お世辞が無い世界

私は対馬という島で育ち、漁師町でした。気性が荒いということもありますが、声が大きく、本音で思ったことを話します。海の上、それも船のエンジンの音で小声では聞き取れず、命を張った仕事なのでお世辞なんか言ってられないということもあるようです。多くの大人たちが身近で働くのを見て、生きていくのはすべて競争が基本でした。時化で漁に出れない日は海を見ながら若者から年寄りまで浜に出て話し込んでいました。この時間が「なんかいいなあ」と思っていたことを思い出します。自分の思ったことを口にできる社会でした。しかられたり、反論したり、時には喧嘩もすべて本音でした。今この世界がありません。北朝鮮と同じです。セクハラパワハラで縛られ、いいたいことも言わず、お世辞と手もみで仕事をし、パソコンとAIに操られ、テクニックで金儲け。人と人の競争はなくなりました。子供の運動会も1等賞はないそうです。ワッセナーの協定委員会のジイ様たちは質問にも相談にも答えず、違った意見があってもその場の雰囲気が悪くなるということで、黙る。こいつらの存在意義は無い。北朝鮮にでもいって生活するほうがあんたらにはお似合いです。