わかってない。

税務署、金勘定の仕事、それも、自分は稼がず、人が汗水流した仕事で得た金を自分たちのルールでむしりとる極悪非道な職業です。税理士も似たり寄ったりで、税務署との茶番劇で権益を守りあってるのかもしれません。金を扱う職業<税務署、銀行、保険会社、証券会社・・・>の人とはどうも気持ちが通じません。税金で食ってる人<政治家、官僚、役人、せいかつほごや、ぼしてあてを不当にもらっている人>とはもっとあいません。自分で稼いでいる人、商売してる人、何かを作っている人は、人の役に立ち何かしらポリシーがあり、色気があり、魅力があります。感性のない官僚や政治家や役人が国の舵を握り、彼らはビジョンや将来に向けた言葉を持たないのですから国民に活気が出るはずもありません。、得しよう、甘えようとする若者が多くなります。書類や、証拠品や、文書などが幅を利かせて、それを見せろ見せぬで大騒ぎ。真実の言葉を聞こうとしなければテクニック主導の世の中になります。試験や、文書ではなく、面接や、仕事の実績を重んじる世の中にならないと、本物にはたどり着きません。実務ができない資格だけ取得者や社会で学べづ、学校でしか学べない人、勝手に人の書類や、帳簿や、金に手を突っ込む輩に人としての魅力が宿るはずもありません。「約束」「討論」「真実」「思いやり」「愛情」勉強」「自己犠牲」こんなことが社会の表に掲げられるべきです。「書類、証拠、文書、口座、帳簿、・・・・・こんなものを見て集めて全てが分ったような顔する人たちは、本音で生きられない、偽者の人生しか知らないかわいそうな人達です。議員は無償でやるべき仕事だと思ってましたが、今は議員はいらないと思うようになり、その下にいる正義のない手もみしながら権力と特権だけもらい横向いて舌出してる役人とは、同じ世の中で生きたくありません。役人とは全体を見て物事を考えたり、決めたりできづ、自分の配属の小さい分野だけしか見えないようです。役人は民間で10年以上の実績を持った人しかなれないようにするべきです。

自然

自然という言葉は耳触りがいいのですが、その価値を知り守ることは厳しいことです。よくよく考えると、大都会の街中では公園や、アスレチックも、人の手で作られており、本物の自然すらわからなくなってるようです。先日東京から二歳半の孫が来て、事務所の庭の水まきに大喜びです。土にふれず暮らしているのですから当然です。自然とは、植物、動物、お日様、雨、風、水、火、土、石、そして空気が生活で感じられることだと思います。人間がえり好みで、都合のいいものだけを人工的に作るものは、摂理に反します。森には虫も、ミミズも、蜘蛛もいるんです。先日北海道に行った時、富良野の川には人工の護岸工事が見えず、雄大な本物の川を見ました。水面に木々が美しく立ち並び、林も奥まで木漏れ日が入り、美しい自然美です。、自然を壊さず、自然の中に、ちょっとお邪魔して最小限の建物をつくることで、自然はそれを包み込んでくれます。建築家の大先生たちは、そんな発信を世の中にせず、自分の作品を自然を壊してわがままに作ります。それもコンクリートの塊で必要以上にでかい。自然を守る思考は建築家の大事な役目です。それができてない人は建物を作るべきではない。出来の悪い建築士に限りマスコミに出て豊洲の市場をコメントする。そういう仕事は構造計算屋と化学者に任せておきゃいいと思うのですが。もっとやるべき活動があります。

知識と知恵

大學や、大学院で、専門教育を受けた人が都会に多くいて、知識人と呼ばれ、差別化されていました。大学生といえど、ろくに勉強もせず、学歴だけで知識もないのが増えてきましたが、それでも、馬鹿な親はいい大学にやるため塾に送り迎えです。テレビでも、役にも立たないクイズ番組で正解をしてドヤ顔してるタレントは本業では今一歩のようです。知識を持つことは大事ですが、直接生活に密着しません。田舎などで昔から代々教えられた知恵は、生活そのものであり、大人から子供に受け継がれます。この「知恵」が今のこの国には必要です。田舎は知恵で生活し、都会は知識の試験で優劣がつけられているようです。職人、漁師、農家、・・・・魅力的な知恵があります。知恵は応用が利きます。私も、大学出たての頃、現場で、職人がやってることを見て目からうろこというか、大學の知識など、無力だとさえ感じました。対馬では、漁のやり方、サザエやアワビの簡単な取り方、イカの干し方、船の漕ぎ方、波からののがれ方、ウナギの仕掛け、冬のバトウ突き、ワラビやフキの取り方、山芋掘・・・・一つ一つ知恵が詰まってました。何か問題があると、男たちは浜に集まり、知恵を出し合い、何とか解決してました。女たちも同じです。年寄りや、親父おふくろたちは、ろくに学校出てなくても、先生や、役場の人や、議員さんたちよりずっと大人で、かっこよく感じていました。家もそうです。知識で作るより、知恵を出し合い作っていくものです。

