食は文化

 エクステリアをお願いした大阪の業者3名と夕食をともにしました。前回、もつ鍋を大変気に入り2夜連続で食べたようです。「水炊きというのは、水に野菜や色々入れるだけでしょ。ポン酢の味だけ違いますのん。」という 水炊きに暴言を吐くので水炊きに行きました「あれ、白いですやん。水ちゃいますね。」「え、まずこのスープを飲むんでっか。」「えーーーーこれうまい。」「かしわも地鶏ですね。勘違いして今まで食べてなかったです。」「博多はなんでもうまいやろ。あんたらみたいにお好み焼きおかずに飯なんかたべんばい。」「一度やってください。なかなかうまいんですよ。箸ではなくヘラで食べてくださいね。」資さんうどんが大阪にも進出して、人気らしいです。焼き鳥と串揚げ、豚まんと餃子などの対決で話は盛り上がりました。 この3人はとにかく休むことなく黙々と仕事を続け、無駄な話もせづ、昔ながらの職人です。いいものを創ろうとする意欲は感心します。だからこそ大阪からやってきてくれます。経費が掛かるだの非効率だのと言ってる下手な業者が多い中、大事な仲間です。オーナーにもそれが伝わり、いい関係を築きます。「今度は寿司食べさせてください。」という言葉を残しホテルに帰りました。

 娘

40間近 のおばちゃんですが、仕事に手を抜かず理学療法士として遅くまで頑張ってます。小さいころ臆病で、お兄ちゃんの後ばかりついて回っていたのに、今では、兄はもちろん私を怒ったり諭したりするようになりました。IT企業で働く兄には「男は汗水流して働かんといかんよ。」といったかと思えば、私は膝、肝臓、胃、前立腺、皮膚、大腸、高血圧、血糖、目、脳・・・・治療と検査の繰り返しです。薬も大量なら、費用も毎月軽く10万を超えます。愚痴も出るのですが、娘は「動けて、仕事もできて、検査も、治療も食事の指導も、リハビリもそのくらいのお金で自分のために多くの人がかかわってくれるということにはありがたいと思わないといかんよ。医療が当たり前のように受けられるというのは幸せなことよ。」ぐーの根も出ません。納得させられます。昭和最後の女のようです。自分にかかわった人の命日を大事にして、何年たっても花を飾り手を合わせます。古くからの日本の行事もきちんとやらないと気が済まないようです。ただ肘をついて食事したりすると「肘」と一括されます。「お客さんの前でそんなことしたらみっともないやろ。」もはや母です。対馬の親戚のおばも気にかけよく電話してくれてるようです。困ったことがあれば私に相談してきます。とにかく私の仕事に対する考え方や、やり方には評価してくれています。コーディネーターを尊敬してる節があり、彼女とは仲良しです。コーディネーターも私がわがままになると「娘に来てもらいますよ。」と脅す始末です。どちらも厳しい女性です。ここだけの話、男も気楽に付き合えないと思います。そんな男がいれば日本も捨てたものではないのですが。

このくらいの年になると、、泣くことが多くなります。ふいに何かの拍子に対馬の家での出来事や、普段は覚えてないことでもテレビの1シーンなどで思い出されます。体にしみこんでる思い出より突然思い出されることに涙が出るのです。 わんぱく盛りの二人の子供のおどけた表情やまとわりついて離れないことなどその時の情景が鮮明に頭に出てきます。毎朝仏壇に手を合わせると、里帰りの折、孫を見て親父やおふくろが何とも言えないうれしそうな顔をして、話した言葉まで頭に出てきます。もちろん仕事関係で嫌な思い出や、悔しい思い出も胸に怒りがこみ上げる感情も忘れません。でもすべてが今は涙に代わります。コーディネーターと頑張ってきた35,6年間の仕事は、とにかく必死でした。誰も経験できないと思えるほど大事な大事な時間です。この時間が信頼しあいながら共有できたことで今があります。そしてオーナーとのお付き合いが続いています。我々だけが作り上げた独特の家づくりに多くのご入居者が賛同してくださいました。まだまだ続きます。引き渡しの際、涙が出るし、お礼のはがきや電話や、メールをいただくとまた涙が流れます。我々にはすべてのお客様との物語があります。それが財産です。本当に我々はいいお客様に恵まれています。

