家は積水、車はトヨタ、職業は、大手企業か、銀行、公務員、間違いのない、人もうらやむ正統派の人生です。そこにたどり着くには、裕福な家庭に生まれ、いい教育を受け、受験戦争を勝ち抜き、資格試験に合格し、いい伴侶をもらわなければなりません。間違いない,安心感たっぷりの、人生です。わたしなんぞ、建築デザイン、輸入住宅などという怪しさたっぷりの職業で、いつなくなってもおかしくない不安たっぷりの企業に見えて当然です。ごく限られた嗜好の方が怪しげな魅力や、期待や、面白さで、依頼いただいてます。皆さん打ち合わせを楽しまれ、できて喜ばれ、家具、カーテン、照明、ガーデニングで、楽しまれ、どこにでもある家ではなく、存在感のある作品に誇りを持ってくださいます。「他と何かが違う。素敵。」という最高の褒め言葉をいただくには、怪しげな存在だといわれることをを受け入れることだと最近気が付きました。メジャーはある意味すごいけど、予測の範囲内です。安心感です。俳優で言うと、北大路欣也や佐藤浩一はいつも期待通りですが期待を上回ることはありません。、笹野高史の花咲爺さんに心躍ります。伊集院静も作家なのか、作詞家なのか、ギャンブラーなのか、怪しげで、怪しげで、その怪しげな視点で物を書くから魅力を感じます。とことん怪しげな爺さんになってやる。
ゴールデンウイーク
仕事をしながらも、車を走らせると、ゴールデンウイークの、雰囲気は味わってます。アポイントを多くいただき、打ち合わせが終わると、すぐ、見積もり依頼や発注連絡をしたいのですが、大きな会社やメーカーは八日まで休みだし、震災で、ないものもあり、せっかちな私はイライラします。毎年のことですが、この時期はデザインを描くことが一番です。そしてこの年になると、日本の会社は休みが多すぎると感じます。そして休みが多い会社ほど、利益も多く、給料もよく、お金の心配もなく、自分のために動きます。我々弱小物は、働くだけ働き、何とかやりくりしながら生きてます。心配事や、不安ばかりですが、変なやりがいと充実感、出会いが自分らしいと思ってしまいます。無理してたり、かっこつけたり、強がったり、しながら毎日、休むことなく、不安と闘い、人に喜んでもらおうと動くことが「働く」ということのようです。
舛添さん
以前からブログでこの人の発言に疑問を呈していました。都知事なり立ての時のあいさつで、「職員は残業はやめて、家族で晩飯食べなさい。」と挨拶してました。不況で、大変な時でした。「今民間もがんばってる。できるだけ働きやすい環境を整えるため、残業や交替で休日出勤をして、頑張ってください。民間にできるだけ寄り添い、お手伝いをして不況を乗り切りましょう。」くらいのあいさつが欲しかった。
政党を作った時も、「お金にきれいな政治」ということで、母親の介護だ、ゴミ捨てだとパフォーマンスが過ぎてました。政治家は決断力と、ビジョンです。金を作る裁量も大事です。使う裁量ではありません。権力を握ると、勘違いが始まるようです。公用車で別荘通いも、ファーストクラスで、スイートルームの海外出張も、もってのほかです。自分で稼いだ金じゃないのですから。国民、都民から預かってるお金です。
ムヒカ大統領ががなぜ世界から支持されるのかというと、我々の考えるリーダー像そのものだからです。それがわからない政治家は政治家になってはいけない。自分で、自分をトップリーダーと呼ぶ時点で、勘違い野郎です。
おかしな銀行
もともと金に縁が薄い私は銀行というものをよく思っていません。彼らの仕事はよくよく考えると、「立派な仕事」とは言えません。人の金を集めそれを高い金利で人に貸付、その利息で儲けるなんぞ、怪しからん商売です。最近では自分の金さえ自由にできません。いくらまでしか振り込めないとか、下ろせないとか・・・・・・・銀行は金持ちの味方です。権力の味方です。お金を取り扱う仕事は正義の味方でなければいけません。今回私の高齢者を抱えた親戚が、リフォームの融資を受けるのに、顔写真付きの身分証明書、自筆のサイン、謄本、所得証明、見積書、申込書に記入のうえ、銀行の窓口まで来いとはどういう上から目線か?その高齢者はある程度まとまったお金を預金してるお客様であるのに。これからの高齢化社会どう考えてるのか?字はかけず、認知も入り、免許所やパスポートを持ってない高齢者、意思表示できない高齢者はたくさんといます。いくら説明しても、何とかサインだけでもとか、証明できる書類を何とかという。とにかくお偉い人に命令された書類を集め整理し、それを提出するのがローンの係の仕事のようです。「お客様のおっしゃる通りです。でも決まりがあって・・・・・。」その決まりがおかしいと言っているのに。人として正義感を出せと言いたい。。お客が混んでイライラ待たされてるのに、カウンターの中で、、支店長や偉い人と思われる仕事せずへらへら笑ってるオッチャン達がいます。ありがとうございます。混み合いましてすみませんと、出入り口で頭くらい下げる仕事をしろ。税金で食う人、人の預金で食う人、魅力的ではありません。
