大きなお世話

世間では何とかフライデーとかで、月末の金曜日、三時に帰れということらしいのですが「大きなお世話」です。未熟な人も、修行中の人も、転職で未経験な人も、机にじっとしてるだけの管理職も、パソコンで遊んでる人も、いろいろ抱え、いろいろな働き方で成り立ってる世の中に、大人に向かって一様に指図するなと思うのですが。一人前になるには経験と時間が必要です。できない人にお金を払うということは先行投資です。早く一人前になるように修行を積み頑張るのが大人として社会人として真の姿です。頑張って一人前に仕事ができるようになって、いい報酬をいただき経済は強くなります。仕事を覚え経験を積むことが、「修行」です。修行中は休むべからず。それが常識です。

政府や行政がこんなくだらないことを考えることが何より問題です。もっとやるべきことがあるでしょう。

 

 

報道の自由、表現の自由

最近のテレビについて言うと、ほとんど魅力が感じられず、民放はコマーシャルが番組時間の半分。同じことを何度もフィルムを回し、自分たちが楽しいバカ騒ぎ。何のメッセージ性もなく、ただ下品で、汚くて、馬鹿の真似。痛い、寒い、冷たい、熱い、怖い、びっくり、泣く笑うの安売り、・・・・・・こんなことをみせつづけてはずかしくないのか?表現の自由などという言葉を吐いてほしくありません。バカ丸出し。

報道もひどいものです。正式な発表を伝えることが重要で、評論家や、コメンテーターと、事実の予想屋をしてるワイドショー。報道とは、予想や、人を暴くことや、正義を振りかざして追っかけまわすことではないはずです。報道の自由が与えられる国だからこそ、マスコミはプライドを持って、どういう行動をして、どう伝えるべきかを考えてほしいものです。自由の中には伝えない自由もあるし、伝える時期を考えることも含まれてるはずです。法には触れずとも、マスコミに苦しめられてる多くの人がいるのです。お笑い芸人や役者崩れのくだらない番組作りは飽き飽きです。。伊集院静の大人の流儀でも読んで勉強しなさい。

いい時代

人の人生なんてあっという間ですが、それでもあーでもないこーでもない、どうしたらいいんだろう、・・・・・・なんだかの悩み、苦しみ、常に持って生きながら、時々、笑い、楽しみ幕を閉じるものです。大きな時の流れで言うと瞬間を生きてるのですが我々の時間軸では日本のいい時代に生を受けました。戦争が終わり落ち着いた頃に生まれ、国が発展し、豊かになり、食うものや住むところにもこまらず、文化的で平和な時代を生かしてもらってます。異論もあるでしょうが、わたしにしてみればこの時代だからこそ、日本だからこそできた仕事です。何より多くのお客様とお付き合いができました。家族も含めた仲間との時間もとれます。日本中、ましてや海外にも行けて、情報もあふれ、長嶋や、イチロー、大谷、を見て血が騒ぎ、今や考えもおよばないほどの科学の進歩を目の当たりにして、我々が感じる人の領域を超え、ついていけず、そろそろ終焉に向かっていることを意識します。もうある年齢からは悩んだり、道に迷ったりすることは必要ないと思います。修行も経験も積み、自分の思うが儘に生きていっていい年になったと思います。私はあと5年修行して、その境地に入らしてもらおうと思っています。それからつくる作品は自分でも楽しみです。今までは戦争を経験せず生きてこられたことは何より感謝します。

 

模型での検証

今日は朝から大宰府のM邸現場に寄って、佐世保に走りました。25日,26日完成見学会です。家具も搬入され、23日カーテン取り付けです。設営をしっかりしてお客様を迎えれるようにしなければと思います。外構工事が間に合わず、シンボルツリーや門柱が間に合わないのは残念ですが、2号地3号地完成時には全体でいい雰囲気になるでしょう。

