いろいろ感じます。

十日恵比須も終わりました。相変わらずの賑わいで、出店も繁盛のようでした。これだけの人手や、飲み食いする店が軒を並べてても、ごみは管理されてるし、道も汚れてなく、境内へも並んできれいなお参りです。これが隣国だとこうはいかないと思います。大判が当たりました。

賭けマージャンの飯塚市長が辞職のようです。勤務中麻雀して高報酬をもらえるんですから・・・・・悲しい仕事です。言わしてもらいますが、国会議員もひどいのが多いし、地方議員、役人も、頭を抱えるほどの「バカ」が多すぎます。今我々が議員や役人を養っているのが現状です。躾と教養がなさすぎます。議員という趣旨からいうと、報酬はなく、経費だけで、人のために動くくらいの人でなければいけません。それだと優秀な人材が集まらないという人がいますが、そんなことはありません。楽して金を渡すから、税金を平気でごまかしたり、号泣したりする「バカ」が集まるんです。討論や議論ができるレベルの政治家、役人がどれくらいいるのでしょうか?

最近、こじゃれた高齢者が増えてます。いいことです。ひげや、メガネや、帽子や、マフラーや、いろんなアイテムに身を包み、カラフルな装いは一昔前の高齢者とは違います。芸能人なんかは、注射や薬で、しわをなくし、エステなどで若さを保とうとしているようです。歩んできた道が顔に出る年齢を隠すことがもったいないと思います。しわは勲章でもあります。老いかたを間違えない働き方をしたいものです。恥じることない必死の人生が素敵な高齢者を作ります。

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熊本M邸案内

我々の代表作でもある熊本M邸は、ひつひとつこだわった重厚感あふれる大人の住まいです。それでいておしゃれな空間は、初めて訪れた人はおどろかれます。今回も久留米から設計デザイン契約をいただいてるM先生ご夫妻をご案内させていただきました。奥様がすべてキャビネットの中から、クロークまで見せていただき、おいしいお茶やケーキまでいただきながらの素敵な時間を演出していただきました。いつものことですが。家以上にオーナーに魅力を感じていただきます。我々が家を通じてこのような関係を築けているのが何よりの信頼につながります。案内という行為は我々の家づくりにおいて一番大事なものです。案内させていただける家を目指し続けています。帰りには案内させていただいたのに、お土産までいただき、恐縮です。素敵な時間でした。

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佐世保

6日、L&S、そしてその関連業者の祈願と、新年会、そしてスペックハウスの打ち合わせでした。今年も、S社長はじめ、みなさんと仕事をさせていただき、少しでもお役にたてるように頑張ろうと思いました。火をたきながらの祈願は迫力満点で、今年初めて参加した平田も、驚いてました。佐世保の帰りは幾通りかの楽しみがあります。武雄温泉の、44,5度の元湯に入り、高速を佐賀大和で降り、三つ瀬で、そばを食べて、パンを買って帰るルート、有田でコーヒーカップがたくさん置いてあり、それを選べるしゃれたお店でお茶を飲み、気楽に有田焼を見て、伊万里を通り、伊万里ちゃんぽんを食べ、西九州道で、唐津を通るルート、高速で、そそくさと帰るルート・・・・・・いつも次の予定のため最後が一番多いのですが、昨日は武雄によってあったまりました。

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あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。新しい年を暖かく迎えられ、いいお正月です。叔母が対馬からきて、昔話に花が咲き、改めて、先祖を思いました。個人は喪中ですが、会社ではたくさんの年賀状をいただき、ありがとうございます。今年は今まで以上にいい家を作ることを考えます。前々から考えてた自分の理想の家づくりにチャレンジします。この正月山口に行く機会があり、世界の絶景30に選ばれた元の隅稲荷に行きました。天気がよく確かに絶景です。鳥居の上にある賽銭箱にお金を投げ入れるのですが、私の投げたお金が無事入り、拍手喝采でした。いいことがありそうです。帰り日露首脳会談があった大谷山荘にも立ち寄り、正月もロングドライブです。

毎年正月は今年仕事をいただけるだろうかという不安を持ちスタートします。一生懸命動くことでその不安と闘いながら頑張ります。宜しくお願い致します。

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今年最後のブログ

31日午後です。昨日の午前中で業務は終わり、今日は事務所で片づけです。一年乗り切り、いい出会いや仕事に恵まれました。我々のできることは、まっすぐ、一生懸命家づくりをすることしかありません。資金もなければ、策もなく、経営者としての資質などみじんもありません。必要としてくださる方とまっすぐな気持ちで向き合うことです。おふくろをはじめ大事な人を亡くしました。自分の体も衰えつつあることを実感します。でも何か歳とともに見えなかったものが見えてきたり、大事な人をなくして感じなかったものを感じれたりもします。だからつい若い人にそれを伝えようと必死で大声を上げてしまいます。いつまでも勉強が人生です。平田とともに健康でさえあれば少々のことは乗り越えてきた自信があります。数年前のどん底をいまだ引きずらされながらも、多くの人に助けられ、今年も年が越せます。毎年のことですが先祖に手を合わせること、力はなくなっても子供たちをしっかり見守ること、そしてご入居者を大事におもうこと、平田といい家を作ることに何も惜しまず邁進すること、工務店職人に感謝すること、これを誓い今年最後のブログとします。皆様よいお年をお迎えください。