親父の船、多くの荷物をバランスよく積む知恵がありました。 

教育は親の役目。

私の事務所のすぐ近くに有名塾があり、小学生、中学生が夜遅くまでウロウロし、夜9時、10時大量の父兄が車で迎えに来ます。大渋滞が起こります。何度も塾に抗議に行きましたが、何の改良もなく子供相手のうまい金もうけをやめる気はないようです。なんでこんなへんてこりんな世の中になったのでしょう。子供は家で躾、親の生き様、働き方を見て大人になっていくのです。「いい学校」と呼ばれているほとんどは、私が認めない職業、企業に入るためのところです。人の金を集めて商売する銀行、保険会社、税金を取り、それで食ってく多くの役人、自分を捨て議員のいいなりの官僚、この国の最悪職業政治家、・・・・・・こんなやつらになるため、塾に行く必要はないでしょうに。ぐうたらな親の元で育つ子供はもっと不幸です。知識も、感性も、信念も、常識もない人は親になってはいけません。本質を見ず、少子化で、何でもいいから産めや増やせよの策を練るあんぽんたんな政治家がいます。楽になるため、保育園増やせ、母子手当よこせ、生活保護くれ、楽な仕事をさせろ、アルバイトも、派遣も正社員と同じ条件にしろ。・・・・・票が欲しいのかバカな政党がこれを後押しするんです。生きるということは自己責任のもとで行われるのが基本です。人のせいにしたり、国に頼ることは恥ずかしいことと教える親が少なくなりました。教育はすべて親の責任です。

理不尽

世の中、理不尽があることはこの年になればわかったうえで、生きてますが、あまりにもおかしなことが多すぎます。国が、政府が、役所がすべて我々と違った感覚の上で理不尽が当たり前の決まりを作り、理不尽な答弁をし、理不尽な忖度をしているようです。もともと役所の縦割り社会の理不尽さに我々は翻弄され、怒りを覚えても、役人優遇国家の日本ですから我慢してましたが、改善どころかひどくなるばかりです。正論が役所につぶされる三流国家日本です。税務調査を受けても、世の中の仕組みや礼儀すらわきまえない若造が好き勝手な要求し、抗議すると、「おっしゃってることはわかりますが自分の立場ではこうするしかありません。」正義や正論より、立場を大事にする若者にはエネルギーも、国を思う気持ちも、夢も存在しません。一緒についてきた、ザ税務署職員と思しき、エネルギーも、魅力もかんじられない自分の組織の上司を向いて手もみしながら仕事するしかないのでしょう。物づくりの喜びや人助けの仕事の重さと違い、出世と、給料が上がることと退職金と、どれだけ休めるかしか考えないで一生送る人たちの思考には腹が立つばかりです。、彼らは日時も時間も守らず,我々はつき合わされ仕事ができない日が4日。我々の大事な資料を平気でポンポン要求して、こっちはそれを整理するのに、休まず、徹夜までしてるのに、彼らは、5時に帰り、土日休み。住宅の契約書などの書類ほど、大事な個人情報が書かれてるものはありません。約束の書類は提出しても、「調査に入ったからには金取ってこい。」が税務署の常識らしく、書類の要求はエスカレートします。「オーナーや関連業者の許可を取って書類の要求をするのが筋だろう。」というと、「外部には絶対洩らしません。もし洩れたら自分が責任とってやめます。」お前は総理大臣か?この若者の上から目線の回答にびっくりです。「お前の首なんか何の価値もない。おごるな。」こんなバカが働く者の税金をあつかうとはこの国もいよいよ終わりです。慇懃無礼な二人に正論で抗議する平田は、その温度差で、もう少しで若造をボテクリ回すところでした。私は知ってます。平田は一度切れると、「極道の女たちに変身します。」

家づくり

もう年配者しか覚えてないでしょうが、「北の国から」というドラマで、主人公の黒板五郎が粗末な家ながら自分で子供と棲む家を作りその後、丸太、石、拾ってきたものなどで家を作っていきました。35年前、舞台の富良野に訪れた時は、最初の家だけでしたが十分刺激を受けました。今回行く機会があり、すべての家を見てきました。老朽化が進み、保存も大変でしょうが、これは観光客や、安っぽい住宅産業の連中ではなく、家づくりの精神は我々が見るべきものであり、勉強させられるものでした。発想、頭の柔らかさ、バランス、センス、住宅屋はこうあるべきではないかとさえ思いました。フジテレビの美術部の人たちの感性と、職人の技で、バス、ゴンドラ、コンテナー、トラック・・・・・拾って来た石の風呂、卵を敷く紙が断熱材、洗濯機のドアが円窓・・・・・・暖かくて楽しくて、家づくりはこうあるべきだということを教えられました。震災や災害においても、国や自治体にすがることより、こういう生き方もある。自己責任は大変なことではなく、楽しくやりがいがある生き方だということをみんな忘れかけているんではないでしょうか。甘えすぎの世の中に、腹立たしさを感じてたこの頃、設計図なんかなく、手書きのスケッチを頼りに工夫し、探し、みんなで喜び完成させる家は最高の我々のバイブルです。金もうけ主義の大量生産や、激安住宅が幅を利かせてる現代、「こんな家づくりの心を忘れるな。」と叫びたくなります。この家を見て建築家なんて、大したことねえなー。と思いました。勉強した人ではなく、感性ある人がいい家を作ります。

