エタノール暖炉の講習、ザラホーム、ミーレ、・・・・・あわただしい出張の二日間でした。お盆前で、多くの依頼も受けていているせいで、電話やメールも多く、夜9時に帰ってきて、すぐ、見積もり、図面のチェックです。明日は朝早くハウステンボスから鳥栖、福岡のお客様と周り、あさっては鹿島、佐世保、です。東京はいつも、刺激的です。経済最優先ですから、人は追いやられているのは仕方ないにせよ、仕掛け最優先で、人の力が弱く、魅力的な建物、店舗、街には目を奪われても、人がいきいきしていません。肥大化する街に人々がただ泳がされて、生活しているようです。時間を見て、アマン東京、靖国神社、銀座シックス、二子玉川、に行ってみました。おいおい書きます。
すごい。
「どうしたんだろう。わからないけどすごいですね。」と平田。先月、今月と、次々、仕事の依頼、相談、ご入居者からの紹介・・・・・ひっきりなしの状態です。つい、6,7年前、事務所を開いて、手作りのビラを配ったり、一軒一軒ご入居者を回ったり、お金もまともな車もない時期もあったのに、少しずつご入居者に助けられ、仲間に助けられ、本当に最低限の利益をいただき、惜しまず動きました。動くことにかけてはどこにもまけていないはずです。スピードがない仕事はいい仕事ではないと常々思っています。この依頼に対する期待を裏切らないため、すべて、お盆前に何としてでも、デザイン提案を提出しようと思います。昨日も、電車で鹿島に行き、打ち合わせ。楽しく、自分の考えを聞いていただき、充実した時間でした。帰りの電車を待つホームは八時過ぎなのに、一人だけです。ベンチで、冷たいものを飲みながら、この忙しさを楽しんでやろうと考えました。そして上手にやれません。まっすぐ、ぶつかりながらも我を通します。この忙しさが私の空間デザインと、平田のコーディネートで作った作品が評価されての結果だとしたらこんなうれしいことはありません。景気や、ブームではない、実力あるデザイン屋として評価をいただくようにまだまだ頑張ります。
喜怒哀楽の七月終了。
無事、支払いも終え、七月終了です。よく働きました。仕事について言うと、とてもいい月でした。喜んでいただき、引き渡せることができ、あたらしい依頼も数多くいただきました。それとは別に税務署、銀行、役所とのバトルはとどまることがなく、きょう午前中税務署に乗り込み、大ゲンカ後、私が留守の時、税務署が事務所に来たようです。とりあえず謝って帰ったそうですが政治家も役人も、税務署も銀行も、「暇」なんでしょうか?くだらないことばかりやってます。重箱の隅をつつくような決まりを押し付け、くだらないことにこだわり、真実より、言い回しを気にし、最後は、縦割りの弊害で、「担当外」とか、「まだほかの部署から書類が来てない。」とか言い訳ばかり。この一か月バカな議員たちの恥ずかしい言動を見てもわかるように、税金によってたかる連中は普通じゃありません。籠池だ、加計だとたたいてますが、私の知る限り、おかしな老人施設や、保育園など、どこも似たりよったりのことして、税金いただいてます。税金が投入されるところにはおかしな連中が集まってるのを皆知っているのに、ばらまきます。自分の金じゃないからでしょう。正直者がばかを見る世の中が進んでいますが、それでも、「汚れ者」にはなれません。
自分を知ること、人を見ること
平田が継続してすごいのは、目標高くいることで、自分の力を伸ばす努力を欠かしません。オーナーや、職人や仲間のことは考えても、仕事に妥協はしません。事務も、経理も、コーディネートも、発注も、愚痴もなく、すべて一人でやり遂げます。彼女ほどの人材はめったにいないと思います。能力もなく地位や、権力で立ち振る舞う人をすぐ見透かし軽蔑します。人柄も含め、人を適格に見ています。そうであるからでしょう、みんなの信頼も厚いようです。娘も、相当のこだわりを持ちながら働き続けていますが、平田を大絶賛します。尊敬してます。ちょっと覚えると一人前面する人が多いと思いますが、今では、責任なく、自分のペースで、楽に自由に働くことを望む半端者だらけで、魅力ある人にとんと会わなくなりました。ドクターや、こだわりを持ったレベルが高いオーナーとディスカッションする能力知識はすごいと思います。彼女のおかげで、今の会社があります。オーナーも含めた皆から、彼女を大事にしとかないと、やめたら潰れるよと言われます。30年近くセットで活動してきてますから漫才の相方みたいなもので、ピンでもやれる二人がコンビでやることに意義があると思ってます。
稲田、蓮舫、今井、豊田、上西、松居一代、籠池おばちゃん・・・・・・自分を知り、冷静に人を見極め、信念を持って世の中を推し量ることができないと、こうなります。一人で歩ける人じゃないということです。平田も、小池百合子も、大人で、信念を持って人生自己責任で歩いています。大物の風格です。「いつでも公園で寝る覚悟を持ってやりたいことをやりましょう。」心強い言葉です。こんな男前はいません。
これでも少しは大人になりました。
