年齢の魅力

私どものオーナーは意外と幅広い年齢層です。輸入住宅など一般的には「しゃれた家」という印象で、高齢者にはうけないように感じますが、ステキなお客様が多く、現在、施工中や打ち合わせ中のオーナーは75歳、78歳、83歳、リニューアルのお客様は68歳、60歳です。魅力的な人生を歩んでこられて、われわれの作品に共感いただいたり、打ち合わせや、その過程に興味を示していただけます。「創る」という感覚が好きだと言っていただけます。話し合うことやご入居者案内が大好きのようで、ご入居者同士のお付き合いが始まります。今までの経験や、発想や、チャレンジ精神には我々が驚かされます。「買い物はもうしたくない。プロと一緒に自分たちが快適に住む家を創りたい。」「家でもあり、棺桶でもある。」という方もいらっしゃいました。この年齢までバイタリーにあふれ、前向きな考え方をお持ちで自分も楽しみ、人も楽しませていただける方に出会えていることに感謝します。 年を重ねた魅力は、若さにも勝るように感じます。私もそうありたいと思います。

 

息子の誘い

 息子が私をアメリカに誘います。1年以上言い続けています。「もうそんな働かなくて、体が動くうちに俺が連れて行くから。」サンフランシスコか、ワシントンに行きたいと言ってたのを聞いていたのか盛んに誘います。私は親父とお袋を正月、温泉に連れていくことを13年続けました。息子としては自分が働くアメリカに我々家族を連れていきたいそうです。一人前になり頼りになる長男です。仕事も自分の家族も我々もみな大切にしてくれます。グローバルに物事を考えられるように見えます。私が勉強させられます。我々のオーナーの家具や、照明など輸入業務も手伝ってくれるし、福岡に時々着て、パソコンなど自分たちが苦手な分野をうまくやってくれます。東京出張の時はコーディネーターなど羽田まで迎えに行ってくれます。紹介や家の案内にも積極的に力を貸してくれます。小さい時から私にはもったい子供たちです。家庭を顧みず働きっぱなしでしたが、背中を見せる昭和の親父の子育ても今どきのべたべたした親子関係よりいいかもしれません。

 

くだらない選挙

 選挙などに現を抜かす場合ではありません。毎回毎回同じように、当選するには何を語り、何を攻めるかしか考えていない人しかいないのだから選挙など何度やっても意味がありません。もう議員など変な人がやる仕事でしかありません。「弱者にもっとお金を。」とみんな言いますがその連中が居眠りしながら多くの報酬をもらい、裏金を作るのだから笑います。その金をくれてやればいいのに。何も知らないのに、お笑い芸人や、コメンテーターが「裏金ばかりじゃなく政策を聞きたい。」という人がいますが、聞いても知識もなく、勉強もせずに理解できるはずもありません。、議員さんはいいことを羅列するだけです。。選挙はしごとするのが嫌いな人の陣取りゲームという博打ですから、好きにやらしとくしかありません。大の大人が恥ずかしいことやってるなと笑いながら見ることにしています。彼らを無視して自分の仕事で世の中の役に立つように頑張り続けることです。何度も言いますが議員は自分の仕事に誇りを持った人がボランティアでやるものです。弱者に飴を与えるより、頑張った人をたたえる社会が必要です。今こそ「国が何をしてくれるのではなく、自分が国に何ができるかだ。」この精神が大事です。

 

あなたたちが

パワハラ、セクハラ

今更ですが、セクハラやパワハラをはじめとするハラメントという概念がいまだ私にはわかりません。よくコーデネーターが「私が30年受けたパワハラ、セクハラは訴えたら何億かになると思いますよ。」と冗談めかして言いますが、そのハラスメントを受けた30年が彼女を一流のコーディネーターに育て、働く厳しさ、価値観を身に着け、本音で自分の言葉を吐きます。そしてハラスメントで守られ、それを武器にしてるあまちゃんたちを叱ります。人の中身を推し量れず、表面しか見えないかわいそうな人が増えていきます。理不尽なことがあふれているのが世の中です。そこで生きていくにはまっすぐな考えを貫くことです。ハラスメントという価値観は世の中をよくするものではありません。

 

信頼が大事

私はどうも同業者や、関連業者に厄介な人と思われてるらしいです。「まあいいか。」という仲間意識や、自分のポリシーを曲げることが大嫌いだからです。おかしなデザインや、違った考え方には断固話しあいます。オーナーの希望だからとか、業者の都合があるからとか、素人の協定委員会の言う通りにしないと許可が下りないからとか、・・・仕事や金儲けが第1ではありません。軽蔑します。多くのオーナーは私がその程度のデザイン屋なのかと失望され、信頼を失います。我々との家づくりをしたことで、喜び、プライドを持ってる人が多くいらっしゃいます。この人たちを絶対裏切ることはありません。人は好きでも腕や家づくりの考え方が悪いと仕事は一緒にできません。地方の小さなデザイン事務所に仕事を依頼いただくには、作る作品が全てでおべんちゃらやお世辞など何の役にも立ちません。今日は出張で東京です。石破さんがっかりです。

