人を見る目

最近になって、少しは人を見る目ができてきたように思います。表ずらの言葉や、肩書や学歴や履歴や・・・・・・そんなものではない、自分の目で見て感じる事、行動、仕草、さりげなく発される言葉で、ひきつけられる人がいらっしゃいます。こんなお客様に頂く言葉や心遣いに幾度となく感謝し、大事にしようと思ったことかわかりません。わたしたちがわたしたちらしく活動し続けることを望んでくださり、利益をきちんと請求してるか、無理した仕事をしてないか、体を無理してないか・・・・・いつも気がけてくださいます。スタッフブログに書いたようにこんなに素敵に楽しく住んでますという写真やメールもいただきました。私達が好きなお客様はお客さまも私達を大事にしてくださっているのがよくわかります。

「小澤が建てた10の家」の中で5物件ほど手作りの動画を作りました。修正もありますがぜひご覧ください。

 

理屈より修業

弟子入りして、覚える仕事は、人も磨かれます。修業をするとは、お金を払わず、貰わず、信じて仕えることです。いまどきはわずかながら小遣い程度は貰うようですが・・・・。私も大学出たての時、設計事務所で、毎日終電、月7万ほど頂いてました。怒られながら、「必死で働いて覚えろ。ドクターストップは俺がかけてやる。」といわれたものです。7年間休みは正月を含め年10日でした。板前、落語家、大工、左官・・・・・・・自然と修業を経験した人が周りにいます。修業を積めば少なからず、運、不運で仕事を語りません。理屈が先に出ません。世の中の理不尽さも修業で乗り越えられます。学校で教わる、哲学も、経済も、法律も世の中では無力です。バカができるかどうかのほうが大事です。理屈や自分の意見や悩みや不満など、語るときは修業を終えてからです。そうでないと人は聞き耳を立ててくれません。寄ってきません。「いつまで自分探しの旅を悩みながら続けるのですか?甘えるんじゃない。」伊集院静の言葉です。

娘も修業の5年間が終わったようです。よく頑張りました。素敵な大人になりました。師匠と患者さんが育ててくれたようです。でも意地になって泣きながら休みの日出続け、レポートを書き提出し続けた、娘を誇りに思います。医療に携わる人としての謙虚さに感心してます。先日贅沢して、娘とやま中で寿司を食べました。大将、握っている人、作業着に名前のある人、まだ名前がない若者・・・・・厳しく暖かく怒る職人、、必死で動き回る見習い・・・・・「お父さん見てて素敵やねー。おいしいはずよ。みんな理屈じゃなく修業してるもん。私あの若い人応援したい。」確かにカウンターの中のやり取りが微笑ましいのです。エラそうながら、見て感じることができるようになったとうれしく思いました。基礎の修業が終わった娘は、もう大人です。

新しい出会い

いつもお世話になっている百道浜のU社長を介して、同郷の大先輩で成功者であるA代表と出合うことが出来ました。大事な大事な出会いです。指導を仰ぎながら頑張ります。謙虚に、人を大事にされてる姿は特に見習うべきところです。当たり前のことを当たり前にやることの大切さを感じました。

先日から弥生が丘の土地を探されていた東京のM様が来福され、出たばかりの土地に申し込みをされました。奥様やお子様も急きょ土地を見に日帰りでお越しいただきました。楽しいご家族です。弥生が丘の初期に歯科医をはじめられた我々のご入居者のU様に突然伺い、弥生が丘のいろんな情報をレクチャー頂きました。感謝です。M様とU様の新しい出会いも有意義だったようです。

私は家づくりを通して、たくさんの素晴らしい人と出会えてます。財産です。新しいいい出会いがあるたびにそう思います。

A代表自宅

 

自分の力が付くとき

毎日、日課のように夜、反省や、これからやらねばならぬこと、困ってること、うれしかったこと平田と話します。それぞれの知恵を出し合い、調べ物をし、何か一つでも身に付けようともがきます。今もこの時間が二人の勉強会であり、ともに力が付いているように感じます。自然と毎日繰り返す時間です。振り返れば、仕事をし始めて先輩や上司にくらいついて、彼らが帰るまで、12時でも1時でも見て聴いて動いて修業してきたように思います。自分も平田も、とにかく狂うように働きました。平時の仕事の時間が終わってから、修業の時間でした。自分の作品が作りたい、負けたくない、喜んでもらいたい、・・・・。必死でした。今少しだけ余裕をもって時間が仕えてます。いいことか悪いことかわかりませんが、30年余り、周りの誰より動き、修業したという自信だけはあります。修業が修業を生み、雪だるま式に力がついていくことが面白くなります。感性や知識が豊富になれば新しい発想がうまれ、一つ上の修業がしたくなります。みんなプライベートとやらを大事にするようですが、仕事ができない人の言い訳にしか聞こえません。私は休むことが苦痛であり、もったいないと思いながら修業してきました。みんな大したプライベートなど持ってないはずです。マダマダ会社や人や世の中に食わしてもらっている人たち、死に物狂いで修業しなさい。自信が持てる自分を修業して作りなさい。人のためになる力をつけなさい。いつやるか?今でしょう。     今10時半、今日の修業は早めに終わります。