昨日大阪K邸の模型ができました。バランスの悪いところ、仕上げの色、テクスチャー、庭の作りこみなど、これを使って検証していきます。少なくとも、いつも言ってることですが模型は記念品ではなく、いい物を作るための工程です。作った方がいい家になるのは間違いありません。今はパソコンで、外観パースや、室内パースはできますがこれはへんてこりんな家をよく見せて、契約するために作られてるものが多く、デザイン屋が使うものではありません。図面も、パースも、模型も、人の手で作ることで、コミュニケーションが生まれ、アイデアが生まれ、いい作品が生まれるのです。どこにどんな樹が欲しいか、外の照明計画はどうすべきか、周りとの色バランスは・・・・・。土曜日大阪に持っていきます。

 

 

不思議な思考、嗜好

田舎で生まれ育ち、若いころは都会に憧れました。食い物、着るもの、ネオン、車、・・・・今以上に都会と田舎の差は大きかったと思います。ブランド品にはさほど興味がなかったのですが、この年までに一通りいろいろ経験すると、上品なうまいものより、昔よく食った下品なものが恋しくなります。ハーゲンダッツより、アイスキャンデー、サザエのおはぎもうまいが、じいちゃんとばあちゃんがやってる昔ながらの下品な甘さのボタ餅、パスタより、粉を振ってつくった、即席のスパゲッティーをごはんがあかくなるように食いたくなったり、うまいパン屋のパンもいいが、無性にマンハッタンを牛乳お供で食いたくなります。ケーキも不二家のいちごショートケーキが好きです。酸っぱいくらいの白菜漬けで熱いご飯をまいて食べたり、のり玉をかけたくなったり、・・・・・・・・今も定食屋に行くと必ず、単体で卵焼きを頼みます。ラーメンが高級になり、高くなりました。マルタイ棒ラーメンが好きです。

ある作家がアポロが月に行った時、何か書いてくださいというリクエストに、「何用があって月へ?」と書いたそうです。抜群の感性です。私のおやじの船に乗ってたやや頭が弱い若者やっさんが博多の公園で職務質問を受け、「住所は?」と聞かれ、「跡上んちの隣。」とか答えたそうで、警察が「じゃあ跡上んちは?」と問うと「俺んちの隣」と答えたそうで、笑い話ではなく、親父が引取に行き、頭を抱えたそうです。

最近平田が私の横暴に、小声で「いつかボテクリ回してやる。」と小声で言ってるのが聞こえます。怒ることなく、「聞こえたぞ。」と笑顔で言える年です。「え、え。なんのことですか?」笑顔でごまかします。・・・・・あと10年もすると、弱った私を、笑顔で、ボテクリ回すかもしれません。

 

親子

親子のあり方は様々です。私は対馬という離島が故郷で、15から家を出て下宿をしながら高校、大学生活を送りました。それでも、正月は必ず、帰省しました。夜行で5時間半かけて諫早から博多に朝5時半につきます。寒い中ゆっくり歩き、築港で八時発の満員のフェリーに乗り、5時間.時化の時はあちこちで、船酔いです。幸い船乗りの息子である私は平気でした。船を下りて1時間やっと家です。じいさんばあさん、親父おふくろ、叔父叔母、近所の人みんな寄ってたかって「ようかえったのう。」近況報告の後、晩御飯でごちそうを食べ、店の棚卸の手伝いです。みんな喜んでくれていることがうれしく感じてました。じいさんばあさんが亡くなり、家庭を持ってからは親父とおふくろを正月呼んで、温泉に行くことを恒例行事とし、12年続きました。孫と風呂に入り飯を食い、うれしそうな両親を見るのが好きでした。うちの子供たちも中学、高校、大学の時など、友人と出かけたり、旅行に行くこともなく、今も正月は家で過ごします。それが決まりのように感じてるのでしょう。親子は気持ちはもちろん、どこかで必ず顔が見れるという形を持ってないといけないように感じます。親を亡くし、なおのことそう感じます。