 

対馬での作品

40年近く前、設計事務所にいたころの対馬の学校と体育館の写真です。。ただ社員として何のポリシーもなく設計してました。役所の仕事です。作ることで一生懸命でした。住宅はいとこの家です。外観は和を感じられるもので、まさに当時のプレハブのすまいです。先日いとこから写真が送ってきました。40年たっても住みやすく満足できる家で、対馬においてはしゃれた褒められる家らしいのです。やはり家はオーナーと作るもので、いつまでも話ができます。ビルや役所の建物や「担当者」」と作るものは誰のために作るのかわからなくなります。私は住宅のデザイン屋で生きることが楽しいと感じ、住宅一本で頑張りました。写真まで送ってくれてうれしく思いました。住宅を作りつずけます。家づくりは人が主役です。アナログです。 しかし40年前は「下手」で恥ずかしいです。

 

 やはりまっすぐ生きたい。

面と向かって話し合いや、討論ができない人は役職や地位だけが頼りのようです。ハウステンボスワッセナーの協定委員会の爺様たちのことです。逃げて隠れて困ったもんです。そんな連中に自分の家だけよければいいというスタンスで手もみして、正しいことから逃げようとする人も軽蔑します。水戸黄門がいたらゆるしません。 懲らしめてやりなさい。というでしょう。。まっすぐ自分に恥じなく生きることができない人はしょせん魅力もない人生しか歩めません。間違ったことをしてるという意識が持てず、今後この町は老害であふれることでしょう。正しく是正できないのですから皆で笑いながら「おぬしもわるよのう。」ですべてのものごとをすませるのでしょう。私はまっすぐ生きたい。爺さんからずっとそういわれて育ちました。この人たちの子供はしつけと教育が行き届いていないはずです。

 

いろいろあります。

能登の大雨は気の毒でなりません。大の里の優勝は能登の人に元気をわずかでも与えるでしょう。のんべんだらりと口だけ議員が総裁選やってる場合か。腹が立つ。どんどんいやになります。昨夜福岡もかなりの雨、雷、風でした。朝、東区の現場を見に行き、何も無く安心しました。大谷は相変わらず大活躍で、元気をもらい続けます。先日50,50のお祝いで贅沢して水炊き食べに行きました。同じような人たちはたくさんいたようです。私は久しぶりにアパートの計画をしています。多くの仲間に今の仕様などを聞いてがんばっています。コーディネーターは水巻のカーテン、家具の提案打合せ、わかぎ台の現場管理、東京のリフォーム2件のキッチンを中心とした提案中です。今日は息子が東京からきて、パソコンを新しいものにしていろいろ使いやすくしてくれるようです。娘は香港に行っています。メールをたくさんくれます。私は体が老化の一途ですが、薬と注射でなんとかごまかしながらがんばっています。好きなことを仕事にしてもっとやりたいという気持ちがエネルギーです。

 

正論をはけない連中

自民党総裁選はあほらしくて見てられません。国民は議員と違い自分の損得だけで物事を考えません。きちんとした正論を待ってます。議員は誰につけば当選しやすいか、大臣になれるか、お金をもらえるかだけで決めます。候補者も国民の所得を格段に増やす。とか裏金は今頃になって、返せ、説明しろのオンパレード長柄、条件をつけて票をとり逃さないようにしています。姓をどうするこうするとかどうでもいい。沖縄に行けば沖縄でこびへつらう言葉のオンパレードにへき、へきします。働いてがんばって所得は上がり、人が認めてくれて仕事をいただけます。政治で国民の所得を挙げるなど、嘘八百。統一教会と安倍さんの密談など、日常茶飯事のことで、国民をだまし、自分たちの私利私欲を増やすための言葉や決め事を作るのが国会議員です。自分たちを守る法律に守られていますが国民であれば、懲役刑ばかりです。

勘違いは罪

よく人は自分の立ち居地がわからなくなります。ワッセナー協定委員会の連中がそうであるように、自分たちのことだけ考え物事の仕組みを作り、無知や知識が無いことは『素人にもわかるように資料を出せ。」とえらそうにいいます。。素人にわからせる方法などありません。。甘えるな。そして社交的と呼ばれる人ほどいろんな話を聞いたり、情報を得たりすることで、ひらめくことがあります。でもそのひらめきていどでは何一つ成就せず、次々と手を染めてはやめてしまいます。自分もできそうな気がするのでしょうがそんな甘いものではありません。プロの仕事はそれなりに苦労して日々がんばってこそできるもので、素人が簡単にできません。組織や役職や偉い人の子供、妻の立場の人が自分も力があるような錯覚に落ちいるようです。自分はどうすべきかをよく考えることです。ある奥様が『がんばってる主人のお世話をさせてもらうことは幸せなことです。じゃませず、自分のできることだけを精一杯やってます。自分が軽く見られないようにしないと主人に迷惑をかけます。』このご夫婦が大好きです。自分の能力や知識にあったふるまいをすべきです。少なくとも社会に向いた仕事が無くとも主婦のプロとしてのプライドはだいじです。