我欲

石原慎太郎の我欲発言が問題視されているようです。特に今回の地震、津波などが「我欲に対する天罰」といったことに対してマスコミが騒いでいるようです。私は,ここ二年、人と付き合って感じることは応援してくださったり、助けてくださったりする人のありがたさです。もちろん「自分で責任を取らない。」「相手のことを考えず自分の主張ばかりしていい条件を勝ち取ろうとする。」「我慢せず得する要求ばかりする。」こんな仕打ちに怒ったり、おちこんだりしたこともいくつかはありましたし、徐々にそんな人たちが増えてるようにも感じてます。政治家の顔や言葉が見えない今、みんなが同じ価値観と報道しかしない今、この発言にいい悪いは別にしてわたしはその本意を考えさせられました。「政治家やマスコミの我欲」の検証も含めて、発言の中身を自分なりに謙虚に受け止め整理したいと思います。家作りにおいてもわたしの経験上「我欲」の強い人は素敵な暮らしにたどり着いてないように感じます。

車中での会話

仕事でH女史やN女史と遠方に出かける時、車でいろんな話をします。この時間がすごく勉強になり、大事な時間です。家作りの経験や、いろいろなお客様とのエピソード、アメリカの思い出・・・・・・政治やスポーツ、グルメ、芸能等の時事ネタの感想、それぞれいろんな考え方や価値観がわかり、ジェネレーションギャップを強く感じるときもあれば、埋めてくれる時もあります。白熱した討論になる時もあり、それもまた楽しいものです。そして、会話を話しっぱなしにせず、「だから今後こうしていこう。」というひとつの結論を出して、プラス思考の頭に切り替えることが価値ある会話だと思います。まじめなことばかり話しているような書き方ですが、半分はバカ話です。H女史なんかは感心するほどの知識と感性で納得する話をしてくれる半面、車中の討論が一段落して腹が減ると、コンビニを見つけて上手に山下清になります。「ぼ、ぼ、ぼくは、お、おにぎりがほしいんだなー。」大笑いさせてくれます。山下清になったのは普通のおにぎりではなくジャンボおにぎりの要求です。いろいろな物まねの武器をもっていて、照れてあやまるる時は「皆々様方もうーしわけけございません。のどくろーあめ。」瀬川英子になります。

芸達者です。                 

被災者から教えられた日本人としての誇り

すさまじい地震、津波が起こったものです。ここ数日映像からの情報を見続けるだけで、何度も「何じゃこらー」と心で叫んでます。言葉にする言葉が見つからないほどの災害です。九州にいながらも何かやらなければと思い、仕事で訪れていた佐賀でポケットの小銭を義援金箱にいれ、受け付けられる支援品のリストをもらって帰り、今用意しています。とにかく今はみんなでできることを動く時です。被災者の皆さんはこの非常事態に暴動を起こすどころか、日本人として冷静に我慢強く行動し、話されていることを海外のメディアは驚きの目で賞賛しています。そのなかでも私が驚いたのはあの中国が「中国はGDPで日本を抜いたが、この日本国民の教養ある行動は六十年たってもまねできないだろう。」と言っていることです。「怒声や暴力、暴動からはいい結果は生まれない。」・・・・・・・・日本人として、人として、誇りをもって助けあう行動したいものです。

住まいと情報

最近、新築の計画が少なくなり、増改築の計画が多くなりました。どちらもデザイン性豊かで、リーズナブルなものを望んでいらっしゃるのですが、インターネットをはじめ情報が氾濫しすぎて、自分にとって何が必要で、正しい情報なのかわからなくなり、住まい作りの本質と違うところで悩んでいらっしゃる方が多いように感じます。オーナーが住まいの材料や性能品単体の情報にまで入って行って、知識がセミプロ的になると情報に縛られて正しい判断ができないことがあります。その判断をするためにまた別の情報を見つける作業をして時間ばかりが過ぎて行き、整理がつかなくなってしまうことが多々あります。どんな住まいにして、どう素敵に暮らしたいかを、プロと楽しく話し、伝えることが一番大事です。我々はそうしてもらうことで、総合的に判断してオンリーワンの責任がもてる情報を提供できると思ってます。買ってもらうためのコマーシャル情報、私的見解情報、総合的情報などはけっして全てが正しい情報ではないのです。

久留米と佐賀のリニューアル現場

久留米の古い住宅をリニューアル中です。室内の壁はジュラクです。強く触るとぼろぼろと落ちて、小さい時、壁にボールを投げたりしてよく怒られてたのを懐かしく思い出します。その壁はそのままに、上から大壁を作り、洋館を作る予定です。

佐賀のマンションはF大工の巧みの技でモールやパネル等、造作が進んでます。部屋の真ん中に冷蔵庫置き場をつくり、その壁をインテリアの主役にするという大胆で、おもしろい改造です。F大工もいつになく雄弁で、張り切ってくれてます。

N女史が今日うすいピンク、濃いピンク、ショッキングピンク・・・・・・ピンクづくしの洋服で出社です。「なんだか気分が重かったので、家中のピンクを着てみました。」と、ドヤ顔です。春になり陽気がよくなるとおかしなのがでてきます。オオヤマサコを思い出しました。勘弁してください。

