理不尽

世の中、理不尽があることはこの年になればわかったうえで、生きてますが、あまりにもおかしなことが多すぎます。国が、政府が、役所がすべて我々と違った感覚の上で理不尽が当たり前の決まりを作り、理不尽な答弁をし、理不尽な忖度をしているようです。もともと役所の縦割り社会の理不尽さに我々は翻弄され、怒りを覚えても、役人優遇国家の日本ですから我慢してましたが、改善どころかひどくなるばかりです。正論が役所につぶされる三流国家日本です。税務調査を受けても、世の中の仕組みや礼儀すらわきまえない若造が好き勝手な要求し、抗議すると、「おっしゃってることはわかりますが自分の立場ではこうするしかありません。」正義や正論より、立場を大事にする若者にはエネルギーも、国を思う気持ちも、夢も存在しません。一緒についてきた、ザ税務署職員と思しき、エネルギーも、魅力もかんじられない自分の組織の上司を向いて手もみしながら仕事するしかないのでしょう。物づくりの喜びや人助けの仕事の重さと違い、出世と、給料が上がることと退職金と、どれだけ休めるかしか考えないで一生送る人たちの思考には腹が立つばかりです。、彼らは日時も時間も守らず,我々はつき合わされ仕事ができない日が4日。我々の大事な資料を平気でポンポン要求して、こっちはそれを整理するのに、休まず、徹夜までしてるのに、彼らは、5時に帰り、土日休み。住宅の契約書などの書類ほど、大事な個人情報が書かれてるものはありません。約束の書類は提出しても、「調査に入ったからには金取ってこい。」が税務署の常識らしく、書類の要求はエスカレートします。「オーナーや関連業者の許可を取って書類の要求をするのが筋だろう。」というと、「外部には絶対洩らしません。もし洩れたら自分が責任とってやめます。」お前は総理大臣か?この若者の上から目線の回答にびっくりです。「お前の首なんか何の価値もない。おごるな。」こんなバカが働く者の税金をあつかうとはこの国もいよいよ終わりです。慇懃無礼な二人に正論で抗議する平田は、その温度差で、もう少しで若造をボテクリ回すところでした。私は知ってます。平田は一度切れると、「極道の女たちに変身します。」

家づくり

もう年配者しか覚えてないでしょうが、「北の国から」というドラマで、主人公の黒板五郎が粗末な家ながら自分で子供と棲む家を作りその後、丸太、石、拾ってきたものなどで家を作っていきました。35年前、舞台の富良野に訪れた時は、最初の家だけでしたが十分刺激を受けました。今回行く機会があり、すべての家を見てきました。老朽化が進み、保存も大変でしょうが、これは観光客や、安っぽい住宅産業の連中ではなく、家づくりの精神は我々が見るべきものであり、勉強させられるものでした。発想、頭の柔らかさ、バランス、センス、住宅屋はこうあるべきではないかとさえ思いました。フジテレビの美術部の人たちの感性と、職人の技で、バス、ゴンドラ、コンテナー、トラック・・・・・拾って来た石の風呂、卵を敷く紙が断熱材、洗濯機のドアが円窓・・・・・・暖かくて楽しくて、家づくりはこうあるべきだということを教えられました。震災や災害においても、国や自治体にすがることより、こういう生き方もある。自己責任は大変なことではなく、楽しくやりがいがある生き方だということをみんな忘れかけているんではないでしょうか。甘えすぎの世の中に、腹立たしさを感じてたこの頃、設計図なんかなく、手書きのスケッチを頼りに工夫し、探し、みんなで喜び完成させる家は最高の我々のバイブルです。金もうけ主義の大量生産や、激安住宅が幅を利かせてる現代、「こんな家づくりの心を忘れるな。」と叫びたくなります。この家を見て建築家なんて、大したことねえなー。と思いました。勉強した人ではなく、感性ある人がいい家を作ります。

 

 

