わたしに元気をくれる人

いろんな意味で建築、特に住宅デザインを真摯にやってきたつもりです。戦いでした。今もそうです。世間と闘ってきて、味方半分、敵半分。テレビなどで「あの人を悪くいう人はいなかった。」という言葉をよく聞きますがその人は本音で生きてないと思ってしまいます。中島みゆきの時代という歌を聴くとまっすぐ生きようと思わされ、誇れる仕事を目指し続けます。負けても立ち上がれます。建築そのものでは、吉村順三の、当たり前の言葉に、「そうだよなあ。」と勇気をもらい、建築デザイン屋の一本の線の責任の重さを痛感しながら生きてます。建築の勉強とは社会勉強なのかもしれません。長嶋茂雄は神です。「九回裏ツーアウト満塁」で打席が回ると、プレッシャーより「よくぞこのチャンスを私にくださりありがとう神様。」と感謝しながらパコーンって撃つ天真爛漫さは、すごい努力が裏付です。プロは客を喜ばせる仕事で、努力はみせず、華を見せる。迷ったら「お客さんはどう思うだろう。」と考えればすぐ正解にたどり着くそうです。わたしに元気をくれます。彼らの言葉に難しいことは何もありません。

先祖、子供、仲間、ご入居者・・・・・・・・喜びと、元気をくれます。人生とは「ひと」です。

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水と火

人は昔から、水と火を文明の基本として景色のいいところで生きてきたようです。そこに人は街を作るわけです。水と火を欲するわけですから、洪水などの水害、火事とも戦う必要があります。建物のほとんどが木造だった時代は、火事で町内全焼や、台風、地震による津波や、洪水で建物倒壊は覚悟の災害だったようです。コンクリートができると、火事や台風の被害は激減する代わり、自然の風景はコンクリートで固められ、過剰な予防という名の、自然破壊が続いてます。東北のように海が全く見えない異常に高い防波堤はもちろん、人が住む町は港湾工事でコンクリートの塊や、埋め立て、山肌はがけ崩れ対策の、擁壁コンクリート・・・・・・・・・人の進む方向が間違っているとはみんなうすうす感じてるのですが、止められないでいます。風光明媚な丘の上には同じようなコンクリートの塊のホテルが建てられ、人を呼ぶために、プールや温泉が作られ素敵な自然が監理しやすい人口のガーデニングに変わります。そこに行くアスファルトの道ができ、車の往来が多くなり、自然が荒らされ、風光明媚だったはずの場所があっという間に、廃墟になります。これもよく見てきた風景です。でも止められずにいます。植木等が言うように、わかっちゃいるけどやめられないのが人間のようです。

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博多は近海物の魚がうまい。アジ、サバ、イワシ、あぶってかも、あらかぶ・・・・・・・特にサバが生で食べられることがなによりいい。対馬育ちの私はイカの生きづくりだけは、パフォーマンスで、決してうまいと思わない。対馬の漁師は、さしみはアジ、焼きはあぶってかも、味噌汁はあらかぶ、サバは「さしつけ」と言ってすき焼の肉の代わりです。簡単な煮つけとも言えます。また、サバの切り身をゆがいて、酢につけて食べます。マグロ、ヒラメ、ブリ等高級魚より、近海ものがおいしく感じるのは年のせいでしょうか。ヒジキや、わかめは博多といえど、対馬の取たてとは全く味の濃さと歯ごたえが違います。おふくろや叔母が作った対馬の家庭料理が最近特に、恋しくなります。博多のスーパーでも、輸入物の魚が並び、骨も取ってあり、味もつけ、焼くだけ、煮つけるだけ、刺身も切ってパック詰め。悲しくなります。本当に魚がうまい地域ではないのかもしれません。ただ海が近いだけで、魚文化が長けてるわけではないように感じてます。

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肩書き

肩書きで生きてる人、重要視する人、大事にする人、・・・・肩書とはその人の看板みたいなものです。わたしなど、肩書は苦手です。職業、会社名、役職・・・・・・肩書とその人の魅力が一致することはほとんどありません。肩書に胡坐をかいて、肩書がなくなるとだれも見向かない人の方が圧倒的に多いと思います。顔を合わせ、話し、聞き、その人の価値観や生きざまに共感できる者同士が力を合わせるといい化学反応が起き、素敵な物が生まれます。しいて言えば私たちは住宅屋です。素敵なオーナーと、しっかりした真面目な融通の利く工務店と、前向きな輸入部材屋さんが集まればいい作品に仕上がります。いつも思うことがあります。小澤、平田、渕上、・・・・・・オーナーも皆、個人対個人のお付き合いで、肩書は存在していません。「何処で建てたの。」という答えは〇〇ハウス、△△ホームではなく、「誰に頼んだの。」という問いに個人名が出てくる家づくりが本物だと思います。

古賀誠や、山崎拓など、国会議員の肩書が外れてから、自分の本音を語り、存在感を示してます。小さい言葉に目くじら立てず、大筋をしっかり見聞きして本当の討論を行うべきです。肩書は守りに走ると人を窮屈にするものでもあるようです。

