親子のあり方は様々です。私は対馬という離島が故郷で、15から家を出て下宿をしながら高校、大学生活を送りました。それでも、正月は必ず、帰省しました。夜行で5時間半かけて諫早から博多に朝5時半につきます。寒い中ゆっくり歩き、築港で八時発の満員のフェリーに乗り、5時間.時化の時はあちこちで、船酔いです。幸い船乗りの息子である私は平気でした。船を下りて1時間やっと家です。じいさんばあさん、親父おふくろ、叔父叔母、近所の人みんな寄ってたかって「ようかえったのう。」近況報告の後、晩御飯でごちそうを食べ、店の棚卸の手伝いです。みんな喜んでくれていることがうれしく感じてました。じいさんばあさんが亡くなり、家庭を持ってからは親父とおふくろを正月呼んで、温泉に行くことを恒例行事とし、12年続きました。孫と風呂に入り飯を食い、うれしそうな両親を見るのが好きでした。うちの子供たちも中学、高校、大学の時など、友人と出かけたり、旅行に行くこともなく、今も正月は家で過ごします。それが決まりのように感じてるのでしょう。親子は気持ちはもちろん、どこかで必ず顔が見れるという形を持ってないといけないように感じます。親を亡くし、なおのことそう感じます。