偉い人に立派な人はいなかった

ある意味、住宅としては好評価をいただいた以前働いた輸入住宅会社が倒産し、信頼してた責任者はただ上手に切り抜けようとするごまかしの策をとり、説明もそこそこ整理しました。悲しくなりがっかりました。私は続けるために紹介いただいたり、知り合いだった名の通っ福岡の多くの企業の偉い人に相談に行きました。結果は散々でした。「もうやめなさい。」『責任とかきれいごと言うな。』「法的に責任ないんだからかかわるな。」「別のことやりなさい。この仕事は続けるな」・・・・でも私はあきらめられずお客様や、職人と少しでもこの仕事がしたかった。作った作品は負けてはいないと思い、これしかできませんでした。それでも何度もあきらめたり、逃げようと思ったりしたのも事実です。みんなと何度も話し、やろうといってくれる人や、数人のお客さんがお金を出してくださりもして、『あなたはお客さんのためにも逃げず続けるべきです。」といっていただき苦しみながらもやりました。みんなのおかげです。少しずつ少しずづ形ができていきました。企業人で偉い人は頭はいいのでしょうが「逃げずにがんばれ、」『あんたならできる。」『信念を持ってがんばれ。」といってくれた人は一人としていませんでした。逃げることばかりをいう魅力ない人たちでした。政治家もそうですが人として尊敬できません。理解してくれたのは職人であり家を満足いただいてるお客様でした。仲間ほとんど一桁の給料で付き合ってくれました。事務所で飯たいて食いながら車もまともにないなか、シャカリキな働き方で8年が過ぎ、許してもらえる程度の返金もできました。信用や信頼もできてきました。コーディネーターと何から何まで二人で5,6人分やってきてもうすぐ約14年です。死んだ爺さんが私が中学のとき『幹文、偉い人にならんでいいから、立派な人になれ。』といいました。ありがたい立派なじいちゃんでした。まだまだがんばり続けることが恩返しです。今、地位や、役職は何の意味もないと思いながら生きてます。