夏の風物詩

わたしは離島で育ち、夏といえば毎日、磯に泳ぎに行き、帰りしな、大人たちから、「サザエ何個とったか、?おー、あわびもはいっとるな。ー」と籠を覗かれてました。皆真っ黒で、ランニングシャツ一枚。虫取りに魚釣り。家の広縁は開け放たれ、風鈴が鳴り、冷えたスイカや桃が風呂上がりの楽しみでした。(今ではどちらも嫌いになりました。)盆踊りや、花火大会も、小さい町なので、知り合いのオッチャン、兄ちゃんが取り仕切ります。その人たちに金魚の糞みたいに、くっついて手伝いか邪魔かわからないけど、一大イベントでした。一人っ子の私は夏休みの半分はよその家で、昼ご飯を食べてたように思います。おふくろは朝から晩まで忙しく働きながら、食事をはじめ、祖父母の世話、親父の船の乗組員の世話、家のことも完ぺきにこなしてました。いまかんがえるとよくもまああれだけ動き続けられたものだと思います。そうめんや、ところてん、がタライのような桶で出され、大皿いっぱいの握り飯にたくあん。扇風機の首を振らせ、ボタンはいつも「強」でした。大人はみんな忙しく、子供は子供の世界がありました。親父やおふくろや叔父叔母たちは、花火の日に、なぜか、少しさみしそうに仕事の合間花火を見ることが不思議でした。今のようなバカ騒ぎのイベントではなく、亡き人や、昔を思い出したり、必死で働く中での束の間のうるおいみたいなものだったのでしょう。終わるとすぐ仕事に戻ってました。そんな中でも、お盆もしっかり、用意し、お墓も守りながら生活していたように思います。。時代とともに、人は大事なものが退化しているようです。今年は対馬に帰ろうと思います。歌の文句じゃないけれど、仕事に名を借りたご無沙汰を詫びながら、墓に手を合わせます。今の自分、人として、親父やおふくろ、の域に達せず、大事なものをないがしろにしているようです。反省。

無題