 

自分では何もできない連中

また最近情けない若者が増えているようです。以前から嫌な気分になってた就職転職のことです。リクルートエージェント、ビズリーチ、デューダ・・・・いまテレビコマーシャルはこの類です。冷静に考えてみてほしい。人に転職就職を考えてもらい、世話になった会社を裏切り、金ばかり追いかけ、世話した会社も儲けるというからくりが、情けない、怪しいとは思わないのでしょうか。そんな馬鹿を欲しがる会社がいるとしたらその会社も相当馬鹿です。仕事は自分の人生です。人にゆだねるものではありません。料理を星で評価するタイヤ屋が有名ですが、どこがいいのやら。孤独のグルメが好きです。いまは世界で今年行くべき場所などということを偉そうに発表する海外の会社があるようです。大きなお世話です。自分の行たいところは自分が決めます。もう何もかも人にゆだねないと自分では何も決めきれない若者の多いこと。楽で、有利で、たくさん金がもらえるというのが合言葉のように思っている節がありますが、それは人生の下り坂を転げ落ちているのですよ。若さがなくなったころ泣きを見ます。

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恒例の佐世保護摩行

今年もL &S にご案内いただき佐世保黒髪山の護摩行に参加させていただきました。わたしは十数年つづく正月恒例の行事です。L&Sの関連業者が一堂にそろい、挨拶をかわします。社長も奥様も含めスタッフみんなで細かくお世話してくださることに感謝しかありません。いつも思うことですが見習うことばかりです。少しでも役に立ちたいと思います。立派な護摩行と、いいお話も聞かせてもらいました。いまでは自分にはなくてはならない行事の一つです。顔を合わせ、話ができることはとても大事だとつくづく思います。年齢を重ねればなおさら、みんなと会う時間と「親分」の顔を見る時間と、話が欲しくなります。本当にありがたい仕事に対する信念(新年)行事です。いただいたお弁当で事務所で夕食です。

 

 

一つ年を取る

素晴らしい天気の正月です。珍しく3が日どこへも出かけず、家と事務所を行き来して、本を読んだり、年賀状を見たり、テレビを見たりで、のんびりできました。今年は体のチェックをしながら、仕事に励みます。どうして仕事を取ろうかとか、何を仕掛けようかとかと考えることはありません。今まで通りお客様に喜び、楽しんでいただける美しい家づくりを続けます。年を重ねることも進歩の一つです。老いも楽しむ価値があることです。自分にどんなひらめきや、アイディアがうかぶのか実はひそかに期待しています。そのためには日々、遊んで、感性を磨き、喜怒哀楽をまじめに受け入れます。

 

大人

物心ついてみてた親父やおふくろはとにかく働いてました。船乗りの親父は朝3時ころ起きて8時間かけて博多に向かい、汗まみれで荷役です。朝5時から夜9時まで食料品店 をやってたおふくろはばたばた働いてました。両親だけでなく、叔父、叔母、知り合いの漁師・・・・・皆必死で働く時代でした。暦で働くわけではありません、はたらけるだけはたらくのです。大人はすごいなーと思ってみてました。私の授業参観や、運動会や卒業式すら両親は出席せず、働くばかりです。小さい村では休むと困る人がいるからです。働くという行為は人のために行われるのです。今考えると、すごいのは両親とも笑って働いていたことです。今の大人はだらしない。週休2日に、多い祝祭日、働く時間まで甘く決められ、時給は高くしろという始末、恥ずかしくないのでしょうか。自分の意志で働くことができないのですから、おこちゃまです。金にばかり目が向くからで、自分のやるべき仕事すら見つけられず、アルバイトやパートで食うためにしか働かないようです。情けない魅力のない大人が出来上がり、情けない国になるのです。子供からも尊敬されるわけがありません。「小澤さんところはいつが休みですか。」とよく聞かれます。「休みは決まってません。ほとんど休みません。」と答えます。休む必要性がよくわかりません。娘は正月も仕事のようです。家に帰れないのか帰らないのか、そんな入院患者が多いそうです。初詣というレジャーはそこそこに、毎日仏壇に手を合わせて先祖と話すことでいろんなことが思い出され、力をもらえます。先祖に自慢できる生き方をします。