 

 

十日恵比寿一日参り

六月です。毎月恒例の一日参りに、行きました。こうして商売を楽しくやりがいを持って続けさせていただけることへの感謝をこめて手を合わせます。今朝は巫女さんが出て、芋の輪なるものが売られてました。厄除けのようです。帰りは東公園を一周散歩しました。ここはここで大濠公園とは違う魅力がありますが、水の手入れが全くできてなく、異臭すらします。行政の怠慢です。それよりなにより、以前から思っているのですが、この県庁の建物の情けないこと。黒川記章などという、へんなおじさんに任せた行政が悪いのですが、美しさも上品さも、さりげなさもなく、色の悪い固まりでしかありません。日本一悲しい庁舎です。帰りにお世話になってるご入居者のKご夫妻にお会いしました。何度か一日参りでお会いしてるのですが、久しぶりでした。ご挨拶をして帰りました。昼から今日もまた佐世保に走ります。

福岡

最近お世話になってるご入居者の東区U先生とデッキの改装打ち合わせをしています。福岡が一望できる広いデッキを更に広くし、アクリルの手すりに変えてより眺望を強化し、白い塗装に変え、オーニングテントをだすごとでリゾートハウスになるでしょう。この家にお邪魔すると、福岡の街が実感できます。ほかにもいくつか好きな場所があります。夕暮れ時の大濠公園も、素敵です。高層の建物がないため空が広く、豊かな公園は多くの市民が訪れています。小戸のザ、ブルーも博多湾と能古島志賀島が実感でき、この季節、夕日がきれいで最高です。運が良ければ、ライトアップした大型クルーズ船も見えます。王道ですが、山の上ホテルから見る、夕暮れの福岡の町は大濠公園とももち浜を中心に、特徴ある風景です。工事をさせていただいている、ももち浜の26階から見える博多湾、マリゾン、タワー、ドーム、高速を流れる車、福岡の街はまた違ったロケーションで、わくわくします。志賀島の頂上や、船から煮る福岡の街は不思議な魅力があります。

福岡という町は海、山、が近く、いろんな表情がいろんなところで楽しめるということを、ここのところの最高の天気が教えてくれます。

穏やかな日

最高の天気です。今日は平田が私の代わりに大阪に行ってくれました。相変わらず、コーディネート、発注、現場、事務、経理、掃除、食事すべてに忙しくさせてます。昨日はM邸上棟打ち合わせを行い、佐世保のSご夫婦との打ち合わせも行いました。久留米スポーツクリニックは竣工検査でした。充実した仕事ができ、新しいご依頼の連絡もいただいてます。いい日々が続きます。今日は東京から孫を連れて息子夫婦が来るようです。我々のホームページやパソコンの件は息子に任せています。また私の体のすべてのチェックがあす終わります。まだまだ動き続けることができそうです。こんな日々に水を差して、腹立たしくさせてるのが、大西とかいうどうしようもない人間失格国会議員や、ドスケベな元文部事務次官や、そんなことにしか一生懸命になれない、安っぽい探偵屋民進党議員たちです。そしてこいつらを餌に儲けてるマスコミやコメンテーターもまともじゃありません。とにかく、立派な人が政治や行政の世界にいないことがこの国の弱点です。悔しくてなりません。立派な人はまず、議員や役人にならないのだと思います。今最もはずがしい職業のワースト一位が、政治家、役人です。まあ、顔にも、味もそっけもないですわな。

 

病院の風景

一週間病院に、検査で通いました。福岡でも名の知れた大きな病院です。たくさんの患者さんを、待ち時間少なく、わかりやすく、フォローしながら運営されてました。高齢者夫婦がとても多く、元気な相方が連れてきているようです。子供ではなくお年寄りが車いすを押してます。子供たちが遠くにいるのか忙しいのか・・・・・。看護師や職員さんたちは手厚くお世話しながら診察、治療されてました。タクシーできてタクシーで帰る人が多く、身なりも含め比較的裕福と見受けられますが、高齢夫婦二人の暮らしのような会話があちこちから聞こえてきます。「若いもんには迷惑かけたくない。」というお年寄りの言葉を耳にします。「若いもん」はこんなことを言わせちゃいかんでしょう。昔から、育ててもらった人が老いたら、何をさておき面倒を見るのは当然です。保険や、介護や施設は、若いもんが楽するためにあるのではなく、全力を尽くして、どうしても難しい時、助けをもとめるところで、介護を金で任せる場所や制度ではありません。介護の全責任は子供です。そして何より、お年寄りに我慢をさせてはいけません。心配はいくらさせてもいいのです。いつまでも子供や孫は心配なものらしいですから。今年の川柳の光景も七人ではないけどありました。「病院でサミットやってる爺セブン」