日曜日の午前

土曜日日曜日は打ち合わせが多く、今週は、私が佐世保と、大阪。平田が、市内と久留米です。ありがたいことに、今日のMご夫妻は事務所での打ち合わせです。それぞれの打ち合わせの下準備や、新規のお客様のプランの時間も必要で、毎日もう一人いてくれたらと思います。それでも日曜日の午前中は少しだけ気持ちがほっとします。体のケアも大事ですが、気持ちのゆとりも大事です。仕事に振り回されず、中身の濃い仕事をしていく年齢と経験は積んだように感じます。お金の心配はあっても、修行が終わり、量から質にやっと変わっていいのではないかと考えています。自分で精いっぱいベストを尽くして作った家は、心技体が充実してないとできません。日曜の午前中に考えた家はのびやかなプランです。オーナーご夫婦が素敵だと動線なんかより二人でくつろぐ空間に力が入ります。

口うるさいおじさん

自分より若い人と仕事をすることが多くなり、業者や、メーカーの人との打ち合わせなどで、30代までの人と話す際、小さい時から話す教育を受けていないせいか、「ふんふん、」「あー、あー」「うんうん」・・・・話してる途中の言葉です。「お前いい加減にしろよ。営業をやってる人ならなおさらのこと、そんな言葉対応だと誰も相手せんぞ。自分を大きく見せたいかどうか知らんが、あなたも会社もろくなもんじゃないと思われるよ。」注意します。口うるさいと思われても、、若者に、小言を言うのは昔からおじさんの役目です。最初からダメかもしれない、間の合わないかもしれないという条件を取り付けて仕事を受けることも最近の風潮です。「何とかして頑張ってやってみます。」というプラス思考の若者を受け入れない社会なのかもしれません。コンプライアンスとかいう、人も経済もダメにする横文字の病気です。もっと働き、もっと残業し、もっと稼ぎたい人、バイタリティーにあふれている人は排除されつつあるようです。私はそんな若者の味方です。ナントカフライデー・・・・・横文字より、修行、義理、人情が日本人には大事です。相撲の世界を見ると一人前になるにはどれだけの修業が人用かわかるはずです。

 

母を亡くし一年

母を亡くして今日で一年です。通夜や葬儀の際に、地震が続きました。故郷を離れ晩年を福岡で過ごさせてよかったのかどうかいまだわかりません。人に喜んでもらえるように働くことが何より大事という信念の人でした。私の授業参観、運動会、入学式、卒業式、など、「お店があるから」と自分は出席せず、祖母でした。私が高校大学で、島を離れてからも、私の住んでるところに来たのは6年たってからでした。母を見習い自分の息子、娘も、自分のことは自分でやるように育てたつもりです。とにかく頑張る母の印象が強く、自分が怠けることが恥ずかしくなるほどの存在感でした。店をしながら、家事、介護、そしていつも礼儀としての化粧はきちんとしていたことがすごいと思います。人として、尊敬できる母でした。ここ数日やや体調がよくない中、動いてましたが、昨夜おなかの痛みがひどくダウンです。「働きながら直しなさい。休んで迷惑かけることは許されんよ。」そんな声が聞こえます。

へんな世の中

最近とどまるところを知らない、ITの世界。ネットなるもので、いろんな情報が氾濫し、お金が動き、機械を操作することをどれだけ覚えたかが頭の良し悪しになる時代です。機械ひとつの操作ですべての言語すら操れますし、雑学から何から何までわかる脳を持ち歩いてるわけです。人間が長い間守ってきた道徳すら突き破り、新しい犯罪が増える一方で、それを防ぐためまた、新しい機能が生まれビジネスとなり、・・・・それの繰り返しです。一つの情報に、寄ってたかって〇、×をつける昨今、自分の思いは封印して、本音より建て前がよしとされてるようです。ネットの他愛ない写真や文章にマスコミが目頭立て、ニュースやワイドショーのネタにする。ときに国会での話題になる。ほとんど身に起こることは自己責任と教えられてきた私にとって、「保育園落ちた日本死ね。」と書いたバカな親や、災害や基地問題で、国が何もしてくれないと叫ぶ人たちをとがめない社会に驚きます。沖縄を含め基地は必要だし、福島の原発あたりはもう使えないのです。本当のことは言ってはいけない世の中は変な世の中です。本音を戦わせることが討論であり、議論です。本音で話すとすぐ大臣職を追われたり、公務員や先生は首になります。げんこつがいつからダメになったのか?体罰がいつからダメになったのか・・・・・・・やはりへんな世の中です。

 

最近高級すぎて音がなくなりました。「静か」を、科学で手に入れてはいけません。私がのってた自転車は、キーというブレーキの音や、ギイギイいう錆びた音がしてましたし、車も大きなエンジン音で、危険を避けてました。水道が出る音、お湯が沸く音、飯が炊ける音など、匂いとともに、家の中は今何をしてるか寝ててもわかりました。電話の音、鳥の鳴き声、風鈴、砂利を歩く音・・・・・。窓や戸や雨戸は建てつけが悪いけれど、嫌な音ではなく、密閉性が悪いからいろんな音が耳に入り、まわりの状況がわかる時代でした。今音がなくなり、ちょっとした音が「騒音」と呼ばれるご時世です。幼稚園の子供の声が騒音と言われ出したのも最近です。除夜の鐘がうるさいと文句が出てるようです。人間の五感を退化させ、ぎすぎすした社会を作る「発展」とやらは、今後よくよく考えて行わなければいけません。最近みんな後ろの時代を振り向き振り向き、「昔がよかったのかも。」「まちがったみちをすすんでいるんではないか。」と考えてる節があります。科学は取捨選択の時代です。