悲しい議員、マスコミ
何とか大臣が熊本の被災地に入り、テレビ会議で、握り飯、バナナを差し入れてくれといった事がけしからんというニュースが流れていることに腹が立ちます。そんなことどうだっていいじゃないか、重箱の隅つついてる場合じゃないだろうと思います。そんなことや、不倫や、領収書あるなしなど、くだらないことしか議論できない、国会議員は即刻首。告げ口や、いじめを税金でやっていることは犯罪です。なにもできないやつは、熊本に入り、なんらかの役に立ちなさいと言いたくなります。今議員たるもの、何を決断し、どうするべきか、今何を行動するか考えなさい。ちっちぇえやつらばかりで、困ったものです。それを放送するマスコミも、自分では何もできず、人のふんどしで相撲取るやつらばかりです。握り飯とバナナくらい副大臣に、俺が送ってやってもいいですが。国会議員も、県議も市議も、税金でくわしてもらってる輩は、自衛隊や警察、消防の指示のもと全員熊本で汗水流しなさい。国民県民市民のためと日頃選挙の時言ってるでしょ。・・・・・・・私の素直な気持ちです。
人と絡む
JR,NTT、航空会社、電力会社、ガス会社、携帯電話会社・・・・・・・・何処も大きな立派な会社ほど、人の気持ちを逆なでし、ストレスを増幅する、コンピューターによる電話対応ばかりです。いろいろのケースで、番号を打ち、なるべく、パソコンで、操作し、どうしてもわからない人はオペレーターに、すごい時間待たせてつながります。そこでの対応もコンピューターと同じで、「わたしどもの決まりではこうなってます。」「それ以上は何も言えません。」困ったこと、相談、クレーム、どれもそれ用の係がいて、電話を録音し、お客様のために何とかしようなどという輩は誰もいません。これが就職したい会社の上位だというのだから、将来この国に多くは望めません。高齢化社会に逆行する世の中に怒りを覚えます。困ってる人に寄り添ったり、何とかしてやったり、人と人とが絡んで起きる人情や、義理や、やさしさや、説教、そんなものが必要です。「必要悪」は切り捨てられていきましたが、人と人があんばいよくものをおさめることが人間の優れたなせる業です。誰かを犠牲にしてはいけませんが。
東京行きの新幹線を途中で降りてすぐ、大事な忘れ物に気づき、電話して、何号車のなんという座席でした。すぐ見ていただけないかという連絡にコンピューターから、オペレーターにつながるのに、一時間かかり、挙句の果て、「探すことはしてません。」「もし東京駅に連絡し、届けがあれば本人が東京駅に取りに行くか。本委任状を持った人が取りにきてください。」という事でした。いろいろ言うと、「それ以上は答えられません。」というばかり。しつこく電話すると、二転三転し、家族ならいい、いやダメだと自分たちの決まりさえ、把握してなくて、半日を要し、挙句、息子が東京駅に行ってくれたら、遺失物を、遺失物係がどっかやったという、コントみたいなことまでおこり、散々でした。客を客とも思わない口のきき方、対応に血圧は上がる一方です。
母を亡くしました。
15日夜中1時、母の入院先の病院から電話があり、すぐ走りました、心拍数や、呼吸も弱っています。ありがたいほどの看護をいただき、朝方7時半ごろ、永眠です。苦しみもせず、親子二人で、最後に6時間ほど、過ごせて幸せです。家族、特に娘は驚くほど、よく動き、さばけた采配を振るってくれました。おふくろから、人のために働くことの大切さを教わり、それが私の子供にも、つたわり、今があります。誇れる自慢の母です。わたしは見舞いに行くわけでなく、自分が苦しい時、迷った時、困ったとき、顔を見ることで、決断ができてました。還暦でも、マザコンです。さみしいです。でも子供たちや周りに頼りになる人がたくさんいることも、よく,わかりました。母が店で働いた70まで、わたしも必死で頑張ります。葬儀が終わり、母から、すぐ事務所に戻り働きなさいと言われそうで、事務所に来ました。明日から仏壇の母と話しながら、仕事を再開します。
