大學や、大学院で、専門教育を受けた人が都会に多くいて、知識人と呼ばれ、差別化されていました。大学生といえど、ろくに勉強もせず、学歴だけで知識もないのが増えてきましたが、それでも、馬鹿な親はいい大学にやるため塾に送り迎えです。テレビでも、役にも立たないクイズ番組で正解をしてドヤ顔してるタレントは本業では今一歩のようです。知識を持つことは大事ですが、直接生活に密着しません。田舎などで昔から代々教えられた知恵は、生活そのものであり、大人から子供に受け継がれます。この「知恵」が今のこの国には必要です。田舎は知恵で生活し、都会は知識の試験で優劣がつけられているようです。職人、漁師、農家、・・・・魅力的な知恵があります。知恵は応用が利きます。私も、大学出たての頃、現場で、職人がやってることを見て目からうろこというか、大學の知識など、無力だとさえ感じました。対馬では、漁のやり方、サザエやアワビの簡単な取り方、イカの干し方、船の漕ぎ方、波からののがれ方、ウナギの仕掛け、冬のバトウ突き、ワラビやフキの取り方、山芋掘・・・・一つ一つ知恵が詰まってました。何か問題があると、男たちは浜に集まり、知恵を出し合い、何とか解決してました。女たちも同じです。年寄りや、親父おふくろたちは、ろくに学校出てなくても、先生や、役場の人や、議員さんたちよりずっと大人で、かっこよく感じていました。家もそうです。知識で作るより、知恵を出し合い作っていくものです。