コマーシャルでK寿司がうまい牛丼を400円以下で出すというので昼ごはんに入りました。入り口には「2016年度、接客日本一受賞」ののぼりです。初めて入りました。席に案内されたのはいいのですがどうしたらいいのかわからず、どうもタッチパネルの機械で注文するようです。回っている寿司もあり、それをどうやってとるのかもわかりません。なにがなんだか・・・・店の人に声をかけると、呼び出しは機械のボタンを押してくださいと言われるし、本当にこれが接客日本一なの?お年寄りは理解できないでしょう。接客しないで儲ける店日本一じゃないの。お勘定も、機械で呼ぶと来てくれます。本当に審査する団体があるのならいくら金積んで日本一にさせたのと聞きたいと思いました。接客に一番遠いところにあるお店の仕組みです。因みに牛丼は私の好みではなく、「Yのや」の敵ではありません。最近食い物に対し、タイヤ屋の格付けや金賞やB級グルメのコンテストやいろいろありますが、なるほどと思う食い物はほとんどありません。長く続く、伝統あるお店、多くの人に愛されてるお店が一番です。何より自分で見つけることですね。
いよいよ暖炉の季節
やや寒くなりました。暖炉の季節です。このデジタルの時代に、マキの暖炉の人気は衰えません。動く炎、パチパチという音、機械ではない暖かさ、燃えるにおい・・・・・・五感が癒されます。今年も、春以降3棟の家が暖炉のある暮らしになります。。コーヒー片手に、暖炉に火を入れ、音楽を聴いたり、本を読んだり、贅沢な冬を送っていただきたいものです。本当の贅沢は、レンジや、エアコンではなく、炭火のバーベキューや暖炉のように、手間をかけて楽しむものです。最近の若者はiphoneさえあれば満足のようですが、私が若いころは、ステレオ、ラジカセ、車、カメラ、彼女・・・・・欲しいものばかりで、働いて一つ手に入れると、うれしくてうれしくて一晩中触ってました。あのエネルギーがないからか、昼行燈のような中性化した若者が多く見られて、残念です。
訪問者
事務所に訪れてくださる人が多い時は、活気が出ます。今日突然佐世保のL&Sの社長が初めて事務所に来てくださいました。多くの仕事をいただき続けているのに、まだ一度も事務所に来ていただいてなかったようです。これを機会に福岡でお会いする機会も増やしたいものです。社長はプラス思考で、人を引き付ける魅力があります。見習いたいと思います。
打ち合わせ中のお客様や、業者はもちろんですが、散歩の途中、休憩とお茶のみによられたり、久しぶりに顔を出されるご入居者も少なくありません。突然のお客様や、友人、娘が仕事帰り、「平田食堂開いとる。?」と言いながら現れます。同級生が大量のお土産を持ってきてくれたり、おかずを作ってくれたりします。多くの人が集うことが財産だと考えれば、少しずつ豊かになってます。本来、この場所でアメリカの家具、小物雑貨を、住まいを作るものとして、ご紹介、販売したいのですが、まだ時期ではないと考えています。L&Sの社長が佐世保でやってくださることに期待しています。
IOCのバッハ
オリンピックなど自分の金で物事を考えない奴らが寄ってたかってやるイベントは、まともな思考ではないようです。本質には迫らず、「まあ、まあ」で「みんなの顔を立てましょう。」などというIOCの落としどころに腹が立ちます。それをよしとする日本の連中もどうかしてます。「どこまで上から目線かい。」という思いです。我々にしてみれば誘致の時のプレゼンを変更してはいけないというのなら、誘致の際聞かされたお金から三倍四倍になってることになぜIOCはいままで何も言わないのかが理解できません。「お金かかりすぎてますよ。」という注意勧告など所詮自分に降りかからないからでしょうが、何も今までなかったのですから。「モッタイナイ」という言葉を吐きながら、あんたたちIOCが今回日本に来ることで、くだらない飯代も含めてその費用がもったいないといってることにも気づかないのでしょうか?。バッハの今回の件は政治資金のあり方はみんなで考えようといいながらパーティー券配ってる政治家の理論と同じです。物事が旧大全で流れることに嫌気がさします。森の爺さんが表に出るような日本、バッハなどという政治家の悪い部分をもつIOC会長。ろくなもんじゃない。経費と称した金がどれだけ使われてるのか・・・・・・・。表に出してもらいたいものです。人の金で飯食って人の金で上に立つことが好きな連中ですね、政治家は。そして自分の、身の保全ばかり。人のために動いてみろ。自分の金使って。
計算しない人生
