遠賀川

秋晴れのいい天気が続いています。最近仕事で、水巻、直方に行く機会が多く、遠賀川沿いの道を走ります。コスモスがたくさん咲いて、多くの人が遊んでました。きれいな風景です。遠賀川というと私は「青春の門」を思い出します。高校3年から大学時代、信介シャンと織江を追いかけてました。ずいぶんリアルな影響を受けた小説です。「こんな世界もあるのか。」対馬という離島で生まれ育った人より特殊な生い立ちの自分がそう感じ、驚きました。

直方の医院、自宅改装の仕事をご紹介いただき、ご挨拶と現場調査をさせていただきました。水巻のK邸同様、長く地域医療に貢献され、息子さんの代に移ろうとされる時期のようです。院長先生ご夫妻と息子さん立会いの下、隅々まで見せていただき、ご意見もお聞かせいただき、私どもなりのご提案をさせていただく事になりました。いつも、老舗医院の先生のお話から、地域へのホスピタリティーとボランティアが感じられます。「若先生」にもその精神は自然と受け継がれているようです。いい提案をさせていただきます。

目頭が熱くなるお電話

ご入居者のK先生から朝早くお電話をいただきました。今やってる下関のY医院の内容や工事価格等のお問い合わせで、近い将来、医院を作るときの参考にしたいというお話で、その際は小澤さんにお願いしたいというお話をいただきました。K先生には大変お世話になりながら、不義理を働き、ずっと申し訳ない気持ちを持ちながら、伺ってお詫びしなければと思いつつ3年余り過ごしていました。数か月前やっとお会いしてお詫び申し上げた私に、このような電話をいただけたことにとても感激しました。電話を切った後、一人で目頭が熱くなりました。エネルギーがわき出ました。

自分も人ときちんと接することができる人にならなければ・・・・・。自分の身近な人にさえ、安心感や希望や夢を与えられてるか疑問です。人はそこでつながってるはずですから、いつも声を掛け合うことが大事なことです。一本のいただいたお電話でいろんなことを考えさせられました。そのことをすぐ中村に電話して、平田にも話しました。

 

 

 

 

 

休みと仕事

今日もいい天気です。世間は3連休でいい天気に恵まれ、みんな楽しんでいるようです。昨日はご入居者のリフォームの打ち合わせでM邸、K邸に伺いました。懐かしさから、思い出話や近況報告も含めて楽しい打ち合わせでした。

我々は休みません。出社、休み、勤務時間等は必要としないどころか、邪魔です。それは能力のない集団を束ねるための方法です。全て自分で考え自分で判断できる集団は自己責任の元、休みを決める必要もありません。「休みもなく大変ですねー。」とよく言われますが、休まなければならないとすればそれが大変なんです。最近よく耳のする言葉で「それいいねー。楽そうで。」「これだけ休みがあれば楽よねー。」「そうしてもらえると楽」楽を求める風潮・に危機感を持ってます。楽をすればするほど、経験不足、能力不足、思考不足になり人に頼り生きていく、何の達成感もない人生になります。

人生の修業をすることもなく、集中力をもって頑張ることもせず、大したプライベートも持たないくせに、自分の時間とやらをやたらほしがる若者たちに喝を入れたくなります。仕事を必死でやることで、面白いことに出会ったり、社会性を身につけたり、すてきな人に出会ったり、価値あるものに心動いたりして、自然と自分の人格ができ、人と語り合うことができ、人を自然と育てる権利が持てるのだと思います。「子育て」をしてはいけない人が子供だけ作ることを世間が許しすぎです。この閉塞感や不景気感や危機感を持たない危機感を打破するには、自己責任を植え付け「働け、働け」の精神が必要だと思います。

ここのところエラそうなことを書いていますが、私と同年代の懐かしい仲間が続けざまに、病気と闘っています。みな自分の人生の中でそのことを消化し、前向きに考えて戦っています。いろんな手紙や電話をもらう中で「まだまだ熱く頑張れてることがうらやましい。」といいます。「50,60は鼻垂れ小僧。みんなでまだまだ頑張るぞ。」が私の返事です。

