時代錯誤の私。

時代の価値観にあいません。『イクメン」などという軽い呼び名で、父親が育児、家事をするそうですが、私には理解できず、親父というものは、世のため人のために、汗水流すことで存在感を示すものだといまだに思っています。社会の担い手であるべきです。多くの人と係わり合うことで人的財産を手に入れるのです。パソコンを通してのやり取りなどでことが足りるのであれば、たいした仕事や用事ではありません。今からは葬式も仏壇も、お墓もパソコンの中の世界に変わり、親戚縁者が一斉にパソコンを開けば足を運ぶこともなく、法事ごとは終わるようです。われわれの仕事も顔を合わせず、契約書類にそれぞれの言い分を書き、契約書を交わせば自分の仕事だけして、お役目完了となってます。みんなで一つの完成形を見るなどという価値観はないようです。すし職人も、修行を積むことは無駄で、ホリエモンが作るすしの専門学校で、1,2年勉強すればそこそこうまいすしが握れ、独立できるようです。世の流れについていけません。

足場が取れて

K邸の足場が取れました。二週間ぶりに現場に行くと多くの職人がてきぱきと動いています。オーナーも「足場が取れると、きれいですね。」というお言葉。いつも思いますが足場が取れるといろんな職人さんも自分たちの仕事の形がわかり、仕事にいっそう意欲を見せ、質問や会話も多くなり、丁寧になります。100坪の美しい住まいを作ってきたというプライドがもてるのでしょう。工務店の社長や棟梁も元気いっぱいです。オーナーと外構屋と私で、庭、車庫、塀などの打ち合わせをして終了です。ものづくりの一番楽しいときです。

時代が違うとは?

監視社会になり、街中にカメラがたくさん設置され、車にもドライブレコーダー、何かを見つけて、動画配信、その動画を見てマスコミが騒ぎ、好き勝手な評論、週刊誌はしつこくターゲットを追い回し、いじめの対象を見つけてみんなでこきおろす・・・・・。「昔は許されても今はだめですよ。時代が違う。」・・・・カメラのない社会がいい社会のはずが、カメラ設置を推奨し、時代を語って頓珍漢なことをいう恥ずかしい社会です。機械は進化させられても、ひとが怠け、堕落しているのですからいい世の中になるはずはありません。人間教育してから機械を与えればいいものを、馬鹿に機械を与えたのですからこんなくだらない世になって当然です。時代が違うのではなく、明らかに、人が違います。教養もなく、働かずして、楽しくその日暮らしをのぞむ人ばかりです。

名をなのるのが礼儀

「名をなのれ」時代劇の言葉ですが、今この言葉が必要です。自分の名を隠し、すき放題のことを言ったり、書いたりしている人たちは認めるわけにはいきません。内部告発などということを匿名でやることをよしとする意見もありますが、名を名乗って言えない意見は認めません。自分の子供にどんな教育をするかです。自分の名は伏せて、いいたいこといいなさいではないはずです。自分の名を名乗って意見を発し、討論ができ、相手の意見を聞く耳ももてるとおもいます。人としてまず最初の教育は名前を呼ばれて「はい」と言う返事をしたり、「小澤幹文」です。とはっきり名前を言えるようになることだったはずです。この調子では将来名前もいらず、行政が作ったマイナンバーだけになるかもしれません

 

夏らしい風景

広島方面に行く機会があり、錦帯橋によりました。一昔前は「金鳥」のコマーシャルの撮影場所で、日本の夏を感じさせてくれました。木組みの橋の下の清流では多くの子供が泳ぎ、釣り人もいます。山の頂上には岩国城・・・・好きな風景です。夜は広島です。戦争、原爆、オバマ大統領など平和公園は世界が見ています。もともと私の祖父母は広島から対馬に移住したそうです。暑い暑い夏ですが、夏らしい風景を見ることができよかったと思います。その場所に身をおいて感じられるものがあります。

過去帳

お盆の用意をして迎えました。毎朝手を合わせることと違う気持ちで、仏様とゆっくり話しました。家族で過去帳を開き、次にここに書き込まれるのは順番からいうと自分だということに気づきました。そして私のあったこともないひいじいさんは杢太郎、じいちゃんは幹造,親父は健次郎・・・・・字を見て、『木」にかかわってます。木の家を建ててる今の仕事は自分にあってるのかもしれません。仕事の足跡もテレビで紹介されたときのビデオを見ました。自分で言うのもおかしいですがポリシーを曲げず、いい仕事を続けてきたと思えました。それは家族も感じてくれているようです。

物を売る、腕を売る

物を売ることが商いの基本ですが、私や、職人などは、自分の腕を買ってもらうことで生きてます。不安定な仕事です。家作りにおいてこの二つは敵対関係になることも少なくありません。床材、タイル、家具、照明、アクセサリー・・・などお客様が気に入ったものをなんとか売ろうとするお店と、多くの材料の調和、バランスで。空間を作ろうとする我々。この二つが協力できればいいものになります。売り手のわがままと作り手のわがままがぶつかることが大半です。売り手は商品を買ってもらえれば作ろうとする空間に興味はないし、作り手は作り手の理屈でわがままを言います。その二つの調整も我々の仕事です。大手プレハブメーカはそのわずらわしさをなくして、すべてを自社で提供し、何種類かのパターンをオーナーに選ばせるやり方を確立しました。家をものとして考え、物売りになったわけです。

山根会長

苦笑するしかない態度や言葉ですが私は嫌いではありません。加計理事長や、佐川長官をはじめとする官僚、うそつき政治家、何より文化人面してえらそうなことを言うワイドショーのコメンテーターなんかよりよっぽどましです。周りに一人こんなじいちゃんが子供のころからいたのが昭和の時代です。周りにいた何百人もの大人たちが一番悪い。自分の情けなさを差し置いて、恥ずかしげもなく、告発などやるなあと思います。話し合いで説得できないから、嫌いだから、怒られるから、報復されるから束になって、ましてマスコミも味方にしてやめさせようとする図式は、卑怯なやり方です。この騒動は、「平和な日本」ならでは。

バトンが渡せない。

今も自分の哲学で家作りの毎日です。商売ではありません。どの職業も人が幸せになる手伝いです。政治家も、農業も、漁師も人が幸せになるために考え、動き、がんばるのです。それを自分の儲けのためだけになると、汚れた人になります。私の悩みはこの仕事を継承する人がいないので、バトンが渡せないことです。家はいつの間にか商品となり、建てるものから買うものになりつつあります。どうしようもない、情けない家は安いけど、高い利益率で売られています。だまし商売です。バトンを渡す人を探さないと素敵な家がなくなります。歴史を築いたからこそ重厚な家がなくなることを心配しています。

全否定

またマスコミはいじめのターゲットを見つけたようです。今度はボクシングです。なんだかんだいっても組織はいろいろあります。大人の事情、どうにもならんこと、自分の正義感・・・・・いろんなことと戦いながら生きていくものです。善悪で片付けられるほど単純ではありません。山根さんが決していいわけではないし、任侠の世界の考えの人のようです。でも彼をよしとし、組織は運営されてきたわけです。マスコミのように、正義の味方と、極悪人に、わけて、視聴率を稼ぐやつらもどうかと思います。殿様にしろ、政治家にしろ、役人にしろ、大会社の社長にしろ、やくざにしろ、権力を手に入れると、似たような立ち振る舞いになる人が多いようです。それを恥ずかしいこととは思えないのでしょう。功績も少しはあるのです。人を全否定することはフェアーじゃないですよマスコミの皆さん。