泣いてます。ありがとう、背番号3そして55

わたしにとって長嶋は、特別な存在です。国民栄誉賞なんてどうでもいい。長嶋が野球場に詰めかけた満員のファンの前に立ち、手を振り、愛弟子の松井を従え、バットを手にした事がうれしくてなりません。必死のリハビリを重ねていると聞きます。言葉が不自由でなければ、饒舌にファンが喜ぶコメントを語ったでしょう。身体が動けばファンが盛り上がるパフォーマンスをしたはずです。頭では、やりたいことしゃべりたいことたくさんあった事でしょう。悔しくもあったはずです。それだけに今日の松井は立派でした。言葉、行動がみんなの感動を呼んだはずです。長嶋を師として敬い、感謝を述べることで、これから長嶋という重い名前も背負う覚悟をしているように思いました。近いうちに日本の野球界の太陽が長嶋から松井に受け継がれてゆく儀式だったのかもしれません。

徳光さんと同じくらい泣きました。長嶋はやはりかっこいい。様になります。松井はあの年で誰より大人でした。恥ずべきところがない大人のいい男でした。見習うところが多くありました。みんな何か松井から学び、長嶋にお礼を言ってるはずです。そしてみんな泣いているはずです。

以前から感じていたことですが、レスリングの吉田選手には好感が持てません。アルソックでひどくなる衣装と踊りには嫌悪感さえ感じます。、バラエティー番組での軽々しい発言・・・・・・・。国民栄誉賞は勝ち続けたからもらえる褒美ではなく、日本人として、謙虚で、身をただし、世のためにつくし、恥じることない生き方をして、国民のリーダー、模範となるべき人がもらえる偉大なる賞であるべきです。

ビフォーアフター

私が大嫌いな番組です。最近住宅会社やリフォーム会社がこぞってビフォーアフターの写真を掲載し、「これだけきれいになりました。これだけ変わりましたすごいでしょ。」みたいなことをやってるようです。そんな会社や人に限って大した事やってなくて前との比較をしないと大した空間が作れないのがばれるからかもしれません。前がひどければひどいほど都合がいいのでしょう。テレビ番組として、覗き見趣味の人には受けるのでしょうが、なぜビフォーが必要なのかわかりません。我々の仕事は、新築であれ、リフォームであれどんな条件であろうとも、どれだけオーナーが満足いく空間を作れたかということです。出来たもので評価されるべきです。ましてお金をいただいてるオーナーにはビフォーを見せる必要も語る必要もないはずです。

顔や体の整形手術のテレビや雑誌のコマーシャルと同じです。これだけ醜かった人がこれだけきれいになりました。痩せました。だからなんだとしかコメントしようがありません。「新築そっくりサン」・・・なんじゃそら・・・・・。「金出して所詮、新築のバッタもんかい。?」もう少し品のある方法で品のある仕事をしてほしいものです。新築が上でリフォームが下でもありません。中身、味、風合い・・・・見極める目が大事です。

「若いころ親がお金を出して買ってくれたこの家を崩して立て替えていいもんだろうか?新築はできるが、どうも何か引っかかる。」「ご夫婦が希望されてる家はリフォームで立派に実現できます。終の棲家として、明るくリゾート感あふれる空間を作りましょう。」出来上がったのがこの2例です。ビフォーなんて見せる必要も語る必要もありません。たいそうな理屈より、何ができあがったかです。

まずは我が身から

いろんなことを多くの人の応援で乗り越え、やっと4年半です。先日年金から電話があり、「社会保険の説明にはどこに伺ったらいいでしょう。」「別に頼んでませんけど。今はいろいろあり役所と話して、国民健康保険と国民年金ですが。」「法人なんで○×○×○×・・・・・・」上から目線で、自分たちの言いたいことを言い、都合が悪いと、それは我々の管轄じゃないので自分たちにいわれても。という論理です。切れました。言ってはいけないと思いつつも年金問題はどう片が付いたんだ。まずはその説明がみんな納得できるようになってからだ。わが身を正してからひとにむきあうべきだ。・・・・・・・・・

