最近の政治家や官僚の思考にはあきれてものが言えません。特に政権側も、野党も我々の思考とは大きくかけ離れたところでくだらない口げんかです。みんなもう気づいています。勉強でいい学校に入っただけで、何も社会のしつけも修行もしてない人はリーダーになってはいけません。彼らの言葉や表情や態度に何の魅力もないどころか、気分が悪くなり怒りしか覚えません。働く意欲もわかず、経済を立て直すなら、やる気の出る、言葉や、旗を掲げる人、笑顔にしてくれる人をリーダーにしないといけません。嘘をつきとおした官僚が国税庁のトップとは、この国は終わったようなものです。嘘とごまかしを正々堂々と行い、「法に触れていない。」と言い切る人たち。小学校で「こんな人になってはいけません。」と教えられた人が国を動かすのですから我々はたまったものではありません。法を上回るものが人間社会では「人として」という志向です。税金を取る方側の組織、役所でまだ働こうとする腰抜け若者が多いことにも驚きます。すぐそんな組織はやめなさい。暴力団排除と同じように、政党政治家排除、官僚役人排除も必要です。むしろ実害は暴力団以上です。
歩んだ人生
このくらいの年になると、歩んできた人生から学んだもので、価値観が決まります。周りにいた人は両親はじめ、働き者ばかりでした。母は小さな田舎町の食料品店と仕出し屋。親父はその田舎と博多を結ぶ船乗りでした。大きな組織の歯車ではなく、お客さんが見える仕事であり、仕事の評価は直接お客さんから頂けました。このような仕事の魅力に取りつかれると、お金が主役の人生などつまらないものです。娘の、理学療法士という仕事も同じです。友人から「仕事の割に報酬が低いね。」と憐れんでくれるそうですが、「あなたはこの仕事の醍醐味味わったことないやろ。」と返すそうですが「わからんみたいね。」と逆に憐れんでました。自分でいい仕事ができていると思うことが何よりです。最近、お金を貯めて早期リタイヤを目指す人も多いようですが、私にはできません。「職人」は死ぬまで職人がやれて本望です。鉛筆握って死にたいものです。誰かに依頼いただいて、その人のために動き、喜んでいただき、いい関係が築ける。「人」という財産が貴重です。「ビジネス」という言葉はどうも苦手で、儲かる話も胡散臭く感じます。株や、投資も興味がわきません。離島の田舎で暮らした大人たちはとてもシンプルに汗水流し働き、助け合って生きてました。私の根っこはそこにあるようです。
鳥栖M邸、久留米スポーツクリニック
七月初めというのに、台風直撃のようです。鳥栖のM邸に行くと、早々と、ネットをたたみ、台風養生してました。さすがです。内部も外部もボードが終わり、下地による形ができました。材料の整理整頓がとても素晴らしく、今まで、現場で無くなったものが多かったり、梱包を解かず、ぎりぎりで梱包を解いて、違うだの足りないだの、さんざんすったもんだしていたのに、早め早めに、打ち合わせや数量チェックができます。その後、今日から本格オープンした久留米のスポーツクリニックに行きました。患者さんも多く、大盛況です。幹線道路沿いということもあり、目立ちます。こうやって作品ができていくたび、この仕事に携われてよかったと思います。
ちょっと一風呂
午前中、博多日航ホテルで鹿島Y邸のご提案打ち合わせの後、佐世保で完工間近のワッセナーS邸、着工前のS邸、L&Sマンション現場をまわり帰り道、夜8時半過ぎ、大好きな武雄の元湯により、ひとっ風呂浴びました。夜の赤いライトアップに、御船山の明かりと三日月・・・・・・いい雰囲気です。仕事の合間、時間を見つけて行うわずかなくつろぎがとてもエネルギーになります。遅い時間は地元の爺ちゃんたちが多く、武雄弁と、べたな地元話題が和みます。たくさんのアポイントで埋められたスケジュールを見つめながらその中で何を楽しむか計画することが楽しみです。三瀬を通るときは、まっちゃんによったり、そば食べたり、土曜日メンテのため伺う宮崎では「みやちく」で肉が食べたいと思っています。合間のちょっと贅沢が豪華旅行より私にはあってるようです。
入院
