今日はお盆の真っただ中で、一人で事務所です。福岡はもちろん、田舎の方も、提灯を下げてる家はめったに見ません。お盆参りのお客様も昔みたいに、来なくなってるようです。盆、正月は実家に帰り、多くの親せきと顔を合わせ、話をしてたことが今は懐かしく感じます。爺さんから「何があっても正月と盆は顔を見せろ。」と言われ、夜行と、船を乗り継いて対馬に帰ってました。盆は特別な日ではなく、休日にすぎなくなりました。どんな、70年談話を語っても、安保法制を決めても、日本の「家」がまもってきた、「しきたり」「文化」が崩れていってる社会を止めないと、何にもなりません。働くこと、親を大事にすること、子をしつけること、先祖を敬うこと、日本人の誇るべき物を取り戻す政策が今何よりです。リーダーがいないこの国のいく末を案じます。
作者別: motofumi
仕事の合間
仕事の合間に、たくさん楽しんでます。先日は佐世保のSご夫妻に、ホテルヨーロッパで食事をごちそうになり、久しぶりに、ホールなど、見学させてもらいました。佐世保の帰りは武雄温泉の、元湯を楽しみます。湯布院では、無量塔で、お茶とロールケーキをいただいたり、市内では、愛宕神社の、茶屋で、餅をいただいたり、行くところ行くところで、楽しみがあります。そのせいか、休みを取って遊びに行こうという気にはなかなかなれません。オーナーからいろんなところに連れて行っていただいたり、情報をいただいたり、提供したり、そんなやり取りが楽しく大好きです。最近驚いたのは、河庄の持ち帰り卵焼きです。それと、セブンイレブンの、ゆで卵の、塩加減に、感動してます。みんなこだわっていい仕事をしようと工夫しているものに、どんなものでも、心動かされます。
同級生
離島で育つと、町中みんな顔見知りで、家族みたいなものです。そのせいか、この年でも、多くの同級生から連絡をもらったり、贈り物をもらったり、相談を受けたり、相談したり、・・・・・・みんな対馬に残した親の世話や、空き家の処理が大変のようです。皆還暦ですが、特に女性は元気です。、その中でも、N女史は厳しくもやさしい、人です。世話になりっぱなしです。野菜など、食料をいただいたり、体や、仕事を心配してくれたり、ありがたいと思います。たくさんおいしいものを送りながら、「痩せなさい。」とか、「マッサージとか贅沢に受けるんじゃない。朝早く起きて、NHKのラジオ体操をしなさい。」「わがままばかり言うと、平田さんが大変でしょう。」「人の言うこと聞かないもんねー。」・・・・・・まるで、躾の厳しいお母さんが、聞き分けのない、悪そう坊主に言って聞かせるように、接してくれます。彼女は主婦も、仕事も、趣味も、バイタリティーたっぷりに、動き回ってます。我々世代は動いてないと落ち着かないのでしょう。
同級生はおふくろのこともみんな心配してくれてます。
徐々にボケ
年取ったなーと思う失敗が多く、いやになります。セルフのガソリンスタンドで、キャップをしないまま走り始め、何処で失くしたかわからず「蒸発するでしょ。」と怒られ、1700円出してキャップ購入です。三か所でもらった薬の量が多く、いつどれをいくつ飲むかが、老眼でよく見えず、今になって計算が合わず、困ってます。先日の夜、娘の、ハンドクリームを歯磨きと思い、歯ブラシに塗り、磨いて、気分が悪くなりました。なかなか落ちないものです。昨日、自分で、目玉焼きを作るのに、油と思い、洗剤をフライパンに引いて、すごいにおいと、泡が発生します。目が見えないことがほとんど失敗の原因です。平衡感覚がゆるくなって、つまずいたり、足の上りが思ったより上がらず、パンツがはきずらいし、小指を狂うほど打ったり、飯をこぼすことが多くなり、注意されたり、・・・・・・・若い時は恥ずかしいと思う気持ちがあり、注意してましたが、今恥ずかしいことがなく、繰り返します。疲れているとき、ふくの湯の湯船で、寝て、溺れることもあります。滑舌が悪くなるようでよく伝わらず、イライラして怒鳴るともっとわからなくなるようです。孫から「じいちゃん変」と言われないように、しっかりせねば。昨夜、暑くて、冷凍保存用の、凍ったビニルを足元に置いてねました。朝見当たりません。どこに行ったんでしょう。不思議です。
この50年で失った、ゆったりした時間。
携帯電話、メールで通信、移動は、飛行機や、新幹線、とにかく、スピードが飛躍的に上がり、便利になったもの、失われたもの、さまざまあるでしょうが、ゆっくりした時間の中で、いろんなものが見え、感じ、旅を経験し、時を積み重ねて、大人になったと感じてます。車窓からの風景や、人や町が細部まで見えるゆっくりしたスピードはとても大事です。今は、ゲームのように、短時間でいろんなものを処理し、時が通りすぎてるだけのように感じます。結果がほしくて経過で学ぶことがなくなりました。おふくろの手で、季節の材料を、時間をかけてつくることで、匂いがしたり、湯気が出たり、下ごしらえから、味付け、片づけまで、それが食事でした。「チン」という音や、「素早く、手軽に、簡単に、」は褒められるものではなかったように思います。料理のうまい下手がはっきりわかる時代は、お金やぜいたく品ではなく、「工夫」に、評価がありました。魚の食べ方ひとつとっても、子供のころ食べたものがおふくろが動けなくなって、口にできません。今になって娘が「ばあちゃんに料理ならっとけばよかった。」と後悔してます。
