ハイブリットや、低燃費のコンパクトカーができて、車は男の憧れから女性と子供のための乗り物になったようです。こだわりの嗜好品から生活の道具になったということです。徐々に車は自動運転、空間を飛ぶものと進化?をしていくようです。携帯電話と呼んでたものがあっという間に、電話の機能より、メールや、パソコンや、ゲームや、音楽、本、財布、ナビになり、電話の音、きっぷ、手紙、といった歌の文句や、思いをしのばせる行為を、奪い取りました。読み書きや、外国語、地理、計算など、機械の操作を覚えることがマスターするということです。最近急にクイズ番組が多いのは、人間の知能が危ういという危機感なのかもしれません。たばこや酒も、「悪」のレッテルが張られ、テレビドラマや映画の硬派の演技から消えました。サイバー攻撃だ、ウイルスだと騒ぎ立て、男も女も、区別がつかず、同性婚だ、お姉だという人たちがそれで金を稼ぎ、好きなこと言ってます。何の生産性もない、コメンテーターや評論家という輩が幅を利かせ、人のためになるより、責任を取らなくていい仕組みやビジネスを、コンプライアンスと呼びます。男女平等もはき違えられ、おんなはわがままになってます。そして男が軟弱になってます。つまらん世の中になっていくなーと思います。すべての臭いものはファブリーズをかけるという、ごまかしの世の中です。どうしようもない頑固でわからず屋の愛すべきわがままな男が見当たらなくなりました。昭和がいいなー。
リゾート、旅
貧乏性なのかリゾートを楽しむというという良さがいまだにわかりません。ハワイ、プーケット、沖縄、・・・・南の島に行ってゆっくり楽しみ、くつろぐという性分ではないようです。せっかちで、商売人の子供で、休む恐怖を教えられて育ったせいだと思います。でも旅は憧れます。仕事で、アメリカにはかなり行きましたが、いつも新鮮な驚きと、憧れと、新しい家の構想が浮かびます。私はどうも寒い国の方に思いが行くようです。ヨーロッパはイギリスに行きましたが、それほど興味はありません。仕事から離れるまではアメリカに行き続けるでしょうが、仕事から離れたら、アラスカ、に行きたいと考えてます。アラスカもアメリカですね。ニュージーランドにも憧れます。ただ日本の中で、北陸、東北にまず行きたいと思います。仕事でそのチャンスがありそうです。結局仕事が隣にある旅が好きなのかもしれません。打ち合わせでいく、東京、横浜、神戸、大阪は駆け足ですが楽しいものです。
お金がかかること?
一人やめて最近おじちゃんおばちゃん二人で頑張るにはやや大変で、一人誰か一緒に楽しんで働ける人がいないかと、張り紙の募集や、ホームページや知り合いに頼んでいましたがなかなか・・・・・・・。驚くことに最近は人を探したりすることに莫大なお金がいることを知りました。仕事の実績があり、素晴らしい知識と成果を併せ持ってる人を引き抜いたりすることにお金を要することはあっても、正社員でけではなく、アルバイトや、パートでも、見つけてもらうのに大きなお金が必要だと聞きます。採用になると、もちろんお金、場合によっては毎月の給料の何パーセントを別に取られることもあるようです。多くは、束縛されず、責任がなく、お金がいいところという希望を言うお姉ちゃんや、お兄ちゃんもしくはオジサンおばさんのようです。こんなインチキやくざのような商売が成り立ってることに腹が立ちます。レベルが低い人身売買のようなことが世の中に会ってはいけません。職安も、保険をもらうための面接、補助金をもらうための学校・・・・・・・怠け者を養うのにどれだけ無駄な税金を使うのでしょう。修行をし、社会貢献し、税金を払い、一人前の大人です。・・・・・「そんなこといってたらだれもきませんよ。」・・・来なくて結構。毎日怒りで本来の仕事すらできなくなりそうなので。・・・・・・倍働いて、頑張って、それで海外に行くけいかくもモチベーションが上がります。
らしさ
美術館、図書館
久しぶりの事務所は落ち着きます。ゴールデンウイークで、どこも込み合ってるようですが、美術館、図書館はどの町も、一流建築家に頼み、いい建物と、美術品、芸術品、本にふれあえるいい場所のはずです。長崎の美術館は隈研吾デザインで、ピカソの展示もあるのですが、隣の出島のお祭りの出店に人を取られ、混んでいませんでした。初詣、ゴールデンウイーク、海水浴、夏祭り、花火大会、季節は違えどみんなたこ焼きや、焼きそば、まんじゅう・・・・・・・テントの店が並んでいるだけです。それだけで楽しいのでしょう。それより、美術館の外部エントランスには、派手な色のテントや、のぼりを立て、弁当、パン、など売ってます、お祭り会場の一部のようです。建物の良さも、建築家の気持ちも、美術館とはなにかも、どんな運営をするかも何も考えてない役人が、税金で建てただけの建物という感覚のようです。民間で、これだけのお金を使えるとしたら、運営でしっかり利益を出します。、きちんとした美術品、本物のサービスが受けられるレベル高いレストラン、バー、地元の芸術家、学生たちの育成プログラム、アイデア展示・・・・・・・・・、プロデュース力がない役人は、美術館や図書館は街の財産という認識もないようです。レベルは違えど、自分がデザインした家に万国旗をたらされ、のぼりを置いて、祭りの出店のごとく「安いよ、安いよ。」と営業の好きにされたらすぐ、叩き壊すでしょう。美術館のショップで、芸術家が作った絵本と、落書き帳を孫に送りました。