温度差は悲しい

まだこの年で落ち着けず、おおらかにいろんなものを受け入れる度量もなく、すぐ熱くなりすぎて、まっすぐに考えすぎて、あきらめが悪くて、周りの人との温度差を感じることが多々あります。「社長とはそんなもんよ。」とわかったようなことをいう人もいます。「まあ、そうはいっても、そんなにうまくいかないですよ。」という言葉や態度に接すると、悲しい気持ちになります。自分を主張しながらも、相手を思いやる気配りは忘れないようにと考えてはいるのですが。自分が幸せな時や、仕事がうまくいってる時ほど、自分の周りをよく見て、頑張ってる人にその気持ちを分け与える優しさを持ち合わせたいと考えてます。一人では[今]はないのですから。わずかな一言でも「見ていてくれてる、わかってもらえてる。」と感じてもらえれば落ち着くはずですから。孤独感の中で生活したり仕事をするほどつらいことはないですから・・・・。

平田、中村、工務店、大工、職人、仲間たちと温度差のない気持ちで、認め合い助け合い、Dアート企画の家づくりを完成させたいと考えてます。みんなで、よく話し合い、切磋琢磨しながら、成長しあう先頭に立って、喜怒哀楽を素直に出しながら頑張ります。

建物の出来栄えでその成果が図れる仕事です。中村の言葉ですが最後にお客様から「ありがとう。」をいただくことにみんなでこだわりたいものです。

母の施設に行きました。最近心穏やかになれず、仕事の合間や夜に、元気な母ではなく、弱ったさみしそうな母が時々頭に出てきます。椅子にきちんと座れず、眠ってました。職員の人に聞くと、夜眠らないそうです。起こして耳元で大きな声で「幹文よ。わかる。」「はい。」全てわかってないのですが声を聞かせてくれます。働き通しの母でした。みんなが母を語るとき、私の同級生やそのお母さんたちも、あんなに頑張って働いた人はいないといいます。まして寝たきりの祖父、祖母二人を介護しながら・・・・・・・。親父は船乗りで家には半分しかいないし、私は諫早の高校に下宿してました。叔父叔母と「小澤」を守った人です。尊敬してるし間違いなくマザコンです。「働く」ことの尊さを叩き込まれました。今の気分はまさに「吾亦紅」さながらで、帰り際に「髪に白髪が混じり始めても、おれ死ぬまであなたの子供」と胸の中で歌いました。

いつの間にか、きつい時、悩むとき、うれしい時、大事なことの前、母のところに行ってます。顔を見てると自分にしか聞こえませんが、いつも「しっかりしなさい。」と言われてるように感じます。9月は誕生日でした。まだ83です。時代は流れてます。

心配していただいて・・・・

S先生家族の打ち合わせでした。「中村さん大丈夫ですか?」と心配いただき、外部スタッフ仲間も打ち合わせや電話の中で「中村さんはだいじょうぶですか?」「今度みんなでわーと飯行きましょう。」   あるオーナーからは「平田さんを働かせすぎよ。大事にせな。」「頑張りすぎやないと?」いろいろ忠告いただいてます。        私が全てを急ぎすぎるせっかちな性分で平田も中村もフル回転でやや、つかれさせたのではと反省しています。みんなで働き、いいものを作り、喜んでいただき、みんなで楽しみ、オープンでプライドが持てる会社でありたいという目標は今までと同じです。仲間の生活や環境の変化や体調にも気を配り、みんなを大事にしながら頑張ります。最近ご心配いただき差し入れをいただくことが多く恐縮しております。今日もお赤飯、クリ、ジャム、ケーキ等驚くほどいろんな方に頂きました。

