車、電話

今更ながら,iPhoneで嫌な思いをすることが多くなってます。普及が進むと自然に、マナーもよくなると期待してましたが、悪くなる一方です。ソフトバンクにしろ、auにしろ、ドコモにしろ、コマーシャルに莫大なお金をかけ、競争しているようですが、売った責任を考えると、マナー改善をテレビや、機種そのもので訴えることも必要だと考えます。いくら金があって、偉そうなことを言っても、世の中で便利を上回る悪をまき散らしていることも事実です。そこを認め、どう改善するか触れない経営者など、偉人にはなれません。凶器にまでなっています。また、一人前じゃない人が持つとおもちゃとしてしか使えないバカの道具となり、周りに迷惑をかけるだけです。人の力が、魅力がどんどん下がってます。

つい何十年前、車を作り続け、コマーシャルで売り続け、道や、車庫やお構いなしで金もうけに走り、排気ガスだの、交通事故だの多くの人が犠牲になりました。必要以上の生産や供給が世の中をダメにすることを、人はもう学ぶべきです。

現場で打ち合わせの最中に、電話が鳴ると出て、長く話し込み、現場での打ち合わせを外す人がいます。どちらも中途半端な結果になります。メールで仕事が終わるくらいの仕事はすごくくだらない。会話に、メールがプラスされるからよりよくなるのであって、機械相手の仕事は成長しません。作業を機械にさせ、人が仕事をするべきなのに、人はもう機械で物事を決めるための機械の作業員に成り下がっているのかもしれません。

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相談、解決

ハウステンボスワッセナーM邸の、桟橋工事のご相談を受けてます。何件か補修、やり替えの経験はあるのですが、海に浮かぶものですから劣化も早く、いろんな材料を検討しましたが、ダグラスファーにしっかりキシラデコールをぬって、まめに管理することが雰囲気も良く、安価だと思います。アルミや、注入剤は、やはり、偽物です。

百浜道のM邸の、美装補修を行っています。高圧洗浄や、木塀の塗装、内部の美装やタッチアップ、水回りの床材張替え、ふすまや畳、障子の張り替え、植木の剪定・・・・・。小さな工事でも、多くの職人の手が必要です。工程表に沿って、目を光らせながら一週間でやります。

ご入居者の、柳川K邸の、外壁の塗り替え、コーキングの相談も受けており、久しぶりに楽しい、アメリカ人の奥様と会えることが楽しみです。

声をかけていただけることが、うれしくて、力になります。イメージされてる以上の、結果でこたえたいといつも思います。

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住まいと災害

関東では大雨で、大変なことになってるようです。50年に一度等という放送もなされてます。震災、土砂災害などおこるたびに、住まいは在来木造か、軽量鉄骨か、コンクリートか、ツーバイフォーか・・・・・・短絡的な比較がなされます。どれもいいところもあれば、欠点もあります。日々過ごす家は、自分に合った暮らしに適合する構造で作ればいいと思います。その中で、場所や地盤を考慮して、杭、高基礎、補強等で考えられるリスク回避を行えばいいというのが私の考えです。災害を考えすぎて日々の生活が快適でなければ、決していい暮らしとは言えません。200年や300年に一度の大津波に備え、海岸に、擁壁以上の壁を何百メートルも作り、日々の大事な景観を失うことは、私は耐えられません。わたしは木の家が好きで、日本もこれだけ洋風化した暮らしになればツーバイフォーがいいと考え、我が家はそうしました。アメリカは世界の中でもとびぬけて住まいの先進国です。木で家を建て、切った木の後に苗木を植える。70年から100年で老朽化し、土に戻り、植えた苗木が成木になる自然のサイクルが理想と考えます。コンクリート、樹脂、アルミ、鉄など、産業廃棄物は自然を破壊し、わたしには素材の美しさが見えません。在来木造の実家で育ち、社会人になって大型マンションで暮らし、自宅をツーバイフォーで造り感じることは、家は器ではなく、暮らしを考えて決めるものだということです。そして、買うものではなく、いろんな調査や話し合いをしながら、建てるものが住まいです。