住まいも今50年たって色あせず、味わい深い住まいに出合うことはごくわずかです。坪二十数万の低価格商品の家と呼べない家や、三か月で建つ家などという、恥ずべき広告で金儲けしてる住宅屋に、「文化のにおいのかけらもありません。」一度立ち止まり、「本物」を考える時期のようです。戦争を語り継ぐ人と同じように、戦後の昭和の文化も語る人が必要です。人が主役の、時代でした。
息子のブログに、香港ゼロ泊二日出張とありました。……ゆっくり、ゆっくり。
素晴らしい出会い、そして仕事
夏本番
暑い日が続きます。ご入居者の古い借家の屋根工事が終わりました。「この暑い中本当にありがとうございました。」と、オーナーからのうれしい言葉をいただき、恐縮です。湯布院も、無事終わり、先日からの、鳥栖の倉庫も、床を除いて終了です。何処も我々本位の工程で、好きにやらしていただくのに、お礼をいただけます。渕上というのですが喜んでいただけると暑さも吹き飛びます。自分の言いたい放題、好き放題、みんながあきれる常識はずれの要求するクレーマーもいるようですが、幸い我々はいいご入居者に恵まれてます。この夏は佐世保、ハウステンボスワッセナーが現場になりそうです。海が見える現場ばかりですので、夏を楽しみながら仕事ができ幸せです。これからお盆明けまで暑さと闘いながら頑張ります。来月初めはまた横浜です。
鳥栖M邸の話題
最近、ご入居者から鳥栖のM邸のお話が出ます。宗像のN様、ハウステンボスのI様、北九州のK様、福岡のT様・・・みなさん休日にアウトレットにお出かけの際、道から突然姿を現すM邸にびっくりされるようで、「あ、あれ小澤さんのブログに出てた…」「あ、案内してもらった家だ。」など、何か皆さんがうれしくなるといっていただけます。混んでてのろのろだからよく見えるといわれます。(ご主人に会った方がもっとびっくりするのですが。)
私もそんなお話を聞いてうれしくなります。ついでに言いますと、アウトレットに行った際は三瀬鳥の漬け込み揚げをMご主人に教えてもらい、今では私も、娘も、平田も、それを買うためだけに立ち寄る始末です。顔を出させていただくと、イケメンで賢い小1のハヤト君と、かわいくて、憎めないじいちゃんそっくりのケント君という幼稚園のお孫ちゃんがいていつもソファーに逆立ちで歓迎してくれます。
このご家族にはたくさんの御恩があります。見学会をさせていただいたり、いつもご案内させていただいたり、わたしにタイムリーな言葉をいただいたり・・・・・感謝してます。
ハウステンボスワッセナーは世界に誇れるまち
夏の風物詩
わたしは離島で育ち、夏といえば毎日、磯に泳ぎに行き、帰りしな、大人たちから、「サザエ何個とったか、?おー、あわびもはいっとるな。ー」と籠を覗かれてました。皆真っ黒で、ランニングシャツ一枚。虫取りに魚釣り。家の広縁は開け放たれ、風鈴が鳴り、冷えたスイカや桃が風呂上がりの楽しみでした。(今ではどちらも嫌いになりました。)盆踊りや、花火大会も、小さい町なので、知り合いのオッチャン、兄ちゃんが取り仕切ります。その人たちに金魚の糞みたいに、くっついて手伝いか邪魔かわからないけど、一大イベントでした。一人っ子の私は夏休みの半分はよその家で、昼ご飯を食べてたように思います。おふくろは朝から晩まで忙しく働きながら、食事をはじめ、祖父母の世話、親父の船の乗組員の世話、家のことも完ぺきにこなしてました。いまかんがえるとよくもまああれだけ動き続けられたものだと思います。そうめんや、ところてん、がタライのような桶で出され、大皿いっぱいの握り飯にたくあん。扇風機の首を振らせ、ボタンはいつも「強」でした。大人はみんな忙しく、子供は子供の世界がありました。親父やおふくろや叔父叔母たちは、花火の日に、なぜか、少しさみしそうに仕事の合間花火を見ることが不思議でした。今のようなバカ騒ぎのイベントではなく、亡き人や、昔を思い出したり、必死で働く中での束の間のうるおいみたいなものだったのでしょう。終わるとすぐ仕事に戻ってました。そんな中でも、お盆もしっかり、用意し、お墓も守りながら生活していたように思います。。時代とともに、人は大事なものが退化しているようです。今年は対馬に帰ろうと思います。歌の文句じゃないけれど、仕事に名を借りたご無沙汰を詫びながら、墓に手を合わせます。今の自分、人として、親父やおふくろ、の域に達せず、大事なものをないがしろにしているようです。反省。











