へんな世の中

最近とどまるところを知らない、ITの世界。ネットなるもので、いろんな情報が氾濫し、お金が動き、機械を操作することをどれだけ覚えたかが頭の良し悪しになる時代です。機械ひとつの操作ですべての言語すら操れますし、雑学から何から何までわかる脳を持ち歩いてるわけです。人間が長い間守ってきた道徳すら突き破り、新しい犯罪が増える一方で、それを防ぐためまた、新しい機能が生まれビジネスとなり、・・・・それの繰り返しです。一つの情報に、寄ってたかって〇、×をつける昨今、自分の思いは封印して、本音より建て前がよしとされてるようです。ネットの他愛ない写真や文章にマスコミが目頭立て、ニュースやワイドショーのネタにする。ときに国会での話題になる。ほとんど身に起こることは自己責任と教えられてきた私にとって、「保育園落ちた日本死ね。」と書いたバカな親や、災害や基地問題で、国が何もしてくれないと叫ぶ人たちをとがめない社会に驚きます。沖縄を含め基地は必要だし、福島の原発あたりはもう使えないのです。本当のことは言ってはいけない世の中は変な世の中です。本音を戦わせることが討論であり、議論です。本音で話すとすぐ大臣職を追われたり、公務員や先生は首になります。げんこつがいつからダメになったのか?体罰がいつからダメになったのか・・・・・・・やはりへんな世の中です。

 

最近高級すぎて音がなくなりました。「静か」を、科学で手に入れてはいけません。私がのってた自転車は、キーというブレーキの音や、ギイギイいう錆びた音がしてましたし、車も大きなエンジン音で、危険を避けてました。水道が出る音、お湯が沸く音、飯が炊ける音など、匂いとともに、家の中は今何をしてるか寝ててもわかりました。電話の音、鳥の鳴き声、風鈴、砂利を歩く音・・・・・。窓や戸や雨戸は建てつけが悪いけれど、嫌な音ではなく、密閉性が悪いからいろんな音が耳に入り、まわりの状況がわかる時代でした。今音がなくなり、ちょっとした音が「騒音」と呼ばれるご時世です。幼稚園の子供の声が騒音と言われ出したのも最近です。除夜の鐘がうるさいと文句が出てるようです。人間の五感を退化させ、ぎすぎすした社会を作る「発展」とやらは、今後よくよく考えて行わなければいけません。最近みんな後ろの時代を振り向き振り向き、「昔がよかったのかも。」「まちがったみちをすすんでいるんではないか。」と考えてる節があります。科学は取捨選択の時代です。

甘え

今月母の一周忌をします。家での介護が不可能になり施設に入れて、昨年亡くなりました。マザコンの私にとって、生きてさえいれば精神的に甘えられてました。毎朝仏壇に向かい、亡くした大事な人との会話の中で、母への報告が一番長くなります。いまだに願い事や助けを求めることが少なくありません。でも甘えてばかりの母を亡くしてから独り立ちしたのかもしれません。少なくとも、親がなくなり、私は子供ではなくなったわけです。娘が「最近、少し、ごめんという言葉を使うよね。前、絶対言わなかったのに。」

甘えるということは自分の思いだけ伝えようとすることです。だからわたしは一方的に怒ったり、怒鳴ったりしてました。甘えがない人は、人の言い分を先に聞くことができるそうです。そのうえで、しっかりした言葉で、ほめたり、叱ったりするそうです。母の言葉がいろいろ思い出せます。

叱ってやる優しさ

叱ることがない世の中になりました。修行することもなく、徹底的に甘えて、いやな思いもせず、楽して、たくさん休んで、できるだけいい給料をもらうことが目標になってます。それを正すどころか政治も、行政も、後押ししています。家庭ですら、へこへこおやじばかりで、家族の秩序とか、教育とかわれ関せずで、叱ることもなく、ご機嫌取りです。我々世代に責任があります。叱ってあげましょう。これから新社会人が世に出る季節です。よその会社であれ、よその子であれ、我々世代が叱る役目の年です。お客様や、世の中の常識で物事を判断できず、会社の上の方を見て働いてます。何とかしてお客様の期待に応えることより、できない理由や決まりを話すことが会社のためと思っています。おもしろくもないだろうに。夢や希望がなく、事なかれ主義がはびこってます。コーシャルじゃないけど、すべてはお客様の「うまい」のためであり、ファンのためのプロ野球であり、あなたに喜んでいただくための家づくりであるべきです。叱ってくれて修行させてもらえる企業や、職人の世界を大事にしないと、世の中携帯電話やと、コンビニアルバイトとファーストフード店、回転すしやしかなくなります。

