わたしのじいちゃん

わたしは対馬という 国境の島で生まれました。漁師町です。祖父母、両親、親戚一同みんなで商売をしてました。おふくろと叔母二人は食糧品店と仕出し屋。叔父は建材店、おやじと叔父二人は貨物船。じいちゃんは村長さんでした。最近、みんなから私がすごくじいちゃんに似てきてると驚かれます。いいにつけ悪いにつけ容姿はもちろん、しゃべり方から話す内容まで、こうも似るかというほどらしいです。理不尽なこと、腑に落ちないことを人にはきちんと注意しといて自分のこととなると、「おれはこれでいいとぞ。」「男はこれでいいとぞ。」と・・・・・・・・・・。一言でいうとすごいわがまま爺さんということです。

よくおこり、よく笑い、仕事が終わると、みんなに「えらかったのー。」というねぎらいの言葉は欠かさない人でした。「女も好きな人だったねー。私が知ってるだけでも二人おったよ。」と叔母が言ってました。死ぬ間際、おふくろに、「文子よ。苦労かけたのー。自分の親は看病できず、わしらの世話をさせて、嫁とは悲しいもんじゃのー。」おふくろは、この一言でいろんな長い苦労が吹っ飛んだといってました。じいちゃんは家長としても、村長としても、子供心に一目置かれているように感じてました。周りの叔父叔母も含め大人たちを、得体のしれない物を好んで食べ、話し、喧嘩しながらも同じところでよく働くなーと思ってました。今思うと、子供の成長過程において、大人は得体のしれんものでなくてはならないと思います。今の親は子供とほとんど変わらないレベルで、子供が子供を育ててるようです。村長として爺さんが小学校の卒業式で話した言葉です。「えらい人間にならんでいい。立派な人になりなさい。そのためには、人のために懸命に生きなさい。それができてない大人は万が一金があっても醜い。」今もはっきり覚えてます。

わたしの生まれ育ったところ