親子

親子のあり方は様々です。私は対馬という離島が故郷で、15から家を出て下宿をしながら高校、大学生活を送りました。それでも、正月は必ず、帰省しました。夜行で5時間半かけて諫早から博多に朝5時半につきます。寒い中ゆっくり歩き、築港で八時発の満員のフェリーに乗り、5時間.時化の時はあちこちで、船酔いです。幸い船乗りの息子である私は平気でした。船を下りて1時間やっと家です。じいさんばあさん、親父おふくろ、叔父叔母、近所の人みんな寄ってたかって「ようかえったのう。」近況報告の後、晩御飯でごちそうを食べ、店の棚卸の手伝いです。みんな喜んでくれていることがうれしく感じてました。じいさんばあさんが亡くなり、家庭を持ってからは親父とおふくろを正月呼んで、温泉に行くことを恒例行事とし、12年続きました。孫と風呂に入り飯を食い、うれしそうな両親を見るのが好きでした。うちの子供たちも中学、高校、大学の時など、友人と出かけたり、旅行に行くこともなく、今も正月は家で過ごします。それが決まりのように感じてるのでしょう。親子は気持ちはもちろん、どこかで必ず顔が見れるという形を持ってないといけないように感じます。親を亡くし、なおのことそう感じます。

携帯電話病

いまさらですが、携帯電話がウイルスのように人々に蔓延し、人間の知能や、道徳や、感性を奪っています。大阪に行く新幹線の中はほとんどの人が、携帯に目を奪われ、佐世保への高速バスも同じです。高速のパーキングでも、車の中で多くの人が携帯を手に取ってます。一人、二人で飯を食ってる人も、多くが携帯を見ながらの食事です。旅行であれ何であれ、旅に出ると車窓の風景や、街並みを自分の目で見ていろんなことを感じるのに・・・・・・。携帯にある情報や、データで旅行したり飯食うところやメニューを決めて、ゲームで遊ぶなどという人間は、旅の意味がなく、携帯に育てられた機械人間でしかありません。そのせいか、旅の準備もしなく、「携帯で探せばいいね。」携帯のデータを巡ることが旅のようです。手紙もろくにかけず、会話が楽しめず、恋愛もセックスも、機械の疑似体験で済ましてしまう。子育てにも携帯が必要になってるようで、恐ろしいことです。自分の手で図面を書いてることで、私には私のデザインが確立し、猿まねやデータではなく、感性によるアイデアが下りてくるのだと信じてます。パソコンや、携帯野郎に負けるわけがない。

全否定はしませんが、人間として、携帯の使い方さえ、自分でコントロールできない人は不治の病に侵され、感性が壊滅して、機械操作で機械の中にあるデータで人生を送る羽目になります。携帯依存は、馬鹿製造ということです。

勝手な奴ら

万引き犯にやられた店主が、防犯カメラの映像を公開したり、捕まえた万引き犯を写真にして店に張ったり・・・・・・「気持ちはわかるが遣りすぎだ。」みたいなことをマスコミが、法的な専門家に意見をもとめたり、私が嫌いなコメンテーターとやらに「警察に任せるべき。」みたいな意見を言わせて番組を構成している。やられたメガネ屋、魚屋にとっては、おまえらにとやかく言われる筋合いはない。自己責任で被害を食い止めないと死活問題だと思ってるはずです。。私も、自分のデザインをよその下手な力ないところから盗作されたことはたくさんあります。物を作ったり、うったりしてる者にとってそれを取られるということは、給料取りや、口先で金もらってるやつらにわかってたまるか。と思います。犯罪ですよ。マスコミは、犯罪でもないことで、人のプライバシーに平気でマイク突っ込んだり、おいかけたり、写真を公開したり、恥ずかしいことをたくさんやって稼いでるくせに、言い分が勝手すぎます。公共の電波はもっと有意義に使ってほしいものです。

住職

年を重ねると、見送る人が多くなり、葬儀に参列する機会が増えます。子供のころ、あたまをまるめた住職が物珍しく思えていましたが、最近では、寺院仏閣、住職に目を奪われ興味を示すようになりました。葬儀の際の住職のお説教は今やっとわかる言葉です。修行を重ね仏に使えるということがどれほどのものかわかりませんが、最近は家族葬など、簡易的な見送りが多くなり、お墓を持ったり、檀家になったり。門徒も少ないそうです。お寺も営業が必要な時代になり、テレビに住職が出演したり、本を出したりは有名な人で、ダイレクトメールや、はがきで個人の法事を薦めたり、仏への感謝の念仏を唱える会を催したり、ペットの供養や、ペットと同じお墓にという話も聞きます。寺院仏閣の行事が「ビジネス」という言葉に近くなることを残念に思います。ただ仏壇と、墓はいつも生活の中にあるべきもののように感じています。お経と線香のにおいは家庭において爺さんとばあさんの役目でもあります。

大阪

大阪吹田のK邸の解体現場に行き、その後、輸入部材業者のF氏に甘えて、通天閣、難波グランド花月、道頓堀など、大阪らしいところに連れて行ってもらいました。所変われば何とやらで、活気ある大阪でした。歩いてる半分以上が中国、韓国のようにも感じました。通天閣下の新世界はずいぶん以前よりきれいになってましたが、やはり一番大阪らしく、面白いところです。そこで独特の文化がある大阪の串揚げもごちそうになりました。私が大好きな吉本新喜劇、茂ジイの舞台を今度見たいと思います。

