル、家具、照明、アクセサリー・・・などお客様が気に入ったものをなんとか売ろうとするお店と、多くの材料の調和、バランスで。空間を作ろうとする我々。この二つが協力できればいいものになります。売り手のわがままと作り手のわがままがぶつかることが大半です。売り手は商品を買ってもらえれば作ろうとする空間に興味はないし、作り手は作り手の理屈でわがままを言います。その二つの調整も我々の仕事です。大手プレハブメーカはそのわずらわしさをなくして、すべてを自社で提供し、何種類かのパターンをオーナーに選ばせるやり方を確立しました。家をものとして考え、物売りになったわけです。

山根会長

苦笑するしかない態度や言葉ですが私は嫌いではありません。加計理事長や、佐川長官をはじめとする官僚、うそつき政治家、何より文化人面してえらそうなことを言うワイドショーのコメンテーターなんかよりよっぽどましです。周りに一人こんなじいちゃんが子供のころからいたのが昭和の時代です。周りにいた何百人もの大人たちが一番悪い。自分の情けなさを差し置いて、恥ずかしげもなく、告発などやるなあと思います。話し合いで説得できないから、嫌いだから、怒られるから、報復されるから束になって、ましてマスコミも味方にしてやめさせようとする図式は、卑怯なやり方です。この騒動は、「平和な日本」ならでは。

バトンが渡せない。

今も自分の哲学で家作りの毎日です。商売ではありません。どの職業も人が幸せになる手伝いです。政治家も、農業も、漁師も人が幸せになるために考え、動き、がんばるのです。それを自分の儲けのためだけになると、汚れた人になります。私の悩みはこの仕事を継承する人がいないので、バトンが渡せないことです。家はいつの間にか商品となり、建てるものから買うものになりつつあります。どうしようもない、情けない家は安いけど、高い利益率で売られています。だまし商売です。バトンを渡す人を探さないと素敵な家がなくなります。歴史を築いたからこそ重厚な家がなくなることを心配しています。

全否定

またマスコミはいじめのターゲットを見つけたようです。今度はボクシングです。なんだかんだいっても組織はいろいろあります。大人の事情、どうにもならんこと、自分の正義感・・・・・いろんなことと戦いながら生きていくものです。善悪で片付けられるほど単純ではありません。山根さんが決していいわけではないし、任侠の世界の考えの人のようです。でも彼をよしとし、組織は運営されてきたわけです。マスコミのように、正義の味方と、極悪人に、わけて、視聴率を稼ぐやつらもどうかと思います。殿様にしろ、政治家にしろ、役人にしろ、大会社の社長にしろ、やくざにしろ、権力を手に入れると、似たような立ち振る舞いになる人が多いようです。それを恥ずかしいこととは思えないのでしょう。功績も少しはあるのです。人を全否定することはフェアーじゃないですよマスコミの皆さん。

現場打ち合わせ

K邸打ち合わせに行きました。暖炉のデザイン、室内の石張り、飾り棚、和室デザイン・・・・請負の工務店に伝えます。外部は塗り壁のこて跡の出し方など、細かい部分です。。エクステリアの人とも庭との融合や、素材について話しました。みんなが完成に向けて、暑い中がんばっていました。われわれの作るものは、人の手作業、自然素材が両輪です。石や、無垢フローリングは自然が作った芸術です。その一枚の模様や色をいい、悪いと論じる人は、工業化製品で家を作るべきです。かわいそうな人です。

責任がない評論家

家作りにおいて、マテリアルの知識も、三次元空間構成もできないのに、ひとつのもの選びで、理屈をつけた好き嫌いの評論が多い人がいます。全体の空間が作れない人、わからないひとがひとつのもの選びをすることはめちゃくちゃになります。それをうまく正常に戻すこともわれわれの仕事です。ドアの中ではこれが好きとか、色の中ではこれが好きとか、逆に嫌いとか・・・・ワイドショーで好き勝手なことを言う評論家は生産性がない仕事ですから、責任がない発言ばかりです。責任がないものは仕事とはいえません。「いろんなこといわず、プロに任せたほうがいいものができる。」と多くのご入居者が言われます。でも家作りには夢があります。わかっちゃいるけどつい、主張したくなるようです。ただ、施工途中での評価はつらいものがあります。出来上がっての評価はいくらでも受けます。

あきれ返る国会

こいつら何やってくれてるんでしょう。参議院の定数を増やす。カジノを作る、災害時に、飲み会、・・・・馬鹿と、あほの寄せ集めです。政治を職業にしたり、政治で飯食ってはいけません。これだけわれわれとの意識の差が激しいのであれば、政治家は必要なく、裁判員裁判のように、国民から無作為に50人ほど選んで、物事を決めればいいように思います。人としての恥ずかしさがなくなっていく世の中に腹が立ちます。国益とかではなく、人としてまっすぐな考えで物事を決めることが大事で、まっすぐの上での武力行使は悪くありません。それをしつけといいます。北のお坊ちゃま君は誰かが躾けないと、何手ぬるいことやってるんでしょう。

熱中症

異常な暑さで、熱中症に気をつけようと、連日どのチャンネルも同じことをやってます。2年先のオリンピックがこんなに暑いと大変だとか、行事を中止できなかったから熱中症になったなど、しったかぶりのコメンテーターと、ワイドショーの司会者が井戸端会議を電波に乗せてます。今高校野球予選真っ盛りです。「この暑さなので、即刻中止すべき。」という人は誰もいません。命にかかわる暑さといってる連中はスポーツなど炎天下でやるなというべきでしょう。一人二人、高校球児が熱中症で、重体になったり、死亡したりした後はこれでもかとばかり、「やめさせるべきだった。」「判断が甘い。」と人を攻めます。涼しいスタジオで、豪雨災害をお涙頂戴のワイドショーねたにしたり、行政の不手際をつつく暇があるなら、炎天下で手伝ってみろと思います。