年齢を重ねて見えるもの。

業者さんに集まっていただき、夏の慰労会をしました。事務所でちょっとした料理をとり、2時間ほどの歓談です。20年ほどのお付き合いの人も、最近付き合いが始まった人も、大事な人たちです。最近感じたことがあります。態度でも声でも、男でも女でも、子供でも大人でも「わかっているだろう。」では通用しません。俗にいう「愛してるよ。愛してる?」を自分流に確認しながら頑張り続けることが大事なようです。若い時と違い、人が去ったりいなくなったりするとすごく堪えます。自分が頑張って一緒に築こうとしていた夢の途中で、リタイアされるととても辛くなります。それはきっと人生の残された時間が見えて、迷う時間、リセットする時間の余裕が見えないからだと思います。だからこそ

若い人たちに見えるエネルギーと危うさと、感動できない自暴自棄の笑顔、覇気のない無表情・・・・・・年をとると、無性に気になります。頑張ってる我が子を見ても、はるかに自分を超えてるのに、「調子に乗るんじゃねーぞ。」とつい、何の意味もない忠告をします。一度自分が歩いた道の険しさを言ってもわからないし同じ道ではないのに、つい口走ってしまいます。

同級生がなくなりました。「がん」です。壮絶な一年だったようです。悲しくて、ショックです。全て用意して、旅立ったようです。電話をくれたとき出れなかった自分がたまらなくいやです。人生でかかわってくれた人の大切さ、出会った人の大切さ、真剣に話、怒り、泣き、笑い・・・・「人」は大事です。

老いていく事を感じ始めてます。でもいやではありません。迷うことなく、モノが見えるようになりつつあります。老いていくことは強い武器になるのかもしれません。