4月15日は母の命日でした。働き者で朝5時半から夜9時まで店をやりながら寝たきりの祖父祖母の介護も行い、船乗りの親父の世話をやってました。離島の田舎ですが村の人たちからも頼られる存在でした。娘がばあちゃんに限らずみんなの命日は仏壇にいいお花とお供えをしてくれます。夜はみんなで食事です。熊本地震で葬儀の祭壇が崩れたことを思い出します。母の生き様を見てきたせいか悪いことはできません。いつも何かにつけ大事なときに母の顔が浮かびます。ただ小澤にために生きた人でしたが、尊敬できる母であり、私への教育は働く姿を見せることだったように思います。