仕事と手段

何かをしてお金をいただくことを「仕事」とは呼ばないと思います。バイト、パート等は最近正しく、仕事に行くではなく「パートに行く。」「バイトに行く。」と言っているようです。正社員と呼ばれる人の多くも、生活するための手段として、働いているようで、お金や条件が先にきています。「最近の中州の女性もバイトが多く、プロが少なくなった。」という声もよく聞きます。水商売も「仕事」とする人が少ないのでしょう。福岡の多くの職種に、アジアから生活の手段のため安いお金で働きに来ている人があふれてます。コンビニやファーストフード店は生活の手段には最適のようです。今はその手段をいい条件で手に入れるため、2,3か月か半年、一年の何とかスクールに通うみたいです。この国の将来が不安です。

私流の「仕事」とは、自分で価値あるもの、好きなもので社会に貢献できるものであり、そのためには、修業も積み、頑張り、生きがいになり、お金は後ろからついてくるものだと考えます。同じ業種にいても、仕事としてとらえて頑張ってる人はいずれ周りから「プロ」と呼ばれるはずです。そして日々勉強が続きます。レベルアップを考えます。大学なんてものは、自分の仕事をしっかり見つけるための期間だとおもいますが・・・・・。

いま我々は仕事としてはたらく人を募集しています。何名か面接しましたが、「仕事」ととらえるのではなく、多くは生活の手段を見つけているようです。「仕事」は何より優先されるべきものです。さだまさしじゃないですが、「仕事もできない男に家庭を守れるはずもない。」

みんな仕事を持ちましょう。「自分の仕事」をもつことで、厳しさも価値観も子育ても必要な知性や教養も遊びも大事な仲間もできてきます。手段で生きてると人生淀みます。正しいものが見えません。生活のお金しか見えず大事なものを見失います。私の言う「仕事」を持つと働いて、働いて、働きたくなります。