誰のための仕事かという概念が抜け落ちてることが多くなりました。住宅でいうと、自分たちの都合ややりやすさ、保守的な考えから抜け出せないところも多く、オーナーのほうを向いて前向きにやることが仕事であり、その経験が力をつけるということになります。町の行政も、役人や議員や、学者、地域の大会社の経済人で、物事を決めてます。だから市民がわくわくして待ちわびる仕事が見当たらず、いつの間にかへんてこりんなものができるのです。市民を巻き込んで討論し、アイデアをいただくこと、デザイン屋を使うこと、大きなランドスケープをまず描くこと。考え直してほしいものです。昔、私が離島の小学校、中学校を担当した際、小学生、中学生に意見を聞きました。彼らの建物なんですからどんな学校がいいのかたずねるのは当然です。福岡市の大人のエゴだけで作った学校はみっともなく、どこも一緒で、刑務所よりひどい建物で夢や希望もわきません。デザインが欠乏してる町福岡。
カテゴリー: 福岡の輸入住宅
交流
最近住宅建築関係の会社の人が事務所を訪ねてこられる機会が多くあります。私のデザインに興味を示してくださることは光栄なことですが、金儲けの手段として、提携を考えていらっしゃる節があります。デザインと設計の違いもわからず、とりあえずかっこいいから自分の会社の路線のひとつとしてタイアップしませんかというお誘いはお断りさせていただいてます。家作りの目的に大きな違いを感じます。いろんな会社の人とお話して交流を持つことは大事ですが帰り際には業種は一緒でも、やってることは大きな違いがあることにお互い納得します。わたしが家を数売ることで利益を得るという考えを否定している以上、多くの方から、「頑固な変わり者」と思われることは仕方ありません。自分では私が家作りの王道と思っています。利益を上げるための仕入れや、デザインには何の興味もありません。
できない理由
できない理由を愚痴るように話す業者や工務店が多すぎます。今までに経験がない仕事、やったことがないレベル、新しい材料や考え方にしり込みし、自分たちはこうしてもらわないとできないという連中は、大体下手です。器が小さい。いい仕事ができるチャンスをものにし、力をつけ経験をつみ、今までにない作品を作ろうとする前向きな姿勢がないのであれば、われわれの家作りに参加してほしくないというのが本音です。作品集を見て、私や、オーナーの考えを聞いて腰をすえて家作りをすることが怖いのでしょう。建売や企画住宅を作るのが楽でいいという意見もよく効きます。悲しくかわいそうな人たちです。でも少しでも可能性があれば手をとり、叱り、説明し、本物の家作りを味わい、その面白さを体感してもらいたいと思います。
財産
幼稚な大人
どの口がいうか?
理不尽との戦い
ニュース見ても、普段の生活でも理不尽なことが多すぎて、誠意や、正義や、まっすぐな人が馬鹿を見て、自分の要求ばかりする人がたとえそれが間違ったものでも、得をしてるように思います。ごまかし政府、官僚と、力なき野党の、政治ごっこには税金が使われ、また徴収されます。家作りにおいても一部の人は都合よく素人になったり、わがまま言える客になったり、・・・・・・。工事の途中で素人が口をはさみ出来上がりが悪くなると、「プロだろ」というクレームはこの業界でよく聞きます。親子関係、夫婦関係、師弟関係、友人関係・・・どこにも理不尽は多く存在しますが、愛情や、やりがいで克服するしかありません。いつまでこの国に愛情を注げるか心配ですが。
思うこと
セクハラ、パワハラ、・・・・・みんながよってたかってわいわい好き勝手なことを言うのはどうかと思います。一事例ごとの内容と当人同士の言い分で決着をつけるものです。私など、政治家、官僚、公務員、マスコミ、金融関係、法律関係の人たちは地球外生物と思って対応します。そうしないと暴言を吐いたり、へたすりゃ殴りそうになります。そのくらい考え方や価値観に違いがあります。特別がんばらず、そこそこ、適当にしておくことが今賢い生き方です。目立たず、いじめられず、非難されず、責任を取らず、・・・・・。面白くない生き方です。全裸で前をお盆で隠すだけの馬鹿を芸人としてテレビに出したり、バライティーでぼかしや、ピーという音声けしをやっといて、一方でセクハラやいじめを語るって何なのでしょう。よくよく考えると、マスコミが一人で騒いで一人で報道して、其れをバライティーのねたにし、生産性のない馬鹿がやることです.
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