10月が終わりです。仕事はエンドレスですが、今年もあと二か月と思うと、ちょっと気忙しく感じてしまいます。パソコンや携帯、雑誌、テレビ、ラジオなど情報が溢れすぎる社会です。食事も、服も、温泉も、旅行も、買い物もすべてのジャンルで人の意見や、噂、情報で動いてる人が多いようです。情報は大事なのですが、もう自分が何をしたいのかさえ、パソコンに頼ってるようです。うまくいかないときは自己責任ではなく、情報が悪いせいにします。自分で見つけたり、信じて託したり、切り開いたり、共感したり、作ったりするために必要な情報を取ればいいと思うのですが。自分の人生は自分の決断力で作るものです。苦労しても、貧乏しても、誹謗中傷されても、まっすぐ自己責任の道を歩きたいものです。多くの支持してくださる、オーナー、仲間、子供、がいてくれます。多くの作品も高評価をいただいてます。お声がかかる間は頑張ります。何かに打ち込み、頑張ってる人は、自分に責任を持ち、なおかつとても魅力的です。家づくりを通じてそんなかたと関わりあえることはとてもありがたいと思います。これから竣工する三つのアメリカ人のためのレンタルハウス、ハウステンボスワッセナーの伝統的デザインの大邸宅M邸。横浜の洗練されたアメリカンハウスH邸。われわれとオーナーが作り上げる共有財産です。そしてできた作品を情報として発信する側に回ります。
進む欧米化
わたしの東京に住む息子は、今夏休みと称して一週間家族で沖縄に行ってます。孫の写真をメールで送ってくれます。我々のオーナーたちも、長期休暇を取る人が多く、海外などに出かけていらっしゃるようです。私が子供のころは、大人たちは自分の仕事と、村の行事で明け暮れてたと記憶してます。個人の誕生日をお祝いするということもほとんどなく、全員正月に年を取る文化が「かぞえとし。」です。それだからこそ正月は特別の日で、晴れ着を着て、おしゃれして、ごちそうを食べ、唯一の贅沢な日だったようにに思います。国が貧しくもありました。子供から大人まで、ケーキにろうそくで個人の誕生日を祝い、クリスマス、バレンタイン、ハロウィン・・・・・・最近では先に書いた長期バカンス。まさに欧米です。年を取ったせいか、昔のしきたりある正月、お盆の墓参りが懐かしく、人恋しくなります。じいさん、ばあさん両親、叔父叔母、いとこ、近所の人みんなが集まる正月や盆はもうありません。、爺さんが、「正月だけはどんなことがあってもかえってきなさい。」みんな家族がそろうのが正月だということだったのでしょう。田舎を出た私が言うのも変ですが、目指して、あこがれてきたものがこういうことだったのか、大事なものを捨てたんじゃないのか・・・・・いつも自問自答してます。子供のころは村の中で、葬式、結婚式、法事、正月、盆、子供の誕生、還暦、古希、喜寿、運動会・・・・・・いつも行事があり、大人が集まり、それを見て子供は育ちました。孫は一才前に、何度も飛行機に乗り、いろんなところで昔の大人以上の刺激を受け・・・・・豊かになったのは確かです。
朝起きてやるべきこと。
伊集院静香がこのてのエッセイを書いてたのを読み、子供の頃の風景が思い出されました。国境に近い離島、対馬で、母と叔母は毎日5時半に起きて、店のシャッターを開け、朝帰りの漁師に売る惣菜を作るため、あわただしく、ガスに火をつけたり、水道の音が聞こえます。親父は船乗りで、朝六時に起きると浜に出て、天気と船を見に行きます。その浜ではイカ釣り漁師が奥さんも手伝いイカ割が行われ、海にワタ(内臓)を捨てるため、小魚がそれを食べによって来て、その小魚を子供たちが網ですくってました。その魚が朝飯の味噌汁に入ります。ばあちゃんは糠床から漬物を取り出し、着物の上に割烹着を羽織り、朝飯の準備です。爺さんは、目覚めのお茶を飲むと、ポマードで禿げ頭に櫛を入れ、朝飯を食って役場に50ccのバイク出勤でした。見送ったばあさんは玄関前の掃き掃除。昔の田舎は不便だからこそ、みんな、人間がなんだかの仕事をしてました。年よりは年寄りの仕事があり、いないと困る存在だったように思います。必死で働き、みんなで暮らすことが基本です。この国は機械にたより、便利になりすぎてあまり人を必要としなくなりました。