儀式、多様性、

結婚式,葬式、結納、これらは昔から人が大切にしてきた儀式である。大切なものです。成人式、入学式、卒業式、などは近代のものでしょうがそれなりにけじめの儀式です。還暦や古希、米寿などはどうなんでしょう。だんだん儀式は薄れていきます。我々の仕事でも、地鎮祭や棟上など意味が無いものと考える人が半分です。もち投げなど皆無です。意味あるものを粗末にすると人はバカになり、金より大事な文化を失います。オリンピックで、ダイバーシティー、多様性だ何だといってますが、性的志向だ、宗教だ、民族背景だなど認めないわけではないが、彼らが生きるすべは彼らが作って認められてこそ文化です。他人に認めろというのは甘えです。多様性とは厳しい世界で自分たちで納得させ認められてこそのものです。コンプライアンスや、ハウステンボスワッセナー協定医院会のように知らぬ存ぜぬに逃げる風潮は大事なものを失います。ハウステンボスワッセナー技術センターのように汚い商売を平気でおこなうことや、協定委員会のよいしょ係をまちがいといいつつやってると信用などできるわけがありません。私は戦う用意はできてます。負けるわけが無い。どっからでもかかってきなさい。