商売、食い倒れの大阪と、大阪城あたりの、文化的大都会のふたつの顔を楽しみました。

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二月

一月は怒りながらよく動きました。なんとかとかぎりぎりで目標を達成です。筑後のM邸、南区S邸は平田の頑張りで、月末完工です。今日は一日参りに行き、ご入居者の改装現場調査と、ハウステンボスワッセナーの、見積もりです。昨日、佐世保のスペックハウスの現場打ち合わせでした。オーナーも顔を出され、色や、おさまり、輸入部材の取り付け方など長時間でした。今月完成内覧会です。監督が「やっと輸入部材の考え方や修まり、デザインがわかりかけてきました。」と言ってました。屋根の施工や、外壁の役物の使い方、玄関回りのパネルおよび塗装、ドーマーなど、違う修めも多いのですが、工務店は理解し、できるだけ修正しようと努力します。保守的な工務店は「できません。」で終わり、進歩がありません。我々も新しいデザインや、マテリアルに目をとめ、日々勉強です。二月こそ、今年のスタートです。

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暖炉は大人の嗜好品

我々が作る住宅の約半6割が、暖炉もしくはまきストーブを設けます。セントラルエアコンの家であっても、多くのオーナーが希望されます。「火をつけるのが面倒、灰を掃除するのが面倒という人もいますが、その面倒な行為こそが暖炉を設ける醍醐味です。火を入れる楽しさ、動く炎とパチパチという音、まきが燃えるにおい、ほかのものとは違う暖かさ、・・・・・大人の嗜好品です。建築家のライトは学生に向かい、「君たちが大人になって家を手に入れるとき、暖炉を設けなさい。暖炉は知能や感性をはぐくむ。」と言っています。狩猟民族、農耕民族の差はあれど、多くのアメリカの家は2台、3台と暖炉があります。私も二十年暖炉と暮らしていますが、空間が豊かな空気感に包まれます。暖炉は安価なものです。照明を暗くして、暖炉に火を入れた部屋で、BGMを流しながら、コーヒーを飲んだり、会話をしたり、本を読んだり、そんな時間が豊かです。

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困ったおばさんたち

お客様と、スタバで待ち合わせです。二つのボックス席はどちらも65歳前後のおばさん二人組に占領されてます。脇目も振らず、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃしゃべりっぱなしです。途中で十分も十五分も電話をしたり、トイレに立ったりして、店員に聞くとコーヒー一杯で二時間半粘ってるそうです。お年寄りや子供連れの4人家族や、五人家族が寒さに負けて、はいってきてもどこうとしません。品もやさしさも思慮深さもあいません。こんな親に育てられた子は、ろくなもんではないはずです。「これだけたて込んで、困ってる人がたくさんいるのがわかりませんか?恥ずかしいと思いなさい。」ついに言ってしまいました。「おばさん二人で話せる席はたくさんあいてます。譲ってやってください。」やや不満そうに帰っていきました。年を取ることの悪に、恥ずかしさがなくなり、ずうずうしくなる。ということがあります。私もそうです。気を付けないと。若い人以上に使いこなせない、携帯をいじり、写真を見せたりしながらのおしゃべりは醜く犯罪です。暴言とは知りつつ、こんな主婦の家は散らかり、まずい飯を出してるに違いないと思うのです。

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正統派

靴や、時計や、メガネや、背広や・・・・昔から続く、正統派を身に着ける年だと思うよと、娘に言われます。大人がやることをやり、正統派が似合うようになるのだそうです。恥ずかしくないものとは、やすくもなく、高くもなく、身に着けて落ち着くものだといいます。100円ショップの老眼鏡とか大量に買うとひどくおこります。ボールペンではなく、万年筆を持つようにと、プレゼントされました。

長く人々から愛され支持されてるものは、「いいもの」です。お得なものではありません。何においても老舗は落ち着きます。安心感があります。ユニクロの服を着て、ファミレスや、回転ずしやマックで飯を食い、コンビニで買い物し、LCCで空を飛び、ジーパンとTシャツで、カプセルに泊まるエネルギーは若者にはかっこよくても、我々には、やや恥ずかしく感じます。ロレックスや、フランクミューラーの器ではありませんし、好きでもありません。セイコーが好きです。物はもちろん人としても、当たり前のことを当たり前にやる正統派でいたいものです。

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魅力ある人生

先日U先生ご夫妻と食事をご一緒させていただいたり、佐世保のS社長、ハウステンボスのMご夫妻、、Sご夫妻、鳥栖のMご夫妻・・・・・・おおくのオーナー様と年末年始、お話しする機会をいただきました。、みなさんなんでこんなにも魅力的かと考えてみました。大きくは自分の好きなことを職業にされてるようです。そしてその仕事で、いまだに一生懸命社会貢献されています。発言が前向きで、プラス思考であり、愚痴がありません。組織に頼らず、自己責任の人生です。経済人の多くはあまりある財産があっても、金もうけに走ります。金もうけのためのビジネスを続けるだけです。そんな人は貧相で、いい表情がありません。そして出てくる言葉にあじも、楽しさもありません。人生はどうして儲けるかではなく、何をして人の役に立つかです。大企業の傘の下の居心地はそれほどよくないようで、我慢と辛抱が多いようです。

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