わたしは零細企業であっても、社長業には向いていないことは重々承知です。時代と資金と力量で事業計画を立て、経費も考え少しつづでも右肩上がりの利益を出していくことが会社の安定になり、社長の責任だと思います。ただどうしてもその前に、デザイン屋としての意識が働き、いいものをどうにか知恵を絞り、作りたいと考えてしまいます。時間給で物を考えることはできず、価格は仕事の出来栄えでオーナーが決めてくれると考えてしまいます。もし儲けても明らかに変な建物だと喜べません。必死で、好きな家づくりにまい進し、評価いただけるようになると自然と仕事も増え、質も上がると考えてしまいます。会計士さんなどに言わせると、「寝ぼけたこと言うな。」という感じだと思います。計算しないというかできないというか、だとしたら腕を磨きながら必死に働くことしかありません。その思考についてきてくれたのが平田です。今も計算しない人生をまだ歩けていることに感謝します。「それだとずっと気を張り疲れるでしょ。」と言われます。はい疲れます。でもそれしかできないし、計算しない人生は失敗の確率も高いですが時として、すごい感動や心地よさに出合えます。私のような頭が悪い人の勝負手はこれしかないと思ってます。
昔を見る年齢・・・・老舗の強さ
最近、歌は昔の歌を聴くし、見るし、食事は老舗に安心感と、懐かしさを覚え、温泉旅館も伝統が大事です。靴や、洋服も昔ながらのデザインが着やすく飽きません。歌声喫茶に、若者が集い、60年代、70年代をうたっているという情報を聞くと、うれしくなります。若い娘さんが「フランク永井、最高」というのを聞いた時は驚きました。時代を重ね、今も支持されているものは、魅力的です。60を過ぎると、昔の記憶や思い出を手繰ります。爺さんやばあさんが昔のことばかり話していたのを思い出し、自分もそういう歳に近づいてることに気づきます。アルバムを開くことも多くなり、朝仏様に手を合わせるときは多くの人の顔が浮かび、いろんな情景が出てきます。技術の引き出し以外に、気持ちの引き出しも多くなってます。私の仕事は住まいのデザインです。今の気持ちを持って住まいを造ると人の奥深いものまで考えていい提案ができていると思います。なぜ、早くこういうことに気付かないのだろうとさえ思います。六十代は体さえ動けば楽しい年齢なのかもしれません。「歴史」に目を向ける年代のようです。老舗の温泉宿でゆっくり昔に思いをはせたいものです。
また一つ、作品写真ができました。
充実の疲労
最近狂ったように、計画してます。この二日はスペックハウス15棟を一気に計画し、配置しました。集中力と、スピードはやや自信があります。大阪のK邸、レンタルハウス、中央区K邸など、大型物件の計画も多く、頭はフル回転です。平田も同様に、部材打ち合わせ、インテリア、カーテン、照明など、打ち合わせ準備や、発注でてんてこ舞いです。かたくなに二人でやることにこだわります。今更企業化したくもなく、アウトソーシングしながらこなします。始めたころ、マイナスからのスタートでした。お金の苦しさは、額が違うだけで一緒ですが,手を動かす建物の内容は飛躍的に大きく、高額になりました。へとへとですが、やりきった充実感で、笑顔です。明日佐世保に向かい提出です。そして、着工している物件の部材打ち合わせも行います。体のあちこち、「アイタタ」が多くなりますが、夢を持てる仕事です。作品を作れるうちは走り続けます。
言葉の制約
デジタルが進むと言葉や文章に味がありません。気の利いた事を言おうものなら「セクハラ」「パワハラ」などという無味なカタカナ語で片づけられます。女は愛嬌とか「色気」がある女が少なくなったなーという会話はもはや、聞いた女性にとってはセクハラに値するらしく、「仕事もできないやつがプライベートなどと偉そうなこと言うな。」という注意はパワハラだそうです。「勉強もせず、好いた腫れたばかり、色気づきやがって・・・。」など言語道断。「どれだけ化粧してもバカは隠せんぞ。」「働かず、税金も払わず、そんな奴が偉そうに物申すな。」「青二才の分際で・・・・」真田丸のセリフ「黙れ小童(わっぱ)」などすべて問題があるようです。叱ることも、争うことも、話し合うことも、言葉が障害になるのなら人はすたれていきます。昭和は言葉が文化でした。歌を聴くと「歌詞」に魅せられたように感じます。最近はメロディーや踊りが主役で、がんばれとか負けるなとか直接的な応援歌詞、ばかりです。
私が息子の嫁を呼び捨てで呼ぶこと、「お前」と呼ぶことに驚かれます。私の祖父や親父もそうでしたから、私には当たり前のことなのですが・・・・。だって娘なのですから。二年前、わたしの嫁が十数時間の大手術した時、「元気でいるか、死ぬかはっきりしろ。中途半端が一番いかんぞ。」私なりの励ましです。ひどい、鬼、信じられん・・・・多くの批判をいただきました。笑っていたのは息子と娘でした。
充実の昨今
朝早く出かけることが多く、明日も筑後M邸の地縄張りです。デザイン設計屋として、多くの紹介や依頼をいただき、ふたりでできる限り頑張っています。ご入居者からも助けていただいたり、案内させていただいたり、励ましていただいたりで、幸せな仕事ができています。この年になってやっと少し、「人」がわかったように感じてます。いい仕事をしてる人はぶれてないようです。仕事に誇りを持ってるようです。そしてすべてに魅力的です。そして、敵半分味方半分です。私は少なからず、闘いながら、怒りながら、泣きながらもう少し、全力で頑張ります。わがままいい家を作ります。それにこたえてくださるオーナーとの出会いを楽しみに動き回ります。必要としてくださる所で全力を尽くします。