携帯電話病

いまさらですが、携帯電話がウイルスのように人々に蔓延し、人間の知能や、道徳や、感性を奪っています。大阪に行く新幹線の中はほとんどの人が、携帯に目を奪われ、佐世保への高速バスも同じです。高速のパーキングでも、車の中で多くの人が携帯を手に取ってます。一人、二人で飯を食ってる人も、多くが携帯を見ながらの食事です。旅行であれ何であれ、旅に出ると車窓の風景や、街並みを自分の目で見ていろんなことを感じるのに・・・・・・。携帯にある情報や、データで旅行したり飯食うところやメニューを決めて、ゲームで遊ぶなどという人間は、旅の意味がなく、携帯に育てられた機械人間でしかありません。そのせいか、旅の準備もしなく、「携帯で探せばいいね。」携帯のデータを巡ることが旅のようです。手紙もろくにかけず、会話が楽しめず、恋愛もセックスも、機械の疑似体験で済ましてしまう。子育てにも携帯が必要になってるようで、恐ろしいことです。自分の手で図面を書いてることで、私には私のデザインが確立し、猿まねやデータではなく、感性によるアイデアが下りてくるのだと信じてます。パソコンや、携帯野郎に負けるわけがない。

全否定はしませんが、人間として、携帯の使い方さえ、自分でコントロールできない人は不治の病に侵され、感性が壊滅して、機械操作で機械の中にあるデータで人生を送る羽目になります。携帯依存は、馬鹿製造ということです。