みんなこの仕事、お客様が大好きです。10月からメリハリ付けてみんなで頑張ります。新しい仲間も探してます。心当たりのある方ご紹介ください。

大リフォーム契約

打ち合わせを重ねていた 水巻の築35年の北欧住宅大リフォームのご契約ができました。隣に13年前建てさせていただいた私の作品も小リフォームします。住宅業界において、この北欧住宅はいろんな意味で大切な物が詰まっています。デザイン、木製サッシ、無垢材によるインテリア・・・・時間とオーナーが作り上げた得もしれぬ空気感があります。これを壊さぬよう、フルリフォームします。現場での判断、決断を間違わないように頑張ります。緊張感のある仕事になりますがとてもやりがいのある仕事をいただきました。

我々はほぼ新築が建つのではないかと思われるほどのリフォームを数多く手がけさせていただきました。オーナーは皆さん、一緒に歩んできた思い出の我が家を壊さず、生まれ変わらせたことに非常に満足してくださいます。そして新築にはない何かが自然と空間に加味されるのはいつも不思議に思います。

誕生日

平田の誕生日でした。1か月前中村が40歳になり、「40代の女性が2人」という大きなくくりになりましたが、四捨五入したらしっかり40代と50代とも言えます。そういうことで言えば私は60代、初老です。

この年になると、今までの自分たちの歴史とこれからをじっくり話し、お疲れさんの気持ちも込めて、よりレベルの高いものを目指そうと再確認する日が誕生日です。夜の食事は中村がまだ体調不良のため仕事を終えて帰宅させました。2人でそば屋です。今まで3人でワイワイやってたのでやや盛り上がりには欠けますが、蕎麦屋で誕生日とは渋い年になったものです。「まだまだ気を抜かず、謙虚に家を作りましょう。」と私が元気づけられました。彼女は確実に成長し続けてます。

 

晴れ舞台

日曜日はキャナルでIKKOさんのステージが2度にわたり行われ、お店にも本人が立たれ、本格オープンイベントです。すごい人ごみで、ショーもさすが盛り上げるコツを知ってあります。まずは大成功です。主役のIKKOさんを気持ちよく華やかなステージに立たせたのは、多くの取り巻きのスタッフであり、徹夜続きの新規従業員です。そして何より、苦労して苦労してまとめ上げ、プロデュースした平田や、施工に携わったK君、H建設のみんなです。

みんなが店の様子を見に集まってました。責任を果たし無事終わらせた安堵感と自分たちが作ったものの反応が見たいからです。平田は華やかな舞台には立たず、下関のY医院現場打ち合わせを済ませ、キャナルに来ました。みんながお疲れさんとねぎらいながら、笑顔です。住宅にはない厳しい条件の中での建築を経験したことは貴重です。作り手が集まり、自分たちの作品が多くの人を呼び、お店が、活気づいてるところを影から見届ける瞬間が我々の晴れ舞台です。

住宅はオーナーに目を向け造りこんでいくのですが、店舗は不特定多数の人を意識します。

IKKOさんの涙と、オーナーの低い声で「ありがとうございました。」の言葉と、関連スタッフのお疲れさんという笑顔が何より平田を癒したと思います。

博多の味

東京から部材会社の方が訪門してくれました。ご入居者のところにも一緒に行ってもらい、有意義な仕事ができました。Sさんは博多が10年ぶりということで、もつ鍋を食べたいというリクエストにこたえて、夜、「やま中」行きました。大変満足してくれました。その後、私の同級生で幼馴染がやってる、小料理スナックで、対馬の家庭料理を食べながら、イモ焼酎です。子イカの炊いたもの、白和え、ヒラメのこぶ締め、・・・・・私も久しぶりに、故郷の味を口にして、飲みました。

翌日の昼は「博多といえば豚骨ラーメン」ということで、事務所近くでめんたいごはんとともに完食してました。

博多のファンになったようで、次は「水炊き」という約束で別れました。人と出会い、話し、いい時間が過ごせることはとても幸せで、ほっとします。

明日は熊本からM様が来てくださいます。尋ねてきてくださる方には、精いっぱいのおもてなしで、楽しく気持ちよく帰っていただけるよう、努力します。