恥ずかしい人たち。

小保方女史を引きずり出して、マスコミが寄ってたかって質問。この構図は何が正しいとか正しくないとかという問題以前に、フェアーじゃない。わたしが見るに、少なくとも質問している恥ずかしい職業のサラリーマンレポーターより、小保方女史の方が世の中に必要です。理研の誰より謙虚で、反省の中で、自分の仕事に誇りも持ってるようです。渡辺何とかいうみんなの党のバカ党首より、立派です。昔の、鳩山とか管とかいう総理大臣より、ずいぶんましです。年も若い女性研究者が間違えれば笑って正してあげればいいことです。失敗したら再度チャレンジさせてやればいいことです。そもそも騒ぎ立てることでもないでしょう。彼女の仕事について付け焼刃の知識しかない連中が何を偉そうに・・・・・・・。理研のお偉い連中や大人はいろんなものを背負わされ、哀れな弁明が多いのですが、彼女はまだ組織を背負っていないだけに、正義感が見て取れます。地位と名前におぼれてる大人は恥ずかしく、みすぼらしい。自分の腕で勝負しろと言いたい。

平田は忙しさで、老化が進み、テレビのリモコンを手を伸ばし、エアコンに向けて何度も押し、後ろのテレビがついたことに困惑しながら、自分で笑ってます。

宗像K邸、八幡O邸、新規門司

宗像K邸の棟が上がりました。アメリカの田舎にある、飾らないシンプルな小住宅をテーマに、アメリカのマテリアルと、暮らしに忠実でありたいというご希望で作ってます。ある意味、アメリカにこれほどかだわった家は初めてかもしれません。平屋寄棟できらびやかでもなく、野暮ったいカッコよさを求めました。吹き抜けもなく、それでいて、ハイスタット、カバードポーチ、マントルピース。

O邸はセントラルのダクト工事中です。ルートを探し確保するのがいつもながら厄介ですが、この設備がみなさんに一番喜んでいただいてます。来週から、電気の配線工事に入り、渕上大工も乗り込みます。

以前お会いしたお客様が、門司で計画依頼があり、打ち合わせと現場調査をしました。紹介してくれた店舗デザインのK氏も同行してくれました。みんなのおかげで、楽しい仕事ができてます。

突然の電話

今日は朝から新幹線で八代H邸に向かってました。1時間に1本なので、乗り遅れると大変です。ホームから電車に乗ろうとした時、携帯が鳴り、息子からです。「はい。なに。」というといつもよりやさしい口調で、「なんしよると?どこ行きよると。?あのサーまだよくわからんちゃけど、子供ができたっぽい。」・・・・・ぽい??「そりゃよかったなー。めでたいニュースやの。」私も急いでるのと戸惑いとで、「じゃあ」と電話を切り、娘にメールしました。娘ははやばやと知ってたみたいで、「じいさんやね。」病気と闘ってる家の者に一番の薬かもしれません。時は確実に流れていることを新幹線の中で感じました。あの息子が親で、自分がじいちゃんとは・・・・・。

H邸のシロアリ予防工事、防水工事、樋工事、フローリング補修工事、2週間で終われそうです。専門職の人たちの的確な作業は見ていて気持ちよく、勉強になります。

読みは経験から

八代のH邸は築25年の、邸宅です。高圧洗浄、バルコニー防水、窓周りコーキング、無垢材の研磨および、ワックスなど通常のメンテを行う中で、バルコニーの軒天を開け、防水の床を一部を開け、水をかけました。案の定少し水が入っています。すぐシロアリ屋に来てもらいチェックです。幸い、シロアリのダメージはないのですが、これから活動期です。念のため4日シロアリチェックを行います。バルコニーの石壁と軒天の、顎がないため、水が切れてないようです。修正します。軒天ボードに有孔が使われてません。これも改良点です。ただ、構造材はどこもきれいで、ダメージはありません。

いろいろな経験や、技術の進歩で、改良点を決断して、より良い家にすることがメンテです。

人生いろいろ

5年前、ぼろぼろにさせられながらも、家づくりが続けたくて、独立しました。おんぼろマーチと、一文無しと、借金の肩代わりとで、ガソリン500円分とか1000円分とか入れて平田と走り続けました。不思議と、どん底から見える景色や、事が開けた時の高揚感や、下から上を見る風景などはこれまでの人生では経験できなかったものが見えました。それはなかなかいい風景も多かったように思います。。全てに、自分がかかわることが「独立」だとわかり、自己責任の中ですべて受け入れるしかありません。会社で働くこととはかなり違います。それだからこそ、理不尽な対応の会社が許せなくなります。いろんなことが身についたようにも思います。平田は「人も、物も本物、偽物が見えるようになりましたねー。勘違いして長い間生活していたことがわかりました。でもお客様に助けられたことは何よりの財産です。」平田の口癖です。心の中の思いは私も同感です。こんなに楽しく仕事ができて幸せです。

家の者が日常の生活から、突然病魔に襲われ、大手術。今も治療を続けています。これからも戦い続けることになるでしょうが、精神的にも、肉体的にも、世の中の見え方が変わったといってます。退院して、「家」が癒しと感じ、病室は修行する道場みたいなものらしいです。

人生いろいろ。平田のものまねカラオケ18番です。いろんなものに遭遇しても、前向きであれば新しい景色と、新しい教訓に巡り合えると自信を持って言えます。悔やむより受け入れてみる事です。