あわてました。

平田にいろんなことを頼み、新幹線で、八代に出かけたのですが、メールで、「腹の激痛で、病院です。ノロらしいです。」昼から平田と打ち合わせ予定のS様にお断りの電話を入れ、早々に八代を切り上げ、新幹線で久留米により、M氏と実設計の打ち合わせをした後、博多に帰り平田に頼んでたL&S見積もりを送るための作業をしました。平田がいないとパソコンもうまく操れず、手書きのままのものをお送りしました。失礼しました。それからすぐ銀行に行き、鳥栖M邸の決済の打ち合わせと最終書類の打ち合わせを行いました。すべてあわてました。一人は半人前といわれる意味を実感しました。それにしても、この一番忙しい時期に、ノロとは・・・・・。明日も打ち合わせ予定ですが大丈夫でしょうか?今までいろんな病気で、寝込むことはあっても、飯だけは完食してた丈夫な胃をしてたのに、ノロとは・・・・・・生ガキのようです。ちなみに私は明日胃カメラの予定です。

 

暇人たち

都議会は豊洲の証人喚問でくだらない時間と金とをかけ、森友学園も、やや発狂気味のおじさんとおばさんに、国会や、総理が反応し、どちらも大勢で、すったもんだしてるようです。これだけ暇で、くだらない役人や議員がいることに驚き、それをまた多くの品がないマスコミが毎日追いかけて同じことを朝から晩まで流し、この国はどうなってしまったんでしょう。やるべきことはほかにたくさんあります。恥ずかしくないのでしょうか。毎日、心配や不安をかかえながら一生懸命働き、暇でくだらない役人や議員を養うための税金や公共料金を支払い、やっと生活できる国民が犠牲になり、この国は成り立ってます。暇でバカほど、金をくすねるようです。この責任は昔でいえば上にいた人たちが潔く自害するべきことです。権力の座にいた時は威勢が良くても、今、だれ一人、リーダーの器だった人が見当たりません。「だまされた。」我々の上納金で好き放題遊ばれ、ごまかされ、・・・・・・今となっては知らぬ存ぜぬ、記憶にない。暇人の暇つぶしはうんざりです。

八千代座

山鹿に行く機会があり、八千代座によりました。案内人の方が説明をしながら館内を見せてもらいました。外からは何回か見てましたが内部に入るのは初めてです。傾斜のついた畳、花道、舞台や奈落、二階席・・・・・華やかな天井、昔ながらの大衆演劇の雰囲気そのままです。木で作られた細工の中に、知恵がたくさん見えます。

八千代座にしろ、熊本城にしろ、後世に伝えるべき建物ですが、今、これらの建物はこのまま建てようとすると許認可されるものではないはずです。多くの建物や住宅を、新築の際、県や市は審査し、厳しく指導してますが、自分たちが管理して観光の目玉としてる昔からの建造物に対し、「安全」をどう考えてるのでしょうか。私はそれらの建物を否定しているのではなく、なるべく現存のまま、手をいれることを最小限にして残し、正直に、今の基準以下だけど歴史ある建物を現存に近く管理しながら残し、みなさんに見ていただきたいと告知すべきだと考えてます。それでも何かあったら自己責任でいいと思います。

今の建物も新築時の審査はしても、年月を経て老朽化したものの安全性は誰もチェックしないわけで、役所のすべきことはたくさんあり、九時五時勤務、土日休み、有給たっぷり・・・・・そんな暇はないはずなんですが。お金を取って築年数が古い建物の検査を義務付ければ、街の安全、美化、財政もよくなると思うのですが。