甘え

今月母の一周忌をします。家での介護が不可能になり施設に入れて、昨年亡くなりました。マザコンの私にとって、生きてさえいれば精神的に甘えられてました。毎朝仏壇に向かい、亡くした大事な人との会話の中で、母への報告が一番長くなります。いまだに願い事や助けを求めることが少なくありません。でも甘えてばかりの母を亡くしてから独り立ちしたのかもしれません。少なくとも、親がなくなり、私は子供ではなくなったわけです。娘が「最近、少し、ごめんという言葉を使うよね。前、絶対言わなかったのに。」

甘えるということは自分の思いだけ伝えようとすることです。だからわたしは一方的に怒ったり、怒鳴ったりしてました。甘えがない人は、人の言い分を先に聞くことができるそうです。そのうえで、しっかりした言葉で、ほめたり、叱ったりするそうです。母の言葉がいろいろ思い出せます。

叱ってやる優しさ

叱ることがない世の中になりました。修行することもなく、徹底的に甘えて、いやな思いもせず、楽して、たくさん休んで、できるだけいい給料をもらうことが目標になってます。それを正すどころか政治も、行政も、後押ししています。家庭ですら、へこへこおやじばかりで、家族の秩序とか、教育とかわれ関せずで、叱ることもなく、ご機嫌取りです。我々世代に責任があります。叱ってあげましょう。これから新社会人が世に出る季節です。よその会社であれ、よその子であれ、我々世代が叱る役目の年です。お客様や、世の中の常識で物事を判断できず、会社の上の方を見て働いてます。何とかしてお客様の期待に応えることより、できない理由や決まりを話すことが会社のためと思っています。おもしろくもないだろうに。夢や希望がなく、事なかれ主義がはびこってます。コーシャルじゃないけど、すべてはお客様の「うまい」のためであり、ファンのためのプロ野球であり、あなたに喜んでいただくための家づくりであるべきです。叱ってくれて修行させてもらえる企業や、職人の世界を大事にしないと、世の中携帯電話やと、コンビニアルバイトとファーストフード店、回転すしやしかなくなります。

あわてました。

平田にいろんなことを頼み、新幹線で、八代に出かけたのですが、メールで、「腹の激痛で、病院です。ノロらしいです。」昼から平田と打ち合わせ予定のS様にお断りの電話を入れ、早々に八代を切り上げ、新幹線で久留米により、M氏と実設計の打ち合わせをした後、博多に帰り平田に頼んでたL&S見積もりを送るための作業をしました。平田がいないとパソコンもうまく操れず、手書きのままのものをお送りしました。失礼しました。それからすぐ銀行に行き、鳥栖M邸の決済の打ち合わせと最終書類の打ち合わせを行いました。すべてあわてました。一人は半人前といわれる意味を実感しました。それにしても、この一番忙しい時期に、ノロとは・・・・・。明日も打ち合わせ予定ですが大丈夫でしょうか?今までいろんな病気で、寝込むことはあっても、飯だけは完食してた丈夫な胃をしてたのに、ノロとは・・・・・・生ガキのようです。ちなみに私は明日胃カメラの予定です。

 

暇人たち

都議会は豊洲の証人喚問でくだらない時間と金とをかけ、森友学園も、やや発狂気味のおじさんとおばさんに、国会や、総理が反応し、どちらも大勢で、すったもんだしてるようです。これだけ暇で、くだらない役人や議員がいることに驚き、それをまた多くの品がないマスコミが毎日追いかけて同じことを朝から晩まで流し、この国はどうなってしまったんでしょう。やるべきことはほかにたくさんあります。恥ずかしくないのでしょうか。毎日、心配や不安をかかえながら一生懸命働き、暇でくだらない役人や議員を養うための税金や公共料金を支払い、やっと生活できる国民が犠牲になり、この国は成り立ってます。暇でバカほど、金をくすねるようです。この責任は昔でいえば上にいた人たちが潔く自害するべきことです。権力の座にいた時は威勢が良くても、今、だれ一人、リーダーの器だった人が見当たりません。「だまされた。」我々の上納金で好き放題遊ばれ、ごまかされ、・・・・・・今となっては知らぬ存ぜぬ、記憶にない。暇人の暇つぶしはうんざりです。

八千代座

山鹿に行く機会があり、八千代座によりました。案内人の方が説明をしながら館内を見せてもらいました。外からは何回か見てましたが内部に入るのは初めてです。傾斜のついた畳、花道、舞台や奈落、二階席・・・・・華やかな天井、昔ながらの大衆演劇の雰囲気そのままです。木で作られた細工の中に、知恵がたくさん見えます。

八千代座にしろ、熊本城にしろ、後世に伝えるべき建物ですが、今、これらの建物はこのまま建てようとすると許認可されるものではないはずです。多くの建物や住宅を、新築の際、県や市は審査し、厳しく指導してますが、自分たちが管理して観光の目玉としてる昔からの建造物に対し、「安全」をどう考えてるのでしょうか。私はそれらの建物を否定しているのではなく、なるべく現存のまま、手をいれることを最小限にして残し、正直に、今の基準以下だけど歴史ある建物を現存に近く管理しながら残し、みなさんに見ていただきたいと告知すべきだと考えてます。それでも何かあったら自己責任でいいと思います。

今の建物も新築時の審査はしても、年月を経て老朽化したものの安全性は誰もチェックしないわけで、役所のすべきことはたくさんあり、九時五時勤務、土日休み、有給たっぷり・・・・・そんな暇はないはずなんですが。お金を取って築年数が古い建物の検査を義務付ければ、街の安全、美化、財政もよくなると思うのですが。