若いころから、力もないのに、正義だけを頼りに虚勢を張り、生意気に人とぶつかり、・・・・・・・それでも仕事だけはいつも一生懸命でした。ずっとこの仕事で、人と会い、教えられ、裏切られ、挫折し、立ち上がり、お客様にしつけられました。・・・・・修行させてもらいました。それでも、平田から、いまでも、「おとなしく、我慢してください。」「大人の対応で。」「暴言が過ぎます。」と言われ、娘からは「恥ずかしいことはやめて。」「相手にしないことも大事。」「大人としての陰ひなたは必要」とかいわれます。じいさんや親父の血なのでしょう。理不尽に思うことに船乗り言葉で突っかかって行ってしまいます。周りにいた大事な人達が亡くなり、甘えるわけにもいかず、その環境が少しは大人にしてくれたようです。これでもおとなしくなりました。ただ都会の若者のように、「なにもしない族」には腹が立ちますし、銀行、小役人、無知政治家、センスがないコメンテーター、勘違いマスコミ、とは一生闘い続けます。かれらが勝ち組とかいわれる世の中は間違っているのですから。国をおかしくし続けてるのも彼らにほかなりません。
60過ぎのおじさんと50過ぎのおばさん
二人で、「年齢の割によく動けて幸せだなー。」と話します。食うから動けるのか動くから食うのかわかりませんが、暑い夏も食欲は落ちません。好きな仕事に携わりながら、新しい出会いがあり、それを育み、ただまっすぐ進みます。定年とか、これからゆっくりとか、のんびりとかサラサラ思わず、もっといい仕事ができるように、いい作品が作れるようにと話します。「暇」が一番怖いと思ってます。少しでも時間ができれば、見たり聞いたり話したりするために出かけます。やりたいこと、行きたいとこ、見たいとこが多くて、多くて。生涯現役で、家づくりにかかわるには、いままだまだ訓練です。70や80で家が作れたらどんな家になるのでしょう。それも楽しみです。働くことの楽しさをわからない若者や、やりがいのない生活のための仕事しか経験できない人はかわいそうだと思います。こんなおもしろいことやめられません。もしやめるとすれば、病気か、理不尽な政治家や役人のせいだと思います。
すぐ現れるものはすぐ消える
便利で楽できるものに飛びつく人と、自分に力が付くものを選ぶ人がいます。パソコンなど、画面にすぐ答えが現れるものは便利であるが、それが消えるとすぐ忘れるような気がするのは私だけでしょうか?なかなか知識として頭に蓄積していきません。多分、パソコンそのものが脳の代わりであり、人間の脳を鍛えたり、訓練するものではないのでしょう。最近はデザインをパソコンでやる人ばかりですが、ひらめきや、アイデアがわき出ることは少なく、データが作るデザインです。下手で魅力がないと言い切ると抗議もあるでしょうが、すくなくとも鉛筆の先が語るデザインはできません。脳の引出しに収納されません。私はほとんどの家のプラン空間を覚えていてえんぴつで書くことができますが、パソコンで作った人はパソコンを開くことで認識するようです。私の認知症と、パソコンのデータ消失・・・・・・・・私には経緯や考えを言葉で表現できます。まだまだパソコンに負けたと思った家には出会いません。
集中してデザイン提案
集中して、今日は2件のデザインを描きました。あっという間に、一日が終わりそうです。現場や打ち合わせで、ゆとりを持つことはままならず、血眼になるくらい、デザインの引き出しを何個もあけながら、納得するものを探し続けます。私の場合、せっかちですから、この様な状態の方がいい案が下りてきます。ワッセナーのリニューアルのアイデアと、100坪を超える2世帯住宅、・・・・・・おもしろいご依頼です。納得いくものができました。明日が楽しみです。本来の私の仕事です。この仕事は経験を積めば積むほど、引き出しの数が多くなり、うまくなります。いまだに、鉛筆なめなめ、消しゴムのかすと、タコができた汚れた手と、ぶっ散らかった資料、・・・・・・最近困ることといえば、目のかすみと、首のこりです。明日明後日の打ち合わせは大事です。今年後半から来年の仕事が決まるかどうかの打ち合わせです。
紹介や、再受注等仕事のやりかたや作品がつぎのご依頼につながってます。物を売るには営業さんがいるのでしょうが、作る仕事の営業は、作品です。
恐縮です。
築港
私が学生のころは壱岐、対馬の人間にとって故郷の入り口は築港でした。汽船で玄界灘をわたるためです。フェリーになった時は船も大きくなり時化での欠航も少なくなりました。人は多いのですがお盆の帰省は天気も良く、暑いので、デッキで海を見ながら弁当でも食べて、5時間です。冬はそうはいきません。寒いターミナルに早くから並び、2等船室の一角を確保しないと、通路や、下手したら極寒のデッキで大きな波に揺られながらの5時間になります。なぜこれほどまでしてみんなたった2,3日故郷に帰るのだろうと思っていましたが、昔は祖父母両親、親せきのコミュニティーが強く、本来は故郷で暮らすべきだが、学校、仕事など訳合って、外で暮らさせてもらっているという感覚でした。船から降りと迎えの人が来てくれており、自然と笑顔になり、待ち構えてくれる家族のもとに急ぎます。苦労しての里帰りは大変でしたがいいものでした。仏壇に手を合わせ、ごちそうを食べる団らんが何より大事な時代だったんだと思います。気が付けば祖父母はもちろん、両親や親戚もほとんどいなくなり、、墓参りも、飛行機やジェットホイルです。いまだに築港に行ったり、壱岐対馬を結ぶフェリーを見たりすると、ノスタルジックな気分になります。東北の人が上野駅を思うように、私は築港が故郷を感じさせてくれる場所なんです。