天神似合わない

天神のH女史一人でいっぱいになりそうな、小さな小さな小さなショップのデザインを依頼され、現場を見に行きました。場所は最高です。天神は久しぶりで、きょろきょろしながら歩いてしまいます。ウインドウに移る自分の姿と周りの若者との雰囲気にかなりのギャップを感じながら遠慮がちに歩いていると、H女史が「天神似合わないですね。落ち着かないでしょう。」と追い討ちをかけてきます。くやしくて、どこかでお茶でも思いましたが、まったく知らず、岩田屋の地下で、ジュースだけ飲んでそそくさと帰ってきました。相変わらず無骨なおじさんは受け入れてくれない場所のようです。

高速の無料化で質の高い住環境を

市街地に住みたいひとが多いのは、素敵な住まいより利便性を重視しているようです。凄く高いお金で居心地の悪い狭い空間に住み、疲れているように感じます。自然に囲まれ、広々とした豊かな生活を好む欧米人は、ダウンタウンに住みたいとは思わないようです。そこはビジネスの場所であり、働くところという認識のようです。郊外の素敵な住宅地に住み、ダウンタウンやショッピングモールに無料の高速で走る。このような都市計画を確立すれば、都市圏が広がり、地域格差も少なくなり、安い価格で不便なく、質の高い住まいが供給できると思います。ダウンタウン、工場地域、流通基地、ショッピングモール、文化施設エリア、住まいのエリアを無料の高速で結ぶことができれば、町は「活性化」するとおもいませんか。?

福岡で言うと、今近い田舎として閑散としている、雷山、美奈宜の杜、耳納、背振,那珂川、糸島、広川、八女等が安くて素敵な住宅地になるはずです。今の別荘地が、お洒落な住宅地になるべきです。

博多駅の思い出

博多駅ビルがオープンして、ニュースなどを見ると大変な盛況のようです。近じか行ってみようと思います。私の亡くなったオヤジは船乗りで、博多と対馬を行き来してました。小学校の夏休み、春休みとかは親父に連れられ博多に来るのを楽しみにしてました。。そのなかでも、子供の私には博多駅の大きさ、広さに驚き、汽車を見ながらご飯を食べさせてもらうのが何よりの喜びで、井筒屋デパート、みやげ物屋など、ものめずらしく、一日遊べたものです。諫早の高校で下宿生活を送っていた時は、帰省はいつも夜行列車で、早朝五時に博多駅についてうどんを食べて築港の船乗り場まで歩いてました。冬は寒くていやだった思い出があります。学生時代の遠距離恋愛の待ち合わせ場所も博多駅でした。子供たちとの食事も私にとっては天神なんかより博多駅に足が向くのです。

新しい駅ビルになっても思い出多き博多駅を続けていきたいと思います。

博多駅、川端商店街、博多パラダイス,平和台球場、大濠公園・・・・・。子供の頃の思い出の場所です。

リーダーの生きざま

この年になると、事が起こったときいろいろな対応策を考え、せっかちな私はすぐ解決しようとします。小さい組織でも社長の仕事は「決断」です。いいにしろ悪いにしろ責任はとらなくてはいけません。それで人を不快にしたり、嫌われることもあるだろうと覚悟してます。うまくやることも、仲良くやることも、やさしくすることも必要です。一人では何もできないのですから・・・・・。H女史やN女史のアドバイスに耳を傾けながら業者さんや職人さんのやりやすい環境を作る努力をしなければと思っています。

ただ、わがままな人といわれようと、怒鳴る人といわれようと、人の言うことを聞かないといわれようと「何よりいい家を作ろうとしている人」と思われていれば本望です。

損をしない人間関係より、今は取り扱いにくい頑固くそ親父と思われていいのですが、いざというとき、存在感と安心感を与えられるリーダーでいたいものです。考え方や,生きざまの本当の「結果」はずっと後でわかります。今をゆるく生きてる人は将来は知れてます。厳しさもやさしさ以上に必要です。年取っても目をぎらつかせて、夢を削らず前進することこそリーダーの生きざまだとおもいます。坂本竜馬の魅力もそこではないでしょうか?。

がんばらなければ・・・・

昨今、女性の活躍、パワー、存在感がクローズアップされ、男性の影が薄い時代のようです。人が中性化していってるのかもしれません。男女の垣根が取り外され、今までの男のエリアに女性が進出し、占拠しているように感じるのは私だけでしょうか。?男は年とともに疲れきり、女は年とともに元気になっているようです。高速のサービスエリアなどでも、熟年のツアーバスのまわりは、おばちゃんたちの大きな話し声や笑い声であふれ、おじちゃんたちは「つれられていってる感」をにじませ、あくびをしながらタバコを吸ってます。若い女性はいい、悪いは別にして目立ってますが、若い男性は存在感がないように感じます。もともと能力的に女性が上だとは認識していますが、このままでは男性の居場所がなくなりそうです。男の行く先が、はるな愛と楽しんごとマツコデラックスでは寂しすぎます。

ひな祭りのこの日が男の日にならないように、男性が存在感ある仕事をしたいものです。