携帯電話病

いまさらですが、携帯電話がウイルスのように人々に蔓延し、人間の知能や、道徳や、感性を奪っています。大阪に行く新幹線の中はほとんどの人が、携帯に目を奪われ、佐世保への高速バスも同じです。高速のパーキングでも、車の中で多くの人が携帯を手に取ってます。一人、二人で飯を食ってる人も、多くが携帯を見ながらの食事です。旅行であれ何であれ、旅に出ると車窓の風景や、街並みを自分の目で見ていろんなことを感じるのに・・・・・・。携帯にある情報や、データで旅行したり飯食うところやメニューを決めて、ゲームで遊ぶなどという人間は、旅の意味がなく、携帯に育てられた機械人間でしかありません。そのせいか、旅の準備もしなく、「携帯で探せばいいね。」携帯のデータを巡ることが旅のようです。手紙もろくにかけず、会話が楽しめず、恋愛もセックスも、機械の疑似体験で済ましてしまう。子育てにも携帯が必要になってるようで、恐ろしいことです。自分の手で図面を書いてることで、私には私のデザインが確立し、猿まねやデータではなく、感性によるアイデアが下りてくるのだと信じてます。パソコンや、携帯野郎に負けるわけがない。

全否定はしませんが、人間として、携帯の使い方さえ、自分でコントロールできない人は不治の病に侵され、感性が壊滅して、機械操作で機械の中にあるデータで人生を送る羽目になります。携帯依存は、馬鹿製造ということです。

勝手な奴ら

万引き犯にやられた店主が、防犯カメラの映像を公開したり、捕まえた万引き犯を写真にして店に張ったり・・・・・・「気持ちはわかるが遣りすぎだ。」みたいなことをマスコミが、法的な専門家に意見をもとめたり、私が嫌いなコメンテーターとやらに「警察に任せるべき。」みたいな意見を言わせて番組を構成している。やられたメガネ屋、魚屋にとっては、おまえらにとやかく言われる筋合いはない。自己責任で被害を食い止めないと死活問題だと思ってるはずです。。私も、自分のデザインをよその下手な力ないところから盗作されたことはたくさんあります。物を作ったり、うったりしてる者にとってそれを取られるということは、給料取りや、口先で金もらってるやつらにわかってたまるか。と思います。犯罪ですよ。マスコミは、犯罪でもないことで、人のプライバシーに平気でマイク突っ込んだり、おいかけたり、写真を公開したり、恥ずかしいことをたくさんやって稼いでるくせに、言い分が勝手すぎます。公共の電波はもっと有意義に使ってほしいものです。

住職

年を重ねると、見送る人が多くなり、葬儀に参列する機会が増えます。子供のころ、あたまをまるめた住職が物珍しく思えていましたが、最近では、寺院仏閣、住職に目を奪われ興味を示すようになりました。葬儀の際の住職のお説教は今やっとわかる言葉です。修行を重ね仏に使えるということがどれほどのものかわかりませんが、最近は家族葬など、簡易的な見送りが多くなり、お墓を持ったり、檀家になったり。門徒も少ないそうです。お寺も営業が必要な時代になり、テレビに住職が出演したり、本を出したりは有名な人で、ダイレクトメールや、はがきで個人の法事を薦めたり、仏への感謝の念仏を唱える会を催したり、ペットの供養や、ペットと同じお墓にという話も聞きます。寺院仏閣の行事が「ビジネス」という言葉に近くなることを残念に思います。ただ仏壇と、墓はいつも生活の中にあるべきもののように感じています。お経と線香のにおいは家庭において爺さんとばあさんの役目でもあります。

大阪

大阪吹田のK邸の解体現場に行き、その後、輸入部材業者のF氏に甘えて、通天閣、難波グランド花月、道頓堀など、大阪らしいところに連れて行ってもらいました。所変われば何とやらで、活気ある大阪でした。歩いてる半分以上が中国、韓国のようにも感じました。通天閣下の新世界はずいぶん以前よりきれいになってましたが、やはり一番大阪らしく、面白いところです。そこで独特の文化がある大阪の串揚げもごちそうになりました。私が大好きな吉本新喜劇、茂ジイの舞台を今度見たいと思います。

商売、食い倒れの大阪と、大阪城あたりの、文化的大都会のふたつの顔を楽しみました。

IMG_0353 (1)IMG_0345