健康診断で、大腸ポリープが見つかり、内視鏡の切除をしました。組織検査で悪性でなかったのですが、一応オペです。2日の入院でたった今事務所に帰ってきました。すぐやるべきプランを描きます。一人部屋でプランを書いたり、いろいろ考えたり、こんな夜もいいのかもしれないと思いながら過ごしました。多くの人からメールをいただきました。私の人生は、いいのか悪いのかすべての思考と行動が仕事ありきだと改めて気づきました。
オペの夜は流動食、退院の昼はおかゆと焼魚・・・・・・痩せたかなー。「全く変わらん。」という娘の一言。
事務所に帰ると、大手術を乗り越えた渕上夫婦がお礼を持って訪ねてくれてました。まだまだ傷は生々しいですが、元気になっています。もうしばらく、養生して、少しずつ復帰してほしいものです。ご入居者、仲間、家族、・・・・・・・みんな元気で楽しく頑張りましょう。
理不尽な一日
小林麻央さんが闘病のすえ亡くなったようです。いろいろあったでしょうが、立派な生き様だったと思います。短くても多くの人にしっかり大事なものを伝えたように思います。子供たちも自分の母親を尊敬し、愛し続けながら成長するでしょう。嘘のないまっすぐな生きざまは苦しいものです。でも病気でありながらそうあろうとした彼女は、才能も、人としても、この世で生きてほしかったと思います。それに比べ、豊田真由子とかいう、国会議員のみっともなさは、街中を全裸でよたよた歩くより恥ずかしい限りです。少なくとも自分より人生経験の長い55歳の男性に浴びせた暴言は、正当に訳合ってひとを殺めた人よりたちが悪いものです。こんな勘違い国会議員は、高学歴と、しつけない親と、票だけ欲しい政党とで作りあげたものです。なぜこの人が生きて、小林真央がこの世を無念に去るのでしょう。理不尽にもほどがあります。小林真央という人はどの国会議員より、官僚より、多くの人の力になり、きちんと子供や家族と向き合ってました。生き様が見事な人、才能があり、それを人のために発揮する人、正直でまっすぐな人、こんな人を守れない神とはなんなんでしょう。そして政治家や役人がどんどんバカで幼稚でわがままで、うそとごまかしで、金もうけと権力を欲しがる極道に成り下がったんでしょうか。ま、それにくっついて評論家をやってるバカはもっとたちが悪いと思います。とにかく汗水流して働くことを学んでほしいものです。
わかってない。
税務署、金勘定の仕事、それも、自分は稼がず、人が汗水流した仕事で得た金を自分たちのルールでむしりとる極悪非道な職業です。税理士も似たり寄ったりで、税務署との茶番劇で権益を守りあってるのかもしれません。金を扱う職業<税務署、銀行、保険会社、証券会社・・・>の人とはどうも気持ちが通じません。税金で食ってる人<政治家、官僚、役人、せいかつほごや、ぼしてあてを不当にもらっている人>とはもっとあいません。自分で稼いでいる人、商売してる人、何かを作っている人は、人の役に立ち何かしらポリシーがあり、色気があり、魅力があります。感性のない官僚や政治家や役人が国の舵を握り、彼らはビジョンや将来に向けた言葉を持たないのですから国民に活気が出るはずもありません。、得しよう、甘えようとする若者が多くなります。書類や、証拠品や、文書などが幅を利かせて、それを見せろ見せぬで大騒ぎ。真実の言葉を聞こうとしなければテクニック主導の世の中になります。試験や、文書ではなく、面接や、仕事の実績を重んじる世の中にならないと、本物にはたどり着きません。実務ができない資格だけ取得者や社会で学べづ、学校でしか学べない人、勝手に人の書類や、帳簿や、金に手を突っ込む輩に人としての魅力が宿るはずもありません。「約束」「討論」「真実」「思いやり」「愛情」勉強」「自己犠牲」こんなことが社会の表に掲げられるべきです。「書類、証拠、文書、口座、帳簿、・・・・・こんなものを見て集めて全てが分ったような顔する人たちは、本音で生きられない、偽者の人生しか知らないかわいそうな人達です。議員は無償でやるべき仕事だと思ってましたが、今は議員はいらないと思うようになり、その下にいる正義のない手もみしながら権力と特権だけもらい横向いて舌出してる役人とは、同じ世の中で生きたくありません。役人とは全体を見て物事を考えたり、決めたりできづ、自分の配属の小さい分野だけしか見えないようです。役人は民間で10年以上の実績を持った人しかなれないようにするべきです。
自然