 

サバのさしつけ

私の親父は、対馬と、博多の間の貨物船をやってました。名前は第6平和丸です。 時々、荷によっては唐津や下関にも行ってました。行く先々で夕食は船で作り船で食べます。小さいころから一緒に連れて行ってもらってました。爺さんの弟の機関長が飯を作ります。そこで、サバのさしつけという料理にはまり、大好きになりました。新鮮なサバを刺身よりやや大きく切り、すき焼きのたれのようなものにくぐらせ食べます。しゃぶしゃぶのようでもあり、サバの煮つけのようでもあるのですが、甘辛いタレがご飯とよく合い何杯もお替りしたことを覚えてます。漁師料理らしいのですが、ねだって家でも時々作ってもらいました。各家で作る塩辛はかなり辛く酒の肴として食べる時はいいのでしょうが、飯を食べる時、まして子供では喰えません。だから酢をたらしてたべます。刺身風や、ワタ入りや何種類か常にありました。おふくろが作るものはすべておいしかったと皆が言います。娘は今もばあちゃんにもっと料理教えてもらっとけばよかったといいます。

かじめ、

私が一番好きな食べ物です。対馬では朝飯は朝早く浜でもらういかの刺身、家で作った塩辛、かじめの味噌汁、漬物が一般的で、季節により、みそ汁の中身があらかぶになったりします。冬の寒い早朝、港で突いた、「ばとう」という魚もみそ汁にするとうまかった記憶があります。かじめというのは海藻です。熱いみそ汁に入れると粘り緑色に変色します。とてもうまいものです。私は熱湯をそそぎ醤油をかけごはんに混ぜて食べるのも好きでした。毎日朝と夜飽きずに食べてました。生わかめにウニを混ぜて今思うとぜいたくな食べ物も食卓にありましたが、かじめが大好きでした。 大根の薄切り、と豆腐の味噌汁に入れると一番うまかった。生のかじめはこちらではなかなかお目にかかりません。たべたいですねー。もう一つサバのさしつけという大好きな漁師おかずがあります。また今度ご紹介します。

この時期不義理が気になります

 今年も予定していた墓参りに行けませんでした。歌の文句じゃないけれど「仕事に名を借りたご無沙汰です。」高齢のおばへのあいさつもできてません。大変お世話になり、かわいがっていただいたご入居者が突然亡くなり、不義理ばかりを悔やみます。病気で入院してる人の見舞いも行けていません。毎朝仏壇に手を合わせて詫びてます。この年になると、見送る人が多くなり、不義理してる場合じゃないのですが、来年こそはと思うばかりです。昨日夜遅く、暖炉に火を入れました。心地いい時間が流れます。いろんなことが思い出されます。炎は飽きません。そろそろ我が家も30年になります。先日不動産の人が来て、ずいぶんほめて帰りました。彼の感想は、「もうこんな家に出会うことがなくなりました。絶対大事にしてください。そしてできるだけ多くの人に見せてやってください。驚きますよ。」うれしい言葉でした。私は時を重ねるほどオイルステインの空間が好きになります。犬にかじられても、モノがあふれても渋く重厚なテクスチャーと色におちつきます。この家に対馬から両親を呼び8年ほど過ごせたことはよかったのか悪かったのかわかりませんが、私にとってはいい時間でした。