我が家

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20年の我が家

仕事中に娘からメールが届きました。「今日で、家が成人式です。」日にちまで覚えてるとはさすが女です。無鉄砲で、40歳の時、何の計算もなく家を建てました。ボーナスより多いボーナス払いのローンは当時笑いものになりました。息子が6年生、娘が4年生でした。二階LDKの住まいは当時、珍しく、能古島と博多湾がきれいでした。あまりの山の中なので、この地区だけ、小学校の子供たちはバス通学が許され、定期を持って喜んでました。その間、息子は6年住み、東京へ。親父とお袋と同居が7年で、親父が他界。おふくろは今施設です。犬からあらされましたが、無垢のフローリングに、無垢の窓と、ドアだったので、味のあるステインの色になりました。ただ私が勝手に作り、みんなで話し合ったり打ち合わせをして手に入れたものではないため、大事にする気持ちが不足しているように感じます。ライフスタイルが変わっても、年をとっても、孫ができても、ローンだけはまだまだ続きます。

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家族

わたしは最近「家族」という、一番小さくて大事なコミュニティーがなくなってるように感じます。夫婦二人暮らしは「夫婦」であって家族ではないと考えると、ごくごく、子育ての時期だけ「家族」が発生するのですが、思春期はこれが「家族」を一番受け入れない時期でもあるようです。わたしは、爺ちゃんばあちゃん、親父、お袋、と暮らし、隣が叔父家族、その隣がおば家族で、いつも多くの人がいる家でした。われわれで家をお建ていただく方も、ご夫婦二人暮らしが多くなりました。お子さん、、おじいちゃんおばあちゃんとはいい関係で別居です。誤解を恐れずいうと、家族がいい関係でいるための距離感が必要な時代になったのかもしれません。家族をうまくやるためには、一緒に住まないという選択をしているようでさみしくなります。お墓も最近は海や、木の周りに散骨してほしいという話が多く、家族が同じ墓に入る事も少ないと聞きます。もうすぐ結婚という形態も崩れるでしょう。ある意味、自分が人として魅力的で、しっかり生きないと、存在価値が薄まりそうです。「家族」も「民族」も消えゆく運命なのでしょうか?先日M家族のみんな素敵な笑顔の写真を見てしっかり家族が見えたことがうれしくて、事務所に来る人来る人に見せると、「素敵な家族ですねー」・・・皆口をそろえて、若い人もご年配の人も、「うらやましい。」という感想です。

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ハウステンボスワッセナーA街区

デザイン性の高い、小型別荘が多いA街区の調査を行いました。特徴的な色と、ファサードはワッセナーの入り口に立ち並ぶにふさわしいものです。インテリアはさすがに、築30年程度になると時代遅れです。モールや、石、作りこみの家具などでリニューアルすると、見違えるようになるはずです。キッチンを再考すべきです。この町は住む人たちが心ある目線で守り続けるべき町だと思います。荒れた庭のままのオーナーや、街並みに合わないものを提供してる業者がわずかながら見えることが残念です。ここは日本の中でも、レベル高い町に間違いありません。大事に守る街です。手を入れて、時が醸し出す風合いや、今までのデザインを壊す人は、住んでも作ってもいけないと思います。

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心に響かず

安倍総理の70年談話の内容が物議を交わしてます。日本はもちろん韓国も、中国も、アメリカも、政局がらみの言葉しかなく、何一つ心に響きません。安保法制や、沖縄問題が見え隠れします。「凛」とした誇るべきリーダーがいません。民意等一蹴するほどの説得力のある強い心に響く、演説が聞きたいものです。何の損得もなく、腹の底から絞り出す本当の声を聞くと、心に響くものです。純粋に戦った高校球児や、戦争を体験した、お年寄りの言葉には聞き入る強いメッセージを感じます。もっと言うと、何もしゃべれない、何も聞こえないおふくろの表情がわたしにいろんな事を教えてくれます。先祖の写真をみながら仏壇の前に座ることが自分に今大事な時間です。

横浜H邸の模型ができました。われわれは自分たちの考えを伝える手段として、パースと、模型を使います。何がオーナーの心に響くかいつも考えます。喜んでいただければ嬉しいのですが。

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今日はお盆の真っただ中で、一人で事務所です。福岡はもちろん、田舎の方も、提灯を下げてる家はめったに見ません。お盆参りのお客様も昔みたいに、来なくなってるようです。盆、正月は実家に帰り、多くの親せきと顔を合わせ、話をしてたことが今は懐かしく感じます。爺さんから「何があっても正月と盆は顔を見せろ。」と言われ、夜行と、船を乗り継いて対馬に帰ってました。盆は特別な日ではなく、休日にすぎなくなりました。どんな、70年談話を語っても、安保法制を決めても、日本の「家」がまもってきた、「しきたり」「文化」が崩れていってる社会を止めないと、何にもなりません。働くこと、親を大事にすること、子をしつけること、先祖を敬うこと、日本人の誇るべき物を取り戻す政策が今何よりです。リーダーがいないこの国のいく末を案じます。

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仕事の合間

仕事の合間に、たくさん楽しんでます。先日は佐世保のSご夫妻に、ホテルヨーロッパで食事をごちそうになり、久しぶりに、ホールなど、見学させてもらいました。佐世保の帰りは武雄温泉の、元湯を楽しみます。湯布院では、無量塔で、お茶とロールケーキをいただいたり、市内では、愛宕神社の、茶屋で、餅をいただいたり、行くところ行くところで、楽しみがあります。そのせいか、休みを取って遊びに行こうという気にはなかなかなれません。オーナーからいろんなところに連れて行っていただいたり、情報をいただいたり、提供したり、そんなやり取りが楽しく大好きです。最近驚いたのは、河庄の持ち帰り卵焼きです。それと、セブンイレブンの、ゆで卵の、塩加減に、感動してます。みんなこだわっていい仕事をしようと工夫しているものに、どんなものでも、心動かされます。

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