自然という言葉は耳触りがいいのですが、その価値を知り守ることは厳しいことです。よくよく考えると、大都会の街中では公園や、アスレチックも、人の手で作られており、本物の自然すらわからなくなってるようです。先日東京から二歳半の孫が来て、事務所の庭の水まきに大喜びです。土にふれず暮らしているのですから当然です。自然とは、植物、動物、お日様、雨、風、水、火、土、石、そして空気が生活で感じられることだと思います。人間がえり好みで、都合のいいものだけを人工的に作るものは、摂理に反します。森には虫も、ミミズも、蜘蛛もいるんです。先日北海道に行った時、富良野の川には人工の護岸工事が見えず、雄大な本物の川を見ました。水面に木々が美しく立ち並び、林も奥まで木漏れ日が入り、美しい自然美です。、自然を壊さず、自然の中に、ちょっとお邪魔して最小限の建物をつくることで、自然はそれを包み込んでくれます。建築家の大先生たちは、そんな発信を世の中にせず、自分の作品を自然を壊してわがままに作ります。それもコンクリートの塊で必要以上にでかい。自然を守る思考は建築家の大事な役目です。それができてない人は建物を作るべきではない。出来の悪い建築士に限りマスコミに出て豊洲の市場をコメントする。そういう仕事は構造計算屋と化学者に任せておきゃいいと思うのですが。もっとやるべき活動があります。
知識と知恵
大學や、大学院で、専門教育を受けた人が都会に多くいて、知識人と呼ばれ、差別化されていました。大学生といえど、ろくに勉強もせず、学歴だけで知識もないのが増えてきましたが、それでも、馬鹿な親はいい大学にやるため塾に送り迎えです。テレビでも、役にも立たないクイズ番組で正解をしてドヤ顔してるタレントは本業では今一歩のようです。知識を持つことは大事ですが、直接生活に密着しません。田舎などで昔から代々教えられた知恵は、生活そのものであり、大人から子供に受け継がれます。この「知恵」が今のこの国には必要です。田舎は知恵で生活し、都会は知識の試験で優劣がつけられているようです。職人、漁師、農家、・・・・魅力的な知恵があります。知恵は応用が利きます。私も、大学出たての頃、現場で、職人がやってることを見て目からうろこというか、大學の知識など、無力だとさえ感じました。対馬では、漁のやり方、サザエやアワビの簡単な取り方、イカの干し方、船の漕ぎ方、波からののがれ方、ウナギの仕掛け、冬のバトウ突き、ワラビやフキの取り方、山芋掘・・・・一つ一つ知恵が詰まってました。何か問題があると、男たちは浜に集まり、知恵を出し合い、何とか解決してました。女たちも同じです。年寄りや、親父おふくろたちは、ろくに学校出てなくても、先生や、役場の人や、議員さんたちよりずっと大人で、かっこよく感じていました。家もそうです。知識で作るより、知恵を出し合い作っていくものです。
教育は親の役目。
私の事務所のすぐ近くに有名塾があり、小学生、中学生が夜遅くまでウロウロし、夜9時、10時大量の父兄が車で迎えに来ます。大渋滞が起こります。何度も塾に抗議に行きましたが、何の改良もなく子供相手のうまい金もうけをやめる気はないようです。なんでこんなへんてこりんな世の中になったのでしょう。子供は家で躾、親の生き様、働き方を見て大人になっていくのです。「いい学校」と呼ばれているほとんどは、私が認めない職業、企業に入るためのところです。人の金を集めて商売する銀行、保険会社、税金を取り、それで食ってく多くの役人、自分を捨て議員のいいなりの官僚、この国の最悪職業政治家、・・・・・・こんなやつらになるため、塾に行く必要はないでしょうに。ぐうたらな親の元で育つ子供はもっと不幸です。知識も、感性も、信念も、常識もない人は親になってはいけません。本質を見ず、少子化で、何でもいいから産めや増やせよの策を練るあんぽんたんな政治家がいます。楽になるため、保育園増やせ、母子手当よこせ、生活保護くれ、楽な仕事をさせろ、アルバイトも、派遣も正社員と同じ条件にしろ。・・・・・票が欲しいのかバカな政党がこれを後押しするんです。生きるということは自己責任のもとで行われるのが基本です。人のせいにしたり、国に頼ることは恥ずかしいことと教える親が少なくなりました。教育はすべて親の責任です。