頭がよくないせいで、若いときから、勉強や、必死の受験戦争にまったく興味もありませんでした。試験というものの多くは暗記や、公式で採点され、国の優秀な官僚を見つける作業にしか見えませんでした。一方、芸術的なもの、たとえば音楽、美術、彫刻、書道、絵画、作家、芸事・・・・そんなものは趣味であり学業ではないと受け取られていました。スポーツなんぞなおさらです。幸いなことに、私は好きな住宅デザインの仕事で生きてます。欧米では、絵描きや彫刻家が建物のデザインをします。建築家は美しいデザインができる人であり、バランス感覚にたけた人です。暗記や公式、法律などの国の試験で職業を得た人が多いからか、日本はどのジャンルも、色やデザインが貧祖です。感覚を磨き続けること、実績を積み上げることが勉強せず、感覚で仕事をしてる私のやり方です。腕が落ちたり、愚作をつくると仕事は亡くなる覚悟で日々送ってます。
福岡市役所建築審査課と一日バトル。
昨日市役所の完了検査を受けました。道路のセットバックの件で、どこが道路中心か示せという。そんな役所がわからないのにわれわれがわかるはずもなく、前の家の人と協議して決めろとか言う始末。こいつらわけがわからない連中とは思っていましたがいよいよ馬鹿です。「図面に協議したと書いてくれればそれで検査済みを出します。」保身かい。なんだそれ。恥ずかしい仕事ぶりです。相変わらず、民間の邪魔ばかりです。主事を呼んでもさすが役人根性にまみれた書類をそろえてくれればいいのですよ言う答え。さすが市役所で大声を出し、暴れました。朝早くから夕方五時半までこんなことで市役所、区役所、現場、対面の人まで回らされ、最後市役所です。こいつらいつか成敗しなければこの国は役人に、つぶされます。われわれをいじめるやつらをわれわれがもがいて働き、税金を納め、養うとはおかしな世の中です。小澤家は「役人だけはなるな。人様のお金を当てにせず、自分が世のため人のために働け。」と子供らに教えました。
基地にて
春
暖かくなりました。誕生日です。子供のころから誕生日が来ると春になると思っていました。昨夜は日田のクリニック打ち合わせでした。ご入居者でもありますから、初めてのお客様ではなく一度家作りを一緒に経験していますので、気兼ねなくお打ち合わせさせていただけます。お引渡しの際は、幼稚園くらいだったかわいい双子の女の子が今やお二人とも医学部の2回生のようで、まぶしい美しいお嬢さんになってらっしゃいました。最近つくづく思うのですが、人としての教育の原点は家庭です。学校や友達ではなく、家庭、強いては親です。今年は数年ぶりに花見でもしようかと思います。この年で商売していますからいろんなものを抱えて進まなければなりません。逃げずに、10年が過ぎました。63になりました。自分を甘やかさないようにがんばります。
佐世保での一日
言い古された大事なこと
南区A邸、鹿島Y邸
暴力
最近暴力という言葉がよく使われます。しつけと暴力というテーマでもよく話がなされているようですが一様に、「どんな理由があれ暴力だめです。」。とマスコミ、専門家は言います。そもそも暴力の定義がまちまちのようです。私も暴力は反対ですが、手を上げることが暴力という概念は持ち合わせていません。びんたやゲンコツや、尻をたたいたりは子育てや、必要でした。暴力は痛みと恐怖しか感じないという専門家が多くいますが、それとしつけの方法のひとつとしてのゲンコツを一緒に論じられるとこんな人たちが幼い論議をして、暴力禁止と決めて事足りると思われることが危うく感じます。「言葉の暴力」も人を傷つけます。まともな大人が少なくなると、なんでも決め事で処理しがちです。大人の感性で、臨機応変に。