休みと仕事

今日もいい天気です。世間は3連休でいい天気に恵まれ、みんな楽しんでいるようです。昨日はご入居者のリフォームの打ち合わせでM邸、K邸に伺いました。懐かしさから、思い出話や近況報告も含めて楽しい打ち合わせでした。

我々は休みません。出社、休み、勤務時間等は必要としないどころか、邪魔です。それは能力のない集団を束ねるための方法です。全て自分で考え自分で判断できる集団は自己責任の元、休みを決める必要もありません。「休みもなく大変ですねー。」とよく言われますが、休まなければならないとすればそれが大変なんです。最近よく耳のする言葉で「それいいねー。楽そうで。」「これだけ休みがあれば楽よねー。」「そうしてもらえると楽」楽を求める風潮・に危機感を持ってます。楽をすればするほど、経験不足、能力不足、思考不足になり人に頼り生きていく、何の達成感もない人生になります。

人生の修業をすることもなく、集中力をもって頑張ることもせず、大したプライベートも持たないくせに、自分の時間とやらをやたらほしがる若者たちに喝を入れたくなります。仕事を必死でやることで、面白いことに出会ったり、社会性を身につけたり、すてきな人に出会ったり、価値あるものに心動いたりして、自然と自分の人格ができ、人と語り合うことができ、人を自然と育てる権利が持てるのだと思います。「子育て」をしてはいけない人が子供だけ作ることを世間が許しすぎです。この閉塞感や不景気感や危機感を持たない危機感を打破するには、自己責任を植え付け「働け、働け」の精神が必要だと思います。

ここのところエラそうなことを書いていますが、私と同年代の懐かしい仲間が続けざまに、病気と闘っています。みな自分の人生の中でそのことを消化し、前向きに考えて戦っています。いろんな手紙や電話をもらう中で「まだまだ熱く頑張れてることがうらやましい。」といいます。「50,60は鼻垂れ小僧。みんなでまだまだ頑張るぞ。」が私の返事です。