世の中の閉塞感のせいかどうか、今年は満開の桜の存在が薄いようです。久しぶりに集中して図面を書いてます。老眼をしても二時間も書き続けると目がかすみ十分ほど休憩します。物をどこに置いたか忘れたり、名前が出てこなくなったり、階段で足腰の衰えを実感して皇潤を飲もうかと悩んだり、肩の介の字貼りとふくらはぎの子持シシャモ貼り(N女史命名)の湿布が手放せず確実に老いていってます。その老いを受け入れ、向かい合うと素直で正直な自分をさらけ出すことができ、中身の濃い人間関係ができつつあるように感じてます。四十、五十は鼻垂れ小僧といわれる時代ですが、私の周りにいる魅力ある人たちは、若い人より熟年の方が圧倒的に多いように感じます。あるオーナーから教えてもらいました。年をとると、恥がかけるようになり、怖さがなくなり、自分の意見を言えるようになり、人に意見できるようになる。「でもそれを手に入れるには若い時から真剣に謙虚に働き、自分に自信を持てなければね。」もうひとつ教えられました。「好きで仕事をやっている人には結局かなわないのよ。そういうひとは年をとるほどかっこいい顔になろうが。」話してくれた六十半ばのこの人こそがとても魅力的です。