気配

わたしは事あるたびに、いろんな人の気配を感じます。うれしいことがあったときは、おふくろの気配を感じ、悩んだときは励ましてくれていた叔母の気配です。苦しい時は助けてくれてたじいちゃんの気配を感じます。多くの大切な人の顔を思い、名前を呼んで仏壇に手を合わせるからでしょうか。 物を作る仕事をしてると、いいオーナーに出会 い、いい仲間に支えられ、いいひらめきが下りて、思いのほかいいアイディアがわいてきて、力以上の作品ができることが何度かありました。大げさに言うとそれからやや人生が変わります。少しうまくなるのですが、また悩み苦しみ、何とか恥ずかしくないものに仕上げていると、また突然いい作品が出来上がります。そんな時昔の恩師や先輩の気配を感じます。 気配とは言わないのでしょうが日頃は何も感じてないようなあるシーンが突然頭に浮かんだりもします。人は自分の人生にかかわった人とずっと一緒に生きてるんでしょう。 そして、プライドや誇りや,自信、反省や、懺悔、悔い・・・くりかえします。これこそAI,デジタルと人の差ではないのでしょうか。 アスリートだけではなく、人の伸びしろは無限のような気がします。AIで人の能力の可能性を止めてはいけません。そして私がいなくなっても子どもだけでなくかかわった人が私の気配を感じてくれるような生き方をしたいと思います。

 

東京夜のデート

 コーディネーターが4日間東京出張で2か所の現場で奮闘してくれました。検品、収まり、棟梁との打ち合わせ、オーナーへの報告、打ち合わせ、・・・・こんなできる住宅屋に育ちました。息子も小さいころからの付き合いで、時間を見つけて車で送ってくれたり、時間が取れた夜、デートに誘って労をねぎらってくれたとのこと。すき焼き喰って、スカイツリー、浅草と楽しかったようです。事務所が貧乏から立ち上げたので彼女は節約癖が抜けず、安いホテルを予約してたようで、送った息子が、びっくりしたそうです。「もう年だし、今まで頑張ったんやから、飛行機はプレミアム、新幹線はグリーンで、楽に移動して、ホテルもきちんとしたホテルに泊まり。」と言われたようです。「その金は俺が払いから」まで言ってくれれば大したもんなんですけど、残念。・・・・。息子も、娘もちいさいころからたくさんかわいがってもらいましたが、今ではどちらからも 教えを乞うことが多く、多少年寄り扱いで、注意されたり、教えられたり、笑顔で文句言いあったりで、「姉」の存在です。ちなみに孫には自分のことを「キャサリン」と呼ばせていて、人様の前で大声で呼ばれると苦笑いです。ずっと理不尽なわたしを助けてくれてることを子供たちもよく知ってます。みんなを守ってたつもりが今では私が守られて、好きな仕事をさせてもらってます。感謝です。

第三者委員会

 フジテレビ、国会議員の裏金、などをはじめ何かあると第三者委員会。これは何でしょうか。大人がしでかしたことに対し、「私はこういうことをしました。」と自分で正直に話すことができないようです。言いたいことはきちんと話、悪いことをしたのなら謝る。口をつぐみ、第三者委員会の調査と結論を待つなどという風潮は情けないことですし、子供たちにどう教える。隠そうとするから、言葉を選び、つまり、歯切れ悪く、・・・・その姿を見るとこんなきちんと話せないやつが、国会議員や、大会社の社長やってるのか。と思います。だんだん情けない社会になっていきます。自分 がやらかしたことを自分で処理することができて大人でしょう。問題を起こしたとき、どうして切り抜けるかをアドヴァイスする専門家もいると聞きます。なんじゃそれは。そんな専門家こそ怪しい。上手なごまかしの方法を教えて金を稼ぐとはもってのほか。なんども言いますが、自分の口ですべての事実をきちんと話すこと以外正解はありません。悪いことも間違ったこともただきちんと話す世の中でないと。第三者委員会など創る必要 はありません。 

 

まっすぐな仕事

 私は金融関係、役所、大きな不動産取引など難しいことはわかりません。ファンドがどうの、株がどうの、まったく興味もありません。我々が仕事上役所の建築審査課に申請します。なんどもなんどもくだらないことで呼び出され、役所時間でのんびり仕事をして、納得できないことが多く、役所で大声をあげたり、おかしなことを指摘し、上司と話すことを要求します。まず、若い役人、家すら自分で設計も工事も経験ない人が、何を何百棟も建ててきたプロに何を審査するのか。「はいはいということ聞いてればいい。」という人が多いのですがそんなことはできない。不動産取引などは特に大きな取引は誰にいくら、この人に紹介料、この会社に謝礼。この会社と分け前を6,4でとかやってるようですが、地主や売主は何も知らず、皆、口先で、しめしめ商売です。水戸黄門の回船問屋商売みたいなものです。私も「恥を知りなさい。」と言いたくなります。今や銀行は投資屋で庶民の味方ではない。行員は人の金集めて商売してることを忘れてるような立ち振る舞いだったり口の利き方です。私は単純でまともに汗水流し、モノづくりや、人のために動き回ってるひとたちが魅力的で好きです。まっすぐな仕事で、自分の努力や力量にあったお金をいただければそれでいい。 人の役に立つことが仕事の一丁目一番地です。きちんとした躾、親の誇れる仕事ぶりの家の子供はしっかりした一人前になります。損得や安定が一番などと言ってる親の子は甘えて、独り立ちできず、上手に親にすがって生きていきます。独り立ちできない若者が多いのは、まともな親がすくないからです。親からしつけられたり、いい影響を受けたり、尊敬できる親であればこどもは立派に親を追い抜いて成長します。

