マークイズ

ホークスタウンの跡に、マークイズという商業店舗、映画館ができて、数ヶ月たちました。とにかくけんか売るつもりはないのですが、これほど下手な設計はめったにありません。わかり難い動線、トイレの位置、案内の不親切、駐車場のわかりにくさ、建物とのつながり、エレベーターの位置、床の仕上げの貧乏くささ、上品さもはいりやすさも、便利さも何一つ好感を持てることがありません。何より、大人というか、われわれのような年齢のことは何一つ考えていません。

レオパレス

レオパレスがたたかれてます。この業界の人は「なにおいまさら。」という気持ちのはずです。「隣の屁の音も聞こえるレオパレス。」・・・いつも私が言うように、仕組みで金儲けをすることが目的ですから、経営陣は建物など見たことも、興味もないはずです。無知な地主にローンでアパートを建てさて、利益を頂、それを我が物にして、家賃の手数料管理料で利益を得るわけです。所詮2,3年の仮住まい感覚の建物ですから、いかにに安く作るかが仕事です。大きな企業は、経済だの経営だのとえらそうなことをいいますが、オーナーのために、いい建物を作り、喜んでいただき、ものづくりの対価として利益をいただくことが商いです。自社の利益と株主のために仕事をする馬鹿な会社が多すぎます。役所もどれだけいい加減かよくわかったはずです。公務員と呼ばれるやつら検査や審査をすることが茶番です。

情報でおなかいっぱい。

最近の社会は自然と多くの情報があふれ、ましてそのほとんどがどうでもよかったり、必要としないものばかりで、・・・これひょっとして、国が国民全部に、スマホを持たせ、いいようにいろんな情報を流し洗脳しようとしてるのではないかとさえかんぐります。すべてのマスコミもどうでもいい井戸端会議を垂れ流し、全うな仕事ができないコメンテーターなる元官僚や、議員上がり、まともじゃない弁護士、昔の名前で今売れない役者やアスリート・・・・・聞くに堪えません。悪者を見つけ総タタキ。自分はどれほど立派なのか?情報はそれぞれ自分がほしいものを自分でとりにかかるべきです。人からの情報、一方的な情報は疑ってかかるべきです。。

米軍基地

米軍にいらっしゃるアメリカ人のO様夫婦とお会いして、基地の中で食事をいただきました。少し前までは三沢基地にいらっしゃったようで、今は佐世保です。基地内はゲートを過ぎると、もうアメリカです。色も匂いも、音楽も、人も・・・・家を依頼していただければ、私のほうが勉強させていただけると思います。ハウステンボスワッセナー。にもお連れして、ご入居者の家をご案内しました。自分たちが作ったものをアメリカのご夫婦に見ていただき、高評価をいただくとうれしくなります。いい出会いからいい仕事をさせていただけるとまた力がつきます。

いい家とは。

「いい家はどんな家ですか?」という質問を受けます。私の答えは「住み手がいい人でないとまずいい家とはいいません。」できるだけシンプルなプランで、良質な自然素材を使い、広すぎず狭すぎず心地よいヒューマンスケールの空間であること。住み手の一人ひとりが自分のエリアが持てること。自分が好きで歴史を刻むことができる良質なものに囲まれること。過度の装飾と設備、安価な材料に囲まれると、品がなくなると思います。何より家は美しくないといけません。

体罰反対、暴力反対に反対。

今の時代、どんなことがあっても手を上げることはいけないと、みんなが言ってますが本当にそうなのか疑問です。もちろんだめな暴力は許されませんが、すべてをあくとする風潮はどうかと思います。われわれが育った時代背景と今のどこが違うのかよくわかりません。ゲンコツやびんたを親や先生にもらい、野球部では先輩からのしごきや、尻バット、正座で育ちました。みんなが大人で、ひとつのゲンコツのよしあしが判断できたように思いますが、今はその判断さえつかないのでしょう。相手が向かってきたら、今の時代甘んじて暴力を受けなければなりません。正当防衛という行為はもうないのでしょうか?ひとつのゲンコツより、たちが悪いいじめや暴言に、違和感を感じます。世の中きちんとした大人がいないせいか、幼稚な決め事が多くなりました。残念です。

泣いた一日

2年半前にお会いした素敵なアメリカのご夫婦から、仕事の依頼のメールが届き、その丁寧な文面に感激し、涙が出ました。こうして人とつながり、好きな仕事ができることが理想です。そして15年前のご入居者からクリニック開業のご相談を頂、家にうかがうと、歓待いただき、驚くほどきれいで、感激しました。またここの所休みもなく働く職人たちに雪が降っていたのであったかい飲み物を差し入れました。彼らは本当によくがんばります。夜は大阪なおみの全豪オープン優勝で感激して泣き、帰りにはNHKソングスで中島みゆきの歌でなぜか号泣。家に帰ると、爺さんや、親父おふくろの昔の写真を家のものが見つけ出し、胸がつまりました。この年になると、喜びや感激は泣くという行為です。

仕事ができてる喜び

独立して10年になろうとしています。いろいろな困難を背負わされながらのスタートで、戦いながら怒鳴りながらでもとにかくいいものは全力で作り続けました。決して安定しているわけではありませんがご入居者に支えられ、好きな仕事を続けることができました。これからも必要とされなくなるまでがんばります。うらみつらみをエネルギーに変えて動き回りました。今年もがんばります。

年取る過程

年をとることで現れる現象がわが身にも起こりつつあり、驚いたり、自分で笑ったり、落ち込んだり、・・・・まあそれでも動き回っています。なんといっても、小便が近くなり、夜2度3度おきてしまいます。太ってるせいでもあるのですが体が硬くなり、風呂上りパンツをはくのもふらつきます。同じ姿勢が続くと体がおわばったり、指先が痛くなったり、足がつったり大変です。畳に座ることは閥ゲームみたいなもので、立ち上がるのに一苦労です。体操するのも、あちこち痛くてぐねぐね、ばきばき音がします。なんと言っても薬の数が増え、血圧とか、胃の薬、目薬、塗り薬など持ち歩き、老眼鏡はあちこちにおいてる始末です。物を食うと、少しこぼす量が多くなったように感じます。少々のことでは驚かなくなりましたが、よく涙が出ます。「まだまだ後一花咲かすぞ。」というのですが、すべてを受け入れ無理せず年相応でがんばるほうがいいようです。若いときの行動はすべて、健康な肉体ゆえに暴力的だったように感じます。すべての年齢は初めて味わうのですからせいぜい楽しみます。

大人の礼儀

意外と、当たり前のことができない大人が多いようの思います。いちばんおおいのは連絡です。最近、仕事の報告、連絡が昔と違い少なくなっています。着手したこと、終わったこと、内容とともに連絡するのがきちんとした仕事です。いまどきその方法まではいいませんがメールなんかより、話すことです。病気などで仕事を休むときも、その症状、回復具合、頼みたいこと、甘えたいこと、を毎日連絡することが礼儀です。仕事に責任を持つこと、仲間への責任・・・・・。そんなこともできない人は上手に生きることはできても、一人で本物の信頼やガチンコ勝負の仕事はできないと思います。商売屋で育った私は大人たちから本物のお辞儀、本物のお礼、本物の甘えを覚えなさいと教えられました。そしてこびなくていい働き方をしなさいといわれました。大人はきちんと人に連絡できることが礼儀です。