仕事の価値

好きな仕事で人に喜んでもらうことはとても幸せなことだと思います。日曜日、平田は委員として活動してきた同窓会を、キャンセルして新規のお客様と着工前のお客様の打ち合わせに行きます。「自分が行かなくては」というプライドがあるのです。この仕事はレベルが上がるほど休むことができなくなります。先に延ばしたり人に代わってもらうことすらできなくなります。そうなって一人前です。私も、子供の入学、卒業、運動会、授業参観・・・・・・・・など全く参加していません。肉親の葬儀すら夜中駆けつけるありさまです。子供たちはさみしいことより、「お父さんじゃないとできない仕事」をしていることを誇りに思ってくれました。今、子供たちも基本は同じ価値観で働いてます。娘に「上海に行った3日間を取り戻そうとまたシャカリキに働くんやろうね。」と言われました。「帰りの飛行機の中は仕事のことばかり考えてたでしょう。わたしもそうだから。」自分の好きな仕事についてレベルアップするために日々努力,思考を繰り返し、人に喜んでもらおうとする人が魅力的です。何も努力せずできる、できないをきめて、好条件の職場を探す人、平穏無事な安定を求める人、難しく責任のある仕事はなるべく避ける人,時給という概念で仕事を考える人、できない理由を語る人・・・・苦手です。いい仕事をするにはいい思考回路が必要です。

痴呆が激しい母の介護は大変です。下の世話や徘徊・・・・疲れますが、それ以上に毎年の私の作品集をうれしそうに見てもらえないことが一番さみしく思います。私の父母の働き方は半端ではなく、村のために働くことをその背中で教えられました。父母もまた私の学校の行事に参加する余裕はありませんでした。船乗りの父と仕出し屋と食料品店を営んでいた母は、行事の時が一番忙しい商売でしたから・・・。それでも運動会の日はおふくろが徹夜で作った100個の弁当を「小澤商店の弁当はいつもうまいねー。」と言いながら食べる来賓の人たちの声が私の誇りでした。村のするめを博多に運び、建材、生活用品、食料品を積んで村に帰る親父の船は、離島の村の暮らしを支えてました。親しみを込めて親父は「平和丸」と呼ばれてました。5月26日は親父の命日です。両親は自分の能力を余すことなく使い切って、人に喜んでもらう仕事を全うしたと思います。

 

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