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さみしくなります。

横浜のおじが亡くなりました。まだ70です。おふくろの年が離れた弟で、子供のころからかわいがってもらい、いちばん親しい付き合いでした。家も私に任せてくれ、兄弟のような付き合いでした。若い時から心臓病で何度も手術を重ね生死の境をさまよいながらいつも復活してたのに・・・・・。今年は母、叔父、叔母、を亡くしました。どんどんさみしくなり、毎朝仏壇に手を合わせるとき、呼び掛ける人が増えます。娘も大好きな叔父だったので、ショックで、朝から横浜にお別れを言いに行きました。息子は出張先のサンフランシスコから電報を打つそうです。自分の残された時間を大事に、悔いなく生きなければと思います。私が独立する前どん底のころ、「お前なら立ち直ってやれるよ。おまえが作る家はいいもん。いいもん作れるやつが騙されない限り、失敗するわけないから。信じてる平田さんや、渕上さんに感謝しながらがんばれ。」この言葉は自分の宝です。長い入院生活で、老いたり、多少アルツハイマーが入ったと聞くのがつらくて、あえて、東京出張の時も会うのが怖くて会いませんでした。安らかに眠ってください。

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30の娘は理学療法士として忙しい毎日を送っているようです。時々外で飯に行ったり、「平田食堂開いとる。?」という電話で、事務所に飯食いに来たり、差し入れを持ってお茶を飲みによります。「じいちゃんやばあちゃんの兄弟が生きてるうちに、いろいろ聞いて家系図作っとこう。」といいます。エピソードも含め、先祖を知りたがってます。最近ぎっくり腰になりました。「ババアやな。」というと、一生懸命仕事してる勲章みたいなもので、これで、より患者さん、利用者さんの気持ちがわかり、寄り添える。」といいます。どこまでもプラス思考です。仕事も、遊びも楽しんで夢中になれてるようです。最近では私が注意されることも多くなり、「もっともだ。」と思わされます。小さいころから平田の仕事ぶり、生き方に尊敬の気持ちを持っているようです。それと職場でいい人たちそだててもらい、、いまは育ててるようです。平田が「とにかく社長とそっくり。」といいますが、それがいいといってるのか悪いといってるのかは教えてくれません。

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福岡

大阪に日帰り出張でK邸の打ち合わせを行いました。東京、横浜、大阪などと比べ、福岡ののんびり感が私はあまり好きではありません。有名人が福岡はとても住みやすいとか、食べ物がうまいとか、移住するなら福岡とか言ってます。それは町に必死さが感じられないからです。人に、向上心が少ないからです。福岡には競争がありません。独占の西鉄、九電、西部ガス、JR九州が主流企業で、ほかは「支店文化」です。自分たちの仕事の領域を脅かせれる心配がない九州山口の主要都市ということもあり、福岡の主たる企業の、関連企業に就職すれば一生安泰です。福岡は大学より高校の同窓が重要です。修猷館、福高、筑紫が丘、・・・・・ここのきずなは福岡では重要です。商売人の街であった福岡は実はごりょうさんが実権をふるい、旦那は表面の役目です。何日も家を空け山笠ができるのは、日ごろから奥さんが商売をしてるからにほかなりません。私が見た福岡は、あまり頑張らなくても食っていけて、好きなことして、楽しんで、自然と、地理的優位で、やや社会主義的大都市です。

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時代

「除夜の鐘がうるさいので除夜の鐘中止」「餅つきは衛生上よくないので、付いた餅はふるまわない。」だんだん世の中おかしくなってます。こうして時代が変わっていくのでしょうか?。体罰や、セクハラやパワハラについても、形で判断するのではなく、相手の心の中が幼くても覗けてました。そして当事者以外の人間が、騒ぎすぎです。派遣やアルバイトの労働条件、失業保険や病気による長期の休みなど、弱者のための法整備ではなく、悪者のための法整備としていいように利用されてます。子供ではなく、政治家や役人にも「働く」という意味から教えないと取り返しがつかなくなります。

大好きな中島みゆきの「時代」のように、回ればいいのですが今,時代は遠いところに行ってるように感じます。みんな幼児化したわがままな大人が増えてます。

平田が風邪でダウンして数日、もちろん業務上大変ですが、それよりなにより、自分をわかってくれて、同じ価値観で動き、相談に乗り、助言してくれてたことに気づき、感謝です。

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おふくろ

今年おふくろを亡くし、12月のこの時期、個人としては喪中となります。会社としてはお年賀させていただきます。離島の小さな町でも「小澤商店」は12月大忙しでした。お歳暮、正月の餅つき、おせちの準備、長い休みに備えての仕入れ・・・・・役場くらいしかサラリーマンはいません。みんな、イカ釣り漁師、百姓、お店・・・・・・貧しく、皆必死でした。小澤商店も、31日10時過ぎ、店を閉め、棚卸です。年が変わってやっと一息ついてました。紅白歌合戦はいつも、棚卸しながらラジオから流れてました。船乗りのおやじはしけが続くと、博多から帰れず、船での正月ということも何度かありました。時が流れたんだなーと思います。毎日休みもなく朝5時半から夜9時半まで店に立ち続けたおふくろの頑張りに今更ながら頭が下がります。祖父母、両親、叔父叔母、いとこ・・・・子供もみんなでかたよせあって働いていた12月はある意味、活気にあふれてました。

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