 

偉い人はダメな人

50歳過ぎくらいの苦しい時期、九州で名の知れた会社の社長や役員のひとに、意見を聞いたり、アドヴァイスを受けようとしたことがあります。4,5人の人すべて、やめろ、逃げろ、金はいくらある・・・・など、保身と金の話ばかりでした。ずいぶんくだらない連中があんな大きな有名な会社の社長か。とおどろきました。わたしのやりたいこと、実績、能力、責任、仲間など聞くこともなく、困ったこと、責任あることから逃げろという考えは、今のフジテレビの役員の連中も同じでしょう。ダメなおじさん役員が、働くということはどういうことか、会社とはどうあるべきかがわからず、出世を考え、もうけを数字でしか見れないようです。国会議員の裏金の理屈と同じです。金、金、金でしか物事が見えず、社員や、国民や、働く多くの仲間のことなど、頭にはありません。法律の許す範囲内で金もうけを仕組み、社員を信用しないからこそ、コンプライアンスなどというわけわからぬ横文字で居心地が悪い環境で縛るわけです。私は仲間と入居者に後押しされ、ほぼ一文無しから自分流の家づくりでできる限り、前の会社が迷惑かけたご入居者、職人にお詫びの返金をし、ご入居者や、仲間に甘え続けましたが、やっと15年近くかかって人並みにちかずけてます。できるだけ安価でいい家を創る努力をすることにみんなが協力してくれてます。偉い人の言うことに嫌気がさし、腹くくってやってよかった。前の会社は小細工で逃げようとしてたように感じます。いい社員や仲間がいるのに。

大会社の役員を退職し不動産をやってるお偉いさんが私のところに来て、土地売りのことを相談されました。『この土地を上手に言って安く買いたたき、 それをまた誰かに買わせようと思う。両方から仲介料が入ればあんたに少しやるから協力してほしい。デザイン屋の目から見て都合よく話したり、資料を作ってほしいというのです。「私は住宅屋です。土地はわからないし、そんなビジネスの世界はなおわかりません。」断りました。口先で銭儲けはみっともない。どうもえらい地位にいた人は、自分は特別で、人を使うことが許されると思ってます。人を第一に考える能力が欠落しているようです。

税金

 

先日、税務署が税務調査と称して、2日間事務所に入りました。決算書や契約書など見せろというし、コピー取らせろとか24歳の若者が上司の命令に従い、要求します。これは何のために行われ、どういう仕組みか教えてくれません。われわれの仕事を2日間とめてまで何をしようとしてるのかわかりません。 我々の仕事は契約をいただき、工事を完了させ、家具、カーテン、照明、小物も依頼通り納入して、オーナーと、工務店と我々3社が納得して引き渡しです。毎年きちんと税金も払ってきました。きちんとした理由もなく、ずかずかと人の事務所に来てえらそうに金をとろうとする姿勢は何なんでしょう。きっとみんなが言う、お土産と称する金をとるのでしょう。前回10年近く前は税務署の「いくらなら出せますか。」という言葉に愕然としました。税務署にまで足を運び抗議もしました。われわれのようなごく小さい会社は税務員として若者の教育場所として最適なのかもしれません。大きい会社は我々のような仕組みの家づくりをしてる会社がないので、住宅会社とはみな同じだと思っている節がありました。完成もしてないのに、お客さまに金をねだったり、文章で残工事を書いて金もらったり「集金は一刻も早く、支払いは一刻も遅く」を合言葉の住宅会社の多いこと。オーナーが喜び納得してからお金はいただくのです。公務員、議員、銀行、証券・・・この人たちの価値観と我々の価値観は全く違います。金を扱って金を得る組織や人は嫌いです。クリエイティブな仕事の知識はなく、學校の方程式のような仕事しかできないようです。3月にいくら払えと言ってくるらしいのですが、働かずポケットに多額の金を入れた裏金議員たちは税務署が守るようです。恥ずかしくないのでしょうか。税金を払わない人やごまかす人も軽蔑しますが、人の金に首突っ込む税務署の連中もどっこいどっこいです。長いものでも納得できないとまかれるわけにはいきません。