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神戸

一泊で神戸でした。家具屋さんに行くことが主たる目的です。震災があったとは思えない活気ある街です。異人館に足を延ばし、居留地も散策し、観光もさせてもらいました。偶然にも、野球アンダー18と韓国の試合が甲子園でやってるということで、夜、見に行きました。このチームの人としての礼儀や姿勢、野球に対する純粋さや、仲間を信頼する態度・・・・・・・涙が出るほど誇りに思いました。わたしも含め多くの大人が見習うべきです。スポーツで養われる、人間形成の力を感じました。思い出深いいい旅になりました。夜偶然入った神戸らしい、ビアホールも含め、収穫おおき出張でした。家具屋さんともいい話ができ、お客様にも喜んでいただけると思います。

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わたしに元気をくれる人

いろんな意味で建築、特に住宅デザインを真摯にやってきたつもりです。戦いでした。今もそうです。世間と闘ってきて、味方半分、敵半分。テレビなどで「あの人を悪くいう人はいなかった。」という言葉をよく聞きますがその人は本音で生きてないと思ってしまいます。中島みゆきの時代という歌を聴くとまっすぐ生きようと思わされ、誇れる仕事を目指し続けます。負けても立ち上がれます。建築そのものでは、吉村順三の、当たり前の言葉に、「そうだよなあ。」と勇気をもらい、建築デザイン屋の一本の線の責任の重さを痛感しながら生きてます。建築の勉強とは社会勉強なのかもしれません。長嶋茂雄は神です。「九回裏ツーアウト満塁」で打席が回ると、プレッシャーより「よくぞこのチャンスを私にくださりありがとう神様。」と感謝しながらパコーンって撃つ天真爛漫さは、すごい努力が裏付です。プロは客を喜ばせる仕事で、努力はみせず、華を見せる。迷ったら「お客さんはどう思うだろう。」と考えればすぐ正解にたどり着くそうです。わたしに元気をくれます。彼らの言葉に難しいことは何もありません。

先祖、子供、仲間、ご入居者・・・・・・・・喜びと、元気をくれます。人生とは「ひと」です。

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水と火

人は昔から、水と火を文明の基本として景色のいいところで生きてきたようです。そこに人は街を作るわけです。水と火を欲するわけですから、洪水などの水害、火事とも戦う必要があります。建物のほとんどが木造だった時代は、火事で町内全焼や、台風、地震による津波や、洪水で建物倒壊は覚悟の災害だったようです。コンクリートができると、火事や台風の被害は激減する代わり、自然の風景はコンクリートで固められ、過剰な予防という名の、自然破壊が続いてます。東北のように海が全く見えない異常に高い防波堤はもちろん、人が住む町は港湾工事でコンクリートの塊や、埋め立て、山肌はがけ崩れ対策の、擁壁コンクリート・・・・・・・・・人の進む方向が間違っているとはみんなうすうす感じてるのですが、止められないでいます。風光明媚な丘の上には同じようなコンクリートの塊のホテルが建てられ、人を呼ぶために、プールや温泉が作られ素敵な自然が監理しやすい人口のガーデニングに変わります。そこに行くアスファルトの道ができ、車の往来が多くなり、自然が荒らされ、風光明媚だったはずの場所があっという間に、廃墟になります。これもよく見てきた風景です。でも止められずにいます。植木等が言うように、わかっちゃいるけどやめられないのが人間のようです。

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博多は近海物の魚がうまい。アジ、サバ、イワシ、あぶってかも、あらかぶ・・・・・・・特にサバが生で食べられることがなによりいい。対馬育ちの私はイカの生きづくりだけは、パフォーマンスで、決してうまいと思わない。対馬の漁師は、さしみはアジ、焼きはあぶってかも、味噌汁はあらかぶ、サバは「さしつけ」と言ってすき焼の肉の代わりです。簡単な煮つけとも言えます。また、サバの切り身をゆがいて、酢につけて食べます。マグロ、ヒラメ、ブリ等高級魚より、近海ものがおいしく感じるのは年のせいでしょうか。ヒジキや、わかめは博多といえど、対馬の取たてとは全く味の濃さと歯ごたえが違います。おふくろや叔母が作った対馬の家庭料理が最近特に、恋しくなります。博多のスーパーでも、輸入物の魚が並び、骨も取ってあり、味もつけ、焼くだけ、煮つけるだけ、刺身も切ってパック詰め。悲しくなります。本当に魚がうまい地域ではないのかもしれません。ただ海が近いだけで、魚文化が長けてるわけではないように感じてます。