働くこと

働くということはとても大事なことで、人の役に立ち、それで得た報酬から税金を納付し、社会が作れるわけです。お金をいただくことは「プロ」です。責任はあるわけです。それを最近の政治は、時給いくらだとか、残業何時間までとか、正社員と契約社員の条件格差をなくせとか・・・・・媚びることで票が欲しいとしか思えず、働くという行為が軽く見られてます。議員自体が働くことから一番遠いところにいる職業だからでしょう。世襲か、票さえ取れば、修行などなくて、馬鹿でもすぐ先生ですから。働くとはとても素晴らしいことで、人に喜んでもらい、それが自分の喜びになり社会の役に立つことで世の中が潤いあるものになるということを、きちんと話せる政治家が全くいません。修行して一人前になり、体の許す限り働き、今度は若い人を教える立場になる・・・・・今の世の中、適当に短時間働き、多くの休み、有給を要求し、プライベートとやらを大事にするようです。一人前でもないやつが言うプライベートとはなんだと聞くと、「自分ひとりの時間です。」とほざく。ゲームでもやるんでしょう。政治が作る労働の決まりが働かない勘違いバカを作ってます。働いてない大馬鹿もたくさんいます。昔は過疎の小さなコミュニティーでも、このおばちゃんの野菜作りはすごいとか、このおじちゃんはイカ釣りの名人とか、この人の料理はさすがだとか、和裁、洋裁のプロとか、役場のさばけた窓口のおばちゃんとか、たい焼きがうまい店とか、大工、左官、船乗り、豆腐や、建材や、鉄工所、美容室や床屋、弁当や・・・・・・みんな自分の好きなところで働かせてもらい、教えてもらい、村の役に立つようになり、たすけあいながら生活してました。今こそ働くことの素晴らしさを説いてほしいものです。現に、今、お金や、時間をあたまから捨てて、WBCの選手たちはプレッシャーや、不安と闘い、がんばってます。仲間と助け合い、日本国民のためです。プロの野球選手としていい顔で頑張ってます。

村の人のため、家族のために働き者だったおふくろ 

へんてこりんな決まり

森友学園騒動は、ひどい話ですが我々にとって日常です。銀行の言い分、確認申請の役所の言い分、不動産屋の言い分、材料屋の決まり、みんなバラバラ好きな決まりを作り、自分の領分の知識しかないのが当たり前で、横のつながりや全体像を知ろうとしません。わかる我々はお客様のために、それぞれにいいように走り回ります。例を挙げると、銀行はすべての見積もりを出さないと融資できない、確認申請が下りないと融資できないと言いますが、銀行がお金を出してまず土地を取得しないと、地耐力の調査も、地質の調査もできず、基礎すら決められず見積もりができません。お金が下りるかどうかわからないのに、我々はリスクを負って申請用の図面を書き書類を作ります。材料屋には融資のすべてが終わって発注すると、工期は伸び、金利もかさみます。リスクを負い我々は先発注です。とにかく理屈に合わないことを銀行や役所のお偉いさんに訴えても、「そうなんですか。知りませんでした。確かにおかしいとは思いますが、われわれはきめられたり上から指示されたことしかできませんし、言えません。」情けない奴らです。組織で話し合って改善しないんかい。勉強して、役所や銀行に入り、ある程度出世してのなれのはてがこれかいと思います。子供に恥ずかしくないのか、自分に恥ずかしくないのだろうかと思いますが、・・・・・。平田に言わせると「保身だけのちっちぇー男」です。

老い方

最近、みな初老から同じ道を歩いているようです。若さ、元気さのために生きているようです。ジムで運動して、おしゃれなスポーツウエアーで散歩して、健康食品やサプリを飲んで、バス旅行や、時に海外旅行に行って、病気に気を使い健康診断やドックで検査、食い物に気を付け、おしゃれに気を使い、帽子や、派手な色の洋服を身に着け、若作り、エステや化粧品、プラセンタ・・・・・・とにかく、異常に若く見られることを望んでるようです。「65です。」といった時、「えーーー40歳ぐらいと思った。」と言われるのが好きみたいです。それは褒められてるのではなく、異常通告です。今の年寄りのファッションは男性も女性も若作りにしか見えません。似合っていません。ネオンみたいなもので、中身はぼろ家じゃしようがありません。さりげなくじぶんの主義主張を内面から醸し出し、、結果を残し続ける人はかっこいいです。敵を持てる老人も素敵です。最近の若い人はと言える人も好きです。日本のしきたりや行事や、義理人情を大切にする老人は自分の生きざまに責任が持てる人です。

年相応の品のいいじいちゃんやばあちゃんが好きです。生きてきたしわのある表情や貫禄がある人になりたいものです。