気配

わたしは事あるたびに、いろんな人の気配を感じます。うれしいことがあったときは、おふくろの気配を感じ、悩んだときは励ましてくれていた叔母の気配です。苦しい時は助けてくれてたじいちゃんの気配を感じます。多くの大切な人の顔を思い、名前を呼んで仏壇に手を合わせるからでしょうか。 物を作る仕事をしてると、いいオーナーに出会 い、いい仲間に支えられ、いいひらめきが下りて、思いのほかいいアイディアがわいてきて、力以上の作品ができることが何度かありました。大げさに言うとそれからやや人生が変わります。少しうまくなるのですが、また悩み苦しみ、何とか恥ずかしくないものに仕上げていると、また突然いい作品が出来上がります。そんな時昔の恩師や先輩の気配を感じます。 気配とは言わないのでしょうが日頃は何も感じてないようなあるシーンが突然頭に浮かんだりもします。人は自分の人生にかかわった人とずっと一緒に生きてるんでしょう。 そして、プライドや誇りや,自信、反省や、懺悔、悔い・・・くりかえします。これこそAI,デジタルと人の差ではないのでしょうか。 アスリートだけではなく、人の伸びしろは無限のような気がします。AIで人の能力の可能性を止めてはいけません。そして私がいなくなっても子どもだけでなくかかわった人が私の気配を感じてくれるような生き方をしたいと思います。