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肩書き

肩書きで生きてる人、重要視する人、大事にする人、・・・・肩書とはその人の看板みたいなものです。わたしなど、肩書は苦手です。職業、会社名、役職・・・・・・肩書とその人の魅力が一致することはほとんどありません。肩書に胡坐をかいて、肩書がなくなるとだれも見向かない人の方が圧倒的に多いと思います。顔を合わせ、話し、聞き、その人の価値観や生きざまに共感できる者同士が力を合わせるといい化学反応が起き、素敵な物が生まれます。しいて言えば私たちは住宅屋です。素敵なオーナーと、しっかりした真面目な融通の利く工務店と、前向きな輸入部材屋さんが集まればいい作品に仕上がります。いつも思うことがあります。小澤、平田、渕上、・・・・・・オーナーも皆、個人対個人のお付き合いで、肩書は存在していません。「何処で建てたの。」という答えは〇〇ハウス、△△ホームではなく、「誰に頼んだの。」という問いに個人名が出てくる家づくりが本物だと思います。

古賀誠や、山崎拓など、国会議員の肩書が外れてから、自分の本音を語り、存在感を示してます。小さい言葉に目くじら立てず、大筋をしっかり見聞きして本当の討論を行うべきです。肩書は守りに走ると人を窮屈にするものでもあるようです。

我が家

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20年の我が家

仕事中に娘からメールが届きました。「今日で、家が成人式です。」日にちまで覚えてるとはさすが女です。無鉄砲で、40歳の時、何の計算もなく家を建てました。ボーナスより多いボーナス払いのローンは当時笑いものになりました。息子が6年生、娘が4年生でした。二階LDKの住まいは当時、珍しく、能古島と博多湾がきれいでした。あまりの山の中なので、この地区だけ、小学校の子供たちはバス通学が許され、定期を持って喜んでました。その間、息子は6年住み、東京へ。親父とお袋と同居が7年で、親父が他界。おふくろは今施設です。犬からあらされましたが、無垢のフローリングに、無垢の窓と、ドアだったので、味のあるステインの色になりました。ただ私が勝手に作り、みんなで話し合ったり打ち合わせをして手に入れたものではないため、大事にする気持ちが不足しているように感じます。ライフスタイルが変わっても、年をとっても、孫ができても、ローンだけはまだまだ続きます。

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家族

わたしは最近「家族」という、一番小さくて大事なコミュニティーがなくなってるように感じます。夫婦二人暮らしは「夫婦」であって家族ではないと考えると、ごくごく、子育ての時期だけ「家族」が発生するのですが、思春期はこれが「家族」を一番受け入れない時期でもあるようです。わたしは、爺ちゃんばあちゃん、親父、お袋、と暮らし、隣が叔父家族、その隣がおば家族で、いつも多くの人がいる家でした。われわれで家をお建ていただく方も、ご夫婦二人暮らしが多くなりました。お子さん、、おじいちゃんおばあちゃんとはいい関係で別居です。誤解を恐れずいうと、家族がいい関係でいるための距離感が必要な時代になったのかもしれません。家族をうまくやるためには、一緒に住まないという選択をしているようでさみしくなります。お墓も最近は海や、木の周りに散骨してほしいという話が多く、家族が同じ墓に入る事も少ないと聞きます。もうすぐ結婚という形態も崩れるでしょう。ある意味、自分が人として魅力的で、しっかり生きないと、存在価値が薄まりそうです。「家族」も「民族」も消えゆく運命なのでしょうか?先日M家族のみんな素敵な笑顔の写真を見てしっかり家族が見えたことがうれしくて、事務所に来る人来る人に見せると、「素敵な家族ですねー」・・・皆口をそろえて、若い人もご年配の人も、「うらやましい。」という感想です。

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