何もしなくていいこと、それを裕福と勘違いしてたんです。、一族やコミュニティーいう財産を捨て、核家族になりました。便利な機械を買う金がなにより必要な世の中になり、人が暮らしにくく、やることがない貧乏な道を歩き続けることになりました。一握りの金持ちになることを目指すより、多くの家族を財産と考え、みんなで役割分担する暮らしが幸せです。仕事も会社も含め朝起きてやることがない人、何も考えなくていい人は幸せではないようです。たくさんの家族にいつも囲まれ、いつのときもその家族の役に立てる人生を歩み、みんなに見守られ死んでいくことが贅沢になりつつあります。一人ぼっちの金持ちが、ビジネスで経営されてる高級老人ホームで死んでいく事を成功者と呼んでる変な国ニッポン。わたしも含め考え直しましょう。
言葉のプレゼント
こだわって、流されず、頑固に家を作る仕事は多くの人に、喜んでいただいたり、お付き合いしていただけます。こだわるということは特化した商売ですから、万人にうけるわけではなく、我慢や辛抱が必要のことがまれにあります。きついこともあります。Mご主人は不思議とそんな時、メールや電話をいただき、今回は心に響く言葉を教えていただきました。「どろどろのセメントのごとく、人の気持ちはどこにでも流れ出す。一人の憎しみや、悲しみや喜び、一人の気持ちが集まって社会の大きな思想となり、やがてそれが固まって、時代の土台となる。今は昔でできてる。未来は今でできてゆく。ありがとう昔の人たち。頑張ろう今の私たち。」いろんなものが学べる、すごい言葉です。謙虚に、そして誇りを持って、生きようと思います。元気が出ました。目の前がはれた気がします。
最高の天気で、佐世保へ
朝から平田と佐世保と、ハウステンボスワッセナーでした。Mご夫婦とワッセナーの内部解体現場と、桟橋を見ていただき、構造に痛みが少ないこと、断熱材やり替え、車庫の痛みなど打ち合わせをしました。ご案内させていただいた二軒隣りのご入居者Iご夫婦も現場に来ていただき、楽しいひと時でした。こんな天気の日はなおのこと、福岡に帰りたくなくなります。昼は佐世保駅で香蘭のちゃんぽんを食べました。佐世保中がよさこい祭りらしく、何処もにぎわってました。S社長ご夫婦に建売の計画を見ていただき、打ち合わせをしました。面白い仕事です。ぜひ実現できるように頑張ります。レンタルハウスの現場を見て、帰りは佐賀から三瀬を越えて帰りました。途中、飲み物、ソフト、スープ肉まん、ピロシキなど、いろんなところに寄り道して、口にするのですから、痩せません。事務所に帰ると、10年ぶりくらいに、ご入居者のW様夫婦が訪ねてくださいました。小さかったお子さんも大学生らしく、つもる話もでき、椅子の生地の張替えなど頼まれ、うれしい、楽しい、気持ちいい日曜日でした。
対馬事情
人は故郷に向かう時、笑顔になります。飛行機では見慣れた顔が一人いました。空港から車を借りて、対馬で一番大きな町、厳原に行きました。ニュースのとうり、韓国人観光客ばかりが目につき、昔ながらのお店もさびれ、マツモトキヨシ、ベスト電器、オサダ、ナフコ、ダイレックス・・・・・が国道沿いに建ち、そこに韓国人観光客が大挙して押し寄せてます。いいのか悪いのか、くるくる寿司、モスバーガーまでできて、高齢化の島は住みにくくなってます。いい天気なので、万関橋、浅茅湾などは絶景です。自然資源、歴史的役割など、観光資源はほかに引けを取らないと思うのですが、プロデュースが下手で、うまくいかない理由ばかり地元の人から聞かされます。今後の対馬について対馬出身者で、魅力的に仕事をしてる人たちから、ヒントをもらったり、意見を聞いたり、アイデアをもらったり・・・・・・積極的に動かないと危機的状況です。壱岐は積極的投資とアイデアで、観光アイランドとして頑張ってるように見受けられます。対馬は私が子供のころと同じように、廃墟化した港の店の前で、老人が数名座って、海を眺めています。飛行場では、若い夫婦と孫を、じいちゃんばあちゃんが見送りに来ていて、「もう対馬はダメやから」という声があちこちで聞こえます。これは日本全体の縮図かもしれません。帰りの飛行機はやや深刻な気持ちでした。
帰省