オックスフォード

建築中のオーナーのお孫さんが世界最高の大学の一つであるオックスフォード大学に合格されたというとんでもないニュースを聞きました。ハーバード、スタンフォード、と並び憧れの大学です。イギリスという国の知能の源です。私は昔、イギリス領事館の主催で、イギリスの建物や街を見に行きました。ロンドンから1時間ほどのところにオックスフォードという町があり、今まで見た街とは違う素晴らしい街並みでした。古い歴史を感じ、重厚で、上品で、圧倒されました。その際大学にも行き、建物一つ一つが素晴らしい表情だったことが思い出されます。すごい大きな手作りの重厚なドアを開けると、ホールに雅子様の写真がありました。もう一度訪れたいと思いつつ、行かずじまいです。世界中いろんな国に行っている息子に言わせると、イギリスに住みたいといいます。国が知的でプライドが持てるといいます。もう一度行きたいものです。去年お客様と同行してコーディネーターがスタンフォードに行ったようです。写真や話でその規模の大きさやすばらしさを聞きました。「大学」はその国の最高教育機関でもあり、国の歴史そのものがわかる場所のように思います。 先ほど昼テレビをつけると、新年の歌会始で雅子様が歌にオックスフォードのことを歌ってありました。

 

 

 

食は文化

 エクステリアをお願いした大阪の業者3名と夕食をともにしました。前回、もつ鍋を大変気に入り2夜連続で食べたようです。「水炊きというのは、水に野菜や色々入れるだけでしょ。ポン酢の味だけ違いますのん。」という 水炊きに暴言を吐くので水炊きに行きました「あれ、白いですやん。水ちゃいますね。」「え、まずこのスープを飲むんでっか。」「えーーーーこれうまい。」「かしわも地鶏ですね。勘違いして今まで食べてなかったです。」「博多はなんでもうまいやろ。あんたらみたいにお好み焼きおかずに飯なんかたべんばい。」「一度やってください。なかなかうまいんですよ。箸ではなくヘラで食べてくださいね。」資さんうどんが大阪にも進出して、人気らしいです。焼き鳥と串揚げ、豚まんと餃子などの対決で話は盛り上がりました。 この3人はとにかく休むことなく黙々と仕事を続け、無駄な話もせづ、昔ながらの職人です。いいものを創ろうとする意欲は感心します。だからこそ大阪からやってきてくれます。経費が掛かるだの非効率だのと言ってる下手な業者が多い中、大事な仲間です。オーナーにもそれが伝わり、いい関係を築きます。「今度は寿司食べさせてください。」という言葉を残しホテルに帰りました。

 娘

40間近 のおばちゃんですが、仕事に手を抜かず理学療法士として遅くまで頑張ってます。小さいころ臆病で、お兄ちゃんの後ばかりついて回っていたのに、今では、兄はもちろん私を怒ったり諭したりするようになりました。IT企業で働く兄には「男は汗水流して働かんといかんよ。」といったかと思えば、私は膝、肝臓、胃、前立腺、皮膚、大腸、高血圧、血糖、目、脳・・・・治療と検査の繰り返しです。薬も大量なら、費用も毎月軽く10万を超えます。愚痴も出るのですが、娘は「動けて、仕事もできて、検査も、治療も食事の指導も、リハビリもそのくらいのお金で自分のために多くの人がかかわってくれるということにはありがたいと思わないといかんよ。医療が当たり前のように受けられるというのは幸せなことよ。」ぐーの根も出ません。納得させられます。昭和最後の女のようです。自分にかかわった人の命日を大事にして、何年たっても花を飾り手を合わせます。古くからの日本の行事もきちんとやらないと気が済まないようです。ただ肘をついて食事したりすると「肘」と一括されます。「お客さんの前でそんなことしたらみっともないやろ。」もはや母です。対馬の親戚のおばも気にかけよく電話してくれてるようです。困ったことがあれば私に相談してきます。とにかく私の仕事に対する考え方や、やり方には評価してくれています。コーディネーターを尊敬してる節があり、彼女とは仲良しです。コーディネーターも私がわがままになると「娘に来てもらいますよ。」と脅す始末です。どちらも厳しい女性です。ここだけの話、男も気楽に付き合えないと思います。そんな男がいれば日本も捨てたものではないのですが。

このくらいの年になると、、泣くことが多くなります。ふいに何かの拍子に対馬の家での出来事や、普段は覚えてないことでもテレビの1シーンなどで思い出されます。体にしみこんでる思い出より突然思い出されることに涙が出るのです。 わんぱく盛りの二人の子供のおどけた表情やまとわりついて離れないことなどその時の情景が鮮明に頭に出てきます。毎朝仏壇に手を合わせると、里帰りの折、孫を見て親父やおふくろが何とも言えないうれしそうな顔をして、話した言葉まで頭に出てきます。もちろん仕事関係で嫌な思い出や、悔しい思い出も胸に怒りがこみ上げる感情も忘れません。でもすべてが今は涙に代わります。コーディネーターと頑張ってきた35,6年間の仕事は、とにかく必死でした。誰も経験できないと思えるほど大事な大事な時間です。この時間が信頼しあいながら共有できたことで今があります。そしてオーナーとのお付き合いが続いています。我々だけが作り上げた独特の家づくりに多くのご入居者が賛同してくださいました。まだまだ続きます。引き渡しの際、涙が出るし、お礼のはがきや電話や、メールをいただくとまた涙が流れます。我々にはすべてのお客様との物語があります。それが財産です。本当に我々はいいお客様に恵まれています。