無言の優しさ、引く優しさ
最近、本当の優しさとは、なにかしてやること、多くのものを与えることではなく、無言の優しさや、見守るだけの優しさが深さを感じます。口をはさんだり、物を与えることは意外と簡単で、優しさというより自分のしたいことではないかと感じます。息子夫婦や孫も、そっと見守ることにしています。田舎のおじ、叔母が大量にいろいろしょっちゅう送ってくれますが、ありがたさ半分、迷惑半分です。処分に困ります。入院中のお見舞いもそうです。控える方がいいのかどうかよくよく考えるべきです。一人にしてあげる場面や、自由にしてあげる時間を察知できる人は素敵です。特に私をはじめ、年を取ると、ついつい束ねたり、仕切ったり、持論を強要したりしてしまいます。仕事は徹底したホウレンソウをしっかりして、肉親や、プライベートは出しゃばらないことが大事だと思います。難しいことですが、自分のしたいことを引く我慢が優しさにつながります。私の母はずっとただ見守ってくれる人でした。信じてくれてました。
ばち
急速に時代が流れ、物質的にはなんでも簡単に手に入る時代です。適当にアルバイトやパートで食っていけるし、「一人前」の大人にならないと恥ずかしいという思考もなくなりました。わたしなど、この年でも昔、親から言われた「そんなことしたらばちが当たるよ。」という言葉が聞こえます。簡単なことばですが、とてもいい道徳教育でした。食べ物を残したり、無駄遣いしたり、先祖を大事にしなかったり、生き物をむげに扱ったり、うそを言ったり、ちょっと物を盗んだり、足で戸を閉めたり、簡単に物を捨てたり・・・・・・。罰ではなく、ばちといういいかたが子供に絶妙で、とても大事な言葉だと今更ながら思います。自分のことだけ考えるとばちが当たるのです。人はいくつになっても、「こんなことしたらばちが当たる。」という気持ちを持ち続けるべきです。自分の主張だけを押し付ける世の中になったのは、「ばちがあたる」という子供のころの教育がなくなったせいだと私は思ってます。
日曜日の午前
土曜日日曜日は打ち合わせが多く、今週は、私が佐世保と、大阪。平田が、市内と久留米です。ありがたいことに、今日のMご夫妻は事務所での打ち合わせです。それぞれの打ち合わせの下準備や、新規のお客様のプランの時間も必要で、毎日もう一人いてくれたらと思います。それでも日曜日の午前中は少しだけ気持ちがほっとします。体のケアも大事ですが、気持ちのゆとりも大事です。仕事に振り回されず、中身の濃い仕事をしていく年齢と経験は積んだように感じます。お金の心配はあっても、修行が終わり、量から質にやっと変わっていいのではないかと考えています。自分で精いっぱいベストを尽くして作った家は、心技体が充実してないとできません。日曜の午前中に考えた家はのびやかなプランです。オーナーご夫婦が素敵だと動線なんかより二人でくつろぐ空間に力が入ります。
口うるさいおじさん
自分より若い人と仕事をすることが多くなり、業者や、メーカーの人との打ち合わせなどで、30代までの人と話す際、小さい時から話す教育を受けていないせいか、「ふんふん、」「あー、あー」「うんうん」・・・・話してる途中の言葉です。「お前いい加減にしろよ。営業をやってる人ならなおさらのこと、そんな言葉対応だと誰も相手せんぞ。自分を大きく見せたいかどうか知らんが、あなたも会社もろくなもんじゃないと思われるよ。」注意します。口うるさいと思われても、、若者に、小言を言うのは昔からおじさんの役目です。最初からダメかもしれない、間の合わないかもしれないという条件を取り付けて仕事を受けることも最近の風潮です。「何とかして頑張ってやってみます。」というプラス思考の若者を受け入れない社会なのかもしれません。コンプライアンスとかいう、人も経済もダメにする横文字の病気です。もっと働き、もっと残業し、もっと稼ぎたい人、バイタリティーにあふれている人は排除されつつあるようです。私はそんな若者の味方です。ナントカフライデー・・・・・横文字より、修行、義理、人情が日本人には大事です。相撲の世界を見ると一人前になるにはどれだけの修業が人用かわかるはずです。
母を亡くし一年
母を亡くして今日で一年です。通夜や葬儀の際に、地震が続きました。故郷を離れ晩年を福岡で過ごさせてよかったのかどうかいまだわかりません。人に喜んでもらえるように働くことが何より大事という信念の人でした。私の授業参観、運動会、入学式、卒業式、など、「お店があるから」と自分は出席せず、祖母でした。私が高校大学で、島を離れてからも、私の住んでるところに来たのは6年たってからでした。母を見習い自分の息子、娘も、自分のことは自分でやるように育てたつもりです。とにかく頑張る母の印象が強く、自分が怠けることが恥ずかしくなるほどの存在感でした。店をしながら、家事、介護、そしていつも礼儀としての化粧はきちんとしていたことがすごいと思います。人として、尊敬できる母でした。ここ数日やや体調がよくない中、動いてましたが、昨夜おなかの痛みがひどくダウンです。「働きながら直しなさい。休んで迷惑かけることは許されんよ。」そんな声が聞こえます。