息子夫婦が孫を連れておふくろの見舞いに一泊で来ました。おふくろ、わかってくれないかなー、一瞬でもひ孫の顔見えたなら喜ぶだろうなー、抱きしめて頬づりするだろうなー、とかなわぬことを思ってしまいます。ついこの間まで、私が子供たちを連れて、対馬に帰省してたのに・・・・・・・・。うれしいやら、さみしいやらです。帰省というのは、ふるさとがある人だけの特別な感覚です。わたしはもう、だれも住んでない空家と、墓だけがある故郷になりました。時代は確実に流れてます。帰省は家族に会うだけではなく、自分を顧みたり、かかわりの深い人との交流だったり、先祖に手を合わせたり・・・・・大事な行事だったと、無くしかけてわかります。
ある意味、昔の作品を見て、オーナーと話し、手を入れることは、作品への帰省です。美しい家で、美しく住んでいただいてれば、住み手も作り手も大事に家を守ります。
オランダ便
福岡空港から唯一のヨーロッパへ飛べるオランダ便が来年一月で運休になるようです。残念です。九州にとっては大切なヨーロッパへの窓口だったのに。今年日本は初めて、出国者が入国者を下回るそうです。中国人が大挙押し寄せ、爆買いしてお金を落とすので目先の利益を考えれば、中国人を受け入れることに行政や、デパートがお金を投資するのは分からなくもないのですが、一時的な金もうけ主義だけでいろんな理不尽に目をつむり、好き勝手させてることに腹立たしさを感じます。お金を持ってる人を尊敬するのではありません。良質な文化を人は尊敬するのです。九州の、行政や、経済界が手を組んで、ヨーロッパ便を残すことで、じわじわと欧州との行き来を増やし大事にした方が長い目で見ると九州のためではないかと思います。本当に残念です。九州にはハウステンボスもあり、縁ある国だったのに。来年春、フィンランドとの空路が開設されるそうです。「オーロラと、ムーミンの国へ」がうたい文句のようです。アメリカ、欧州への便は一つずつでいいので確保したいものです。以前も、ポートランド便が短期間で運休になりました。同じ失敗を繰り返し学習能力がない九州と言われかねません。
タイニーハウス
最近、欧米でブームになっているタイニーハウスは、われわれのグループで活動している、「キットハウス」の柏原氏がその意味合い、楽しみ方、住まい方、そして建て方を熟知しております。DIYブームの昨今、自分の手で自分の空間を作ることはとてもレベルの高い文化です。小さくても、いろんな思いや、価値観が詰まった家こそ、オンリーワンの楽しく面白い家づくりです。どんどん作りこむもよし、作り変えるもよし、自由な空間は大人の「基地」なのかもしれません。プレハブや、建売や、マンションとは対極にある自己表現のライフスタイルです。われわれもそのようなオーナーと出合い、何棟かそんな家づくりをしてきました。珍しかった家づくりが今、日本でも注目されつつあります。タイニーハウス、ハーフビルド、キットハウス・・・・・・・・・考え方、実例や、ご案内もできます。柏原氏にお気軽にお問い合わせください。
任せてくれる人、任せてもらえる人
日本はなにもできない役職だけの経済屋や自分が偉いと思ってる依頼主がでかい顔して、われわれデザイン屋、技術者、職人を、使います。自分の、考えで手下のように理不尽な要求をします。。「ド素人が口出さずもっと専門職に任せなさい。」と思います。頭が悪く人望がない人ほど、上から目線で物を言います。みんなに嫌われてたり、呆れられたり、笑われてたりしてることも知らず、ある意味かわいそうです。今回の競技場や、エンブレムも、始末の悪い政治家や、文化人や、実力は大してない先生と呼ばれてる人たちが起こした恥ずかしい問題です。人としての常識や礼儀もわきまえず、虫けらのように、都合よく使う無力な昔偉かった人たちに、「間違ってるよ、みんなが呆れてるよと。」ときちんと教えてあげようと思います。任せるという行為はとても勇気がいるし、覚悟もいるのですが、人を育て、人にやる気を与えてあげられます。そして、ごまかさず、正しく努力しないとみんなから納得してもらえないことを知ります。偉そうなことを言いましたが、われわれは任せてもらえる技術者になるように頑張ります。