十日恵比寿一日参り

六月です。毎月恒例の一日参りに、行きました。こうして商売を楽しくやりがいを持って続けさせていただけることへの感謝をこめて手を合わせます。今朝は巫女さんが出て、芋の輪なるものが売られてました。厄除けのようです。帰りは東公園を一周散歩しました。ここはここで大濠公園とは違う魅力がありますが、水の手入れが全くできてなく、異臭すらします。行政の怠慢です。それよりなにより、以前から思っているのですが、この県庁の建物の情けないこと。黒川記章などという、へんなおじさんに任せた行政が悪いのですが、美しさも上品さも、さりげなさもなく、色の悪い固まりでしかありません。日本一悲しい庁舎です。帰りにお世話になってるご入居者のKご夫妻にお会いしました。何度か一日参りでお会いしてるのですが、久しぶりでした。ご挨拶をして帰りました。昼から今日もまた佐世保に走ります。

福岡

最近お世話になってるご入居者の東区U先生とデッキの改装打ち合わせをしています。福岡が一望できる広いデッキを更に広くし、アクリルの手すりに変えてより眺望を強化し、白い塗装に変え、オーニングテントをだすごとでリゾートハウスになるでしょう。この家にお邪魔すると、福岡の街が実感できます。ほかにもいくつか好きな場所があります。夕暮れ時の大濠公園も、素敵です。高層の建物がないため空が広く、豊かな公園は多くの市民が訪れています。小戸のザ、ブルーも博多湾と能古島志賀島が実感でき、この季節、夕日がきれいで最高です。運が良ければ、ライトアップした大型クルーズ船も見えます。王道ですが、山の上ホテルから見る、夕暮れの福岡の町は大濠公園とももち浜を中心に、特徴ある風景です。工事をさせていただいている、ももち浜の26階から見える博多湾、マリゾン、タワー、ドーム、高速を流れる車、福岡の街はまた違ったロケーションで、わくわくします。志賀島の頂上や、船から煮る福岡の街は不思議な魅力があります。

福岡という町は海、山、が近く、いろんな表情がいろんなところで楽しめるということを、ここのところの最高の天気が教えてくれます。

穏やかな日

最高の天気です。今日は平田が私の代わりに大阪に行ってくれました。相変わらず、コーディネート、発注、現場、事務、経理、掃除、食事すべてに忙しくさせてます。昨日はM邸上棟打ち合わせを行い、佐世保のSご夫婦との打ち合わせも行いました。久留米スポーツクリニックは竣工検査でした。充実した仕事ができ、新しいご依頼の連絡もいただいてます。いい日々が続きます。今日は東京から孫を連れて息子夫婦が来るようです。我々のホームページやパソコンの件は息子に任せています。また私の体のすべてのチェックがあす終わります。まだまだ動き続けることができそうです。こんな日々に水を差して、腹立たしくさせてるのが、大西とかいうどうしようもない人間失格国会議員や、ドスケベな元文部事務次官や、そんなことにしか一生懸命になれない、安っぽい探偵屋民進党議員たちです。そしてこいつらを餌に儲けてるマスコミやコメンテーターもまともじゃありません。とにかく、立派な人が政治や行政の世界にいないことがこの国の弱点です。悔しくてなりません。立派な人はまず、議員や役人にならないのだと思います。今最もはずがしい職業のワースト一位が、政治家、役人です。まあ、顔にも、味もそっけもないですわな。

 

病院の風景

一週間病院に、検査で通いました。福岡でも名の知れた大きな病院です。たくさんの患者さんを、待ち時間少なく、わかりやすく、フォローしながら運営されてました。高齢者夫婦がとても多く、元気な相方が連れてきているようです。子供ではなくお年寄りが車いすを押してます。子供たちが遠くにいるのか忙しいのか・・・・・。看護師や職員さんたちは手厚くお世話しながら診察、治療されてました。タクシーできてタクシーで帰る人が多く、身なりも含め比較的裕福と見受けられますが、高齢夫婦二人の暮らしのような会話があちこちから聞こえてきます。「若いもんには迷惑かけたくない。」というお年寄りの言葉を耳にします。「若いもん」はこんなことを言わせちゃいかんでしょう。昔から、育ててもらった人が老いたら、何をさておき面倒を見るのは当然です。保険や、介護や施設は、若いもんが楽するためにあるのではなく、全力を尽くして、どうしても難しい時、助けをもとめるところで、介護を金で任せる場所や制度ではありません。介護の全責任は子供です。そして何より、お年寄りに我慢をさせてはいけません。心配はいくらさせてもいいのです。いつまでも子供や孫は心配なものらしいですから。今年の川柳の光景も七人ではないけどありました。「病院でサミットやってる爺セブン」