依頼され、動き回り、喜んでいただき、人が寄る幸せ
今多くの仕事をさせていただき、平田とともに正直、やや体は疲れています。気持ちは充実してます。50と60のおばさんとおじさん二人には忙しすぎるという人ばかりです。不思議と一度何とかしてやり遂げると、次は大変とは思わなくなるものです。依頼される充実感。喜んでいただける充実感は何よりの栄養剤です。人の役に立ててることを実感し、つつましく、元気よく好きな仕事ができることが何よりです。それでもやや遅れ気味の対応になっていることもありますがご勘弁ください。最近事務所に人が多くやってきます。うれしいことです。都合よく儲けるために来る人を除けば、多くの人に我々の仕事に協力いただいています。仲間が増えることは何より心強いものです。「前向きのプラス思考集団」が理想です。ごみ片づけ、ゴミ捨て、掃除・・・・・・やれることは何でもやろうと平田と話してます。残念ながら、事務所まで手が回らず、事務所はごっ返し、散らからってます。よく書類がなくならないもんだと変な感心をしています。探すのにやや時間は要しますが・・・・・・。
ムヒカ大統領
ひさしぶりに、素晴らしい報道を知り、演説を聞きました。ウルグァイの世界一貧しい大統領という見出しが躍ってますが、真実は「世界一本物の大統領」です。ドイツと同じようにインド人がみな車を持ったらどうなるんだという質問から、発展することだけに目を向けづ、人の幸せな暮らしというのは、発展して多くのものを手に入れ続けることではなく、必要最低限のものがあれば貧しくはない。貧しさは手に入れても手に入れて満足しない人のことだ。まったくその通り。国民と同じ暮らしを望み、身近に寄り添うことは、権力や特別が当たり前の西側先進国が一番欠けてることであり、恥ずかしささえ感じました。
人間というのは根本的に何も変わっていません。テレビではありますが、「真田丸」をみても昔も今の政治を見ても、権力争いの人間の愚かさしか感じません。ムヒカ大統領の、言葉と表情は我々をひきつけます。人と人との本当のふれあいや助け合いは「欲の上には成り立ちません。」震災の時に感じた暮らしに「保育園落ちた日本死ね」と書けますか?、ましてそういう馬鹿な親やそれを政治の争点にする大馬鹿な政治家や政府をみんなでキャンセルして、ムヒカを今こそ、日本のリーダーに迎えたいと本気で思います。金や物が主役の世の中から人が主役に、そしてバランス感覚を持ったリーダー、本音で人を語れるリーダーが必要です。
よく考えなさい。昔はおじいちゃんおばあちゃんに子供を預け若い夫婦は働いてました。なぜ今保育園を税金で作り、保育士が足りるの足りないの、給料が高いの安いの、バカみたいな議論です。今はお年寄りが昔以上にいます。子育てのプロばかり、経験者ばかりです。預けましょうよ。躾けてもらいましょうよ。「他人にはちょっと・・・・?」保育園も他人でしょ。自分で考え動き、自己責任で物事が解決できないバカ親に育てられtるより、ずっといい。
風景にならない建物、
ハウステンボスワッセナーでの多くの仕事はとても光栄であり、何度行ってもついつい、いろんな街の表情に、カメラを向けてしまいます。旅先でも、東京駅や、門司港駅、国会議事堂、富士屋ホテルや奈良ホテル、各地の寺院仏閣・・・・・・カメラを向けたり、画家が絵にしたり、建築は美しいものでした。色やバランスや装飾やルールある芸術でした。今の多くの建物は無機質です。誰も多くの新幹線の駅に美しさも、なにも感じません。写真家や画家が風景に取り入れるどころか、邪魔と思われているものも少なくありません。今では写真家もデジタル、建築家もキャド。ビルものっぺりとしたガラスと、鋼板の巨大プレハブです。住宅もそうです。プラスチックなど石油化学商品に覆われたプレハブ小屋をデザイナーズハウスなどとコマーシャルして安い値段で売ってるからです。何度も言うように家は売り買いするものではなく建てるものです。街並みの美しさに寄与するべきです。残念ながらプレハブの街に、同じ顔のロボットが闊歩する時代も遠くないようです。人力や指先が生み出す芸術は、なくなり、化学と科学で物は供給されそうです。子供のころから美術、図画工作、技術、音楽、体育・・・・・人の感性や能力や感覚の勉強は何となく、理科や数学や英語より、下に見られていたように感じてました。入試科目にもないし。我々は一番いい時代を生きてきたように思います。今からの時代建築家は必要なくなり、設計士がいれば事足りる時代です。さみしい限りです。