自分も含めて身をただし恥じることない仕事、人生にしなくてはと思います。非常に細かいメンテナンス要求も、きれいに、大切に生活いただいてれば、納得もでき、速やかに動きたくなり、点検も積極的に行いたくなるものですが、家が大事にされてなければ、ひどく散らかされたままの生活だったらさみしくなりますし、合わない空間を作ったのかと反省もします。施工中から我々が掃除や整理整頓をして、家を大事につくっていくことからはじめないと、それを引き継いでいただけません。我々が養生を細かくして傷つかないように、汚れないようにと気を付けなければ、それを引き継いではいただけません。我が身から正していこうと改めて思っているところです。社員、大工、職人・・・・・作り手みんながわが身を正す、恥じることない仕事をしてほしいものです。

修業

GWに入りました。楽しい打ち合わせの日々になりそうです。この時期、お客様を楽しませる時間を与えてもらえることに感謝します。楽しませてもらうより、楽しませるほうが性に合ってます。この仕事は人に夢や希望を与えながら、形を作ります。直接人の役に立つ仕事です。そうなるためには修業が必要です。人のためになる仕事が一番の目的である以上、修業は欠かせません。若者が修業することなくひらめきやアイデアで居酒屋をやったり、古着屋をやったり、ラーメン屋をやったりする商売には心ある大人は入りません。ひげを生やしやや汚らしく頭にタオルを巻く連中のことです。若い未熟な大工や職人を安い値段で雇って安い家を提供する住宅会社は、利益追求のための家造りです。発展途上国の人を驚くほどの低賃金で雇い、先進国のスターに高額の金をつぎ込み広告の力、企画の力で売る洋服屋も同じようなものです。そのへんの兄ちゃん、姉ちゃんをやとって全国展開してる居酒屋チェーンにはそれなりのお客しか入りません。人の迷惑も考えない酔って大声でしゃべり笑う品のない客のことです。接客どころかしつけもされてない覇気も夢も感じられない若者や中国人に汚く汚れた、清潔感のかけらもない制服を着せ、仏頂面で商品をビニールに入れさせるコンビニ・・・・・・そういうお店は「ありがとうございました。」ときちんと声に出し、おじぎすらできない輩ばかりです。その経営者連中が日本の経済界の上に立つ人と呼ばれマスコミでもてはやされてるのを見ると、日本も品のない国になったなーと思います。技術の鍛錬、修業が人を作り、接客も身に付き、味のある人が味のある商品を作り、それを提供してお客さんに喜んでもらうことができるのです。そういう考えの仲間たちといつまでも家づくりをし続けたいものです。いま日本に足りないものは修業です。伊集院静の言う、「修業を重ね、接客を重んじる品のある寿司屋には品のある客が礼儀をわきまえ食べに来る。くるくる寿司は給食センターだ。」納得です。未熟な自分を認めることから修業は始まります。

まだまだ知らないことだらけ

先日ご入居者から、逗子の高級別荘地披露山を教えていただきました。長い歴史があるようですが文化人の別荘が多数あり、いまだ高級感は失われてないようです。近いうちに行ってみようと考えてます。ハウステンボスのワッセナー、湯布院東急、ラーベンコロニー等身近な街並み以外を見てみたいものです。今、信州松本に福岡からFDAという飛行機が飛んでいるようで、上高地や軽井沢にも行きたいと思います。蓼科も興味があります。そこそこの文化や風土を入れ込んだ街並みを見ると、何か閃いたり、刺激されたりしそうです。北海道はずいぶん前ですが行く機会が多く、らしい街をずいぶん見てワクワクしたことを思い出します。

アメリカのインパクトが強すぎて、ここ10年日本を見ていません。まだまだ知らない場所、知らない人、知らないもの、しらない話・・・・・・自分から出かけ見つける動きをしようと思います。

 

 

中国のドラえもん、

今まで、長い住宅デザイン生活の中で私がデザインした家を、安価で建てるという業者に託したオーナーが10件近くいました。頼むほうも頼むほう、建てるほうも建てるほうです。人として恥ずかしくないのかと思います。我々はオーナーと話し、デザインし、喜んでいただけるいろんな思いを図面に織り込んでます。その精神が見えず、安く作ろうとする施主、表面だけ真似して作るポリシーもなにもない下手な施工屋、結果、中国のドラえもんが出来上がります。中国のミッキーマウスが出来上がります。似ていて非なるものならまだしも、笑いものにしかなりません。カンニングしていい点とっても、一時的なもので、自分の知識や学力にはなりません。大人の流儀に反する行動です。心無い施主の家は建てたくありません、ハイエナみたいな施工業者には関わりたくありません。現にそんな家は「プッ」と吹き出しそうなできばえです。興味ある方はご案内します。