 

倫理観がない会社、人

東北の震災の際、東北に向かった福岡の建築会社、資材会社、職人がいます。助けに行った人もいれば儲けに行った人もいます。熊本もそうです。そして今熊本はとんでもない単価で建築が行われてると聞きます。災害が起きた時、私の入居者のドクターは自分も被災者でありながら医者としてはもちろん人としておおくの困った人に手を差し伸べました。建築関係者もそんな時だからこそやるべきことがたくさんあるはずですが、「東北儲かるぞ。」「熊本儲かるぞ。」という話を耳にするたびに、倫理観が欠落した人や会社が多いのが建築業界と言われることも仕方ないと悔しい思いをしました。。調子のいいことを言って仕事をもらいその力もないとわかるとさっさと入居者の検査やメンテもほったらかして、金だけ請求して逃げる会社なんぞ、恥を知れと言いたくなります。人をみようとせづ、金しか見えない連中のつくる物はやはり、陳腐です。政治家含め、国全体に倫理観が欠落してるのかもしれません。大人が襟を正しましょう。

 

 

検査

F大工が大病、手術をし、やっと退院しました。リハビリが始まると思います。私も責任ある仕事を続けるため、今年は細かく検査しています。明日は大腸カメラ、あさってはカテーテル心臓検査fです。一日つぶれるのは焦りますが、ここはきちんと検査します。日常は健康の上に成り立っています。年を重ねると、代謝が悪くなることを実感します。自己管理をする年齢のようです。お客様からも、「元気でいてもらわないと。」と言われます。平田にもこれ以上負担をかけないように、しっかりすみずみまで検査をするつもりです。

スイカ

わたしは桃とスイカは苦手ですが、私の同級生が植木の有名な農園を知ってて、去年大きな立派なスイカを送ってくれました。今年もその季節が来たようで、私と東京の孫のところに届きました。立派なスイカです。娘や平田は、おいしいと絶賛です。スイカづくりの名人のようで、家族でやってるようです。何度も賞をいただいてるそうですが、今年で最後とのこと。年齢と、後継者不足、人手不足が原因のようです。この人のノウハウを埋没させてはいけないと思うのですが・・・・・・残念です。時代が悪いのでしょうか。腕を磨いてこつこつやってきたものは、大型大量生産に飲み込まれます。我々の仕事も、今や資本に物言わせ、そこそこのものを大量に作り利益を上げるシステム作りに躍起で、巧みだ、技術だ、こだわりだ、文化だは捨てられています。恥ずかしい限りです。「今が食べごろです。」という手書きの手紙が添えられていることに、この人のスイカづくりのプライドを感じました。この人を辞めさせてはいけないと思うのですが。

最近の新しいものはつまらん。

ハイブリットや、低燃費のコンパクトカーができて、車は男の憧れから女性と子供のための乗り物になったようです。こだわりの嗜好品から生活の道具になったということです。徐々に車は自動運転、空間を飛ぶものと進化?をしていくようです。携帯電話と呼んでたものがあっという間に、電話の機能より、メールや、パソコンや、ゲームや、音楽、本、財布、ナビになり、電話の音、きっぷ、手紙、といった歌の文句や、思いをしのばせる行為を、奪い取りました。読み書きや、外国語、地理、計算など、機械の操作を覚えることがマスターするということです。最近急にクイズ番組が多いのは、人間の知能が危ういという危機感なのかもしれません。たばこや酒も、「悪」のレッテルが張られ、テレビドラマや映画の硬派の演技から消えました。サイバー攻撃だ、ウイルスだと騒ぎ立て、男も女も、区別がつかず、同性婚だ、お姉だという人たちがそれで金を稼ぎ、好きなこと言ってます。何の生産性もない、コメンテーターや評論家という輩が幅を利かせ、人のためになるより、責任を取らなくていい仕組みやビジネスを、コンプライアンスと呼びます。男女平等もはき違えられ、おんなはわがままになってます。そして男が軟弱になってます。つまらん世の中になっていくなーと思います。すべての臭いものはファブリーズをかけるという、ごまかしの世の中です。どうしようもない頑固でわからず屋の愛すべきわがままな男が見当たらなくなりました。昭和がいいなー。