新幹線

今日は朝早く、久留米の現場で仕事を終え、八代の築25年H邸メンテの打ち合わせで、久留米から新幹線に乗りました。切符売り場で、水巻のご入居者のK若先生と会いました。久医大に出勤の日のようです。       新幹線は、わずか30分くらいで到着です。便利になったものです。25年前は、高速で2時間半、または特急で行き、少し打ち合わせで遅くなると、寝台車で博多まで帰ってました。若くもありそれがまた楽しくもあったように記憶してます。皆、車窓を見るでもなく、雑誌や新聞も見ず、携帯に目を落としてます。駅舎もモダンで、システムも、デジタル化され、九州の地方都市さえ近未来的な世の中になってるんだなーと実感しました。周りとの景観にギャップはありますが。・・・・・いまだにほとんど職人の手で、5,6か月かけアナログ的家づくりをしているわれわれにとってはちっとも今のデジタル化がいい方向に向いてるとは思いません。これが総理の言う「美しい国日本」を創るということでしょうか?生活に残すべきものがまだまだあります。財産になりうるものがたくさんなります。簡単に破壊し捨ててるような気がします。古い住宅、橋、学校・・・・・少し手を入れてデザインのいいものは、文化財ではなく、生活の道具として残しましょう。われわれの作ろうとしているものは古くても愛着が持てるものです。近未来的なものは年数がたてば廃墟でしかありません。金属の塊です。この国のデザインは何処を向いているのかさえ分かりません。それって文化レベルが低いということです。

そういう意味でも八代H邸は明治、大正、昭和、平成と4つの建物が敷地内に、立派に共存してます。こんな文化的な思想をお持ちのH家は称賛されるべきです。わたしが25年前平成の家をデザインするとき、周りの家の存在感を意識しました。

現場はいつも、正直で、前向きが大事

クリニックの現場で、怒号が飛び、急いでいようと、時間がなかろうと駄目なものはダメと教え、すぐみんな集めて、前向きな指示と、「何を何のために、いつまでにやりなさい。」と命令です。「できない理由があれば今言ってください。なければよろしく。」日本の職人はプライドがありますから、説明さえすれば必ずやってくれます。彼らの経験や男気は財産です。日本の職人の質はとびぬけて世界一です。でも職人にはできる監督、厳しい監督が必要です。なぜなら彼らは自分で決断できない職種ですから。

いろいろ残工事や手直しがありますが、プライドにかけて満足いくものにやり替えです。その満足は、オーナーだけではなく、作り手にも必要です。切羽詰まれば詰まるほど、前向きに動くことです。腹が立つ話や、できない話をいくらしても、時間の無駄です。さああとひと踏ん張りです。われわれのみんなの作品が世に出ます。責任を持って最善を尽くしましょう。これが現場を離れる最後の言葉です。

 

無から有を生み出すとき

佐村河内とやらのニュースがやっと沈静化しつつあるようです。バカ二人に翻弄されたマスコミはじめ関係者は「喝」でしょう。あの種類の人間は相手にしないことです。どういう職種でも、作り手は無から有を生み出すとき、周りにとやかく指示されたり、条件を突きつけられたりしたら何もできません。わたしも、発想なんか湧くわけもありません。日本の住宅の世界では建築家ではなく、設計士がオーナーに、部屋はいくついるかとか、広さは何畳かとか、どんなキッチンにしたいか、風呂は?洗面所は?・・・・・・設計士と呼ばれる人たちはこれに答えてくれないと手が動かない技術者連中が多いのです。ライフスタイルも含めて、こんな発想のこんな暮らし方をご提案しますという作業が建築家の仕事で、職人に作るための指示書をかくのが設計士です。

われわれは、私がデザイン提案をし、統括します。M氏が実施設計、申請をし、平田がコーディネート、発注、K氏が輸入部材、渕上が造る。わたしと平田で、施工管理、こうして一つの作品は生まれます。会社が作るのではなく、「人」が、個人が作るのです。

小さいやつらが多すぎる

小保方さんがもてはやされて今度は徹底的にたたかれている。自分たちがもてはやし、頭の悪いバカが寄ってたかって、ただ小保方さんを時の人にした責任をとれ。反省して職を辞せ。それが先やろ。二流学者も、マスコミのインタビューに答えるな。コメンテーターも、TVも雑誌も、自分たちの責任はほっといて、飯のタネに、話を大きくして叩きまくる。いいことや優れたことは全て排除し、悪いことを見つけ、あぶり出し、陰湿ないじめが行われている。目くじら立てなくても、事実をただ報道すればいい。みんながあれこれ言う問題でもなく、ましてや自分は大した能力も世の役にも立たず、人をさらしもんにして飯食ってる、人として恥ずべき器の小さいやつらが多すぎる。そんな奴らを抹殺する方が世のため人のためである。マスコミ関係者は報道や倫理や偉そうに語るな。自分の小ささを認識して謙虚に社会の隅っこですみません、お邪魔します。と言いながら仕事しろ。それくらいくだらない仕事なのだから。ただ事実だけを伝えればいい。そのあとは皆がそれぞれの価値観で消化する。     世間から守り、間違いを 厳しく、優しく諭して、彼女の能力を再び研究に戻すことが大人の対応だと思うのですが・・・・。それをやるのが上司の役目です。それに力を貸すのがマスコミであり、再度研究に戻り、新たに日々精進するようになったと伝えるのが、国民のための報道です。小娘一人正しい道に導けない社会なんぞ、未熟にもほどがある。まずは自分を反省しなければならない人が多すぎると感じるのは私だけでしょうか?

題名を見た平田が、「大きいやつらはここにいる。」と書いたらどうですか?と茶々入れてきました。

贅沢な寝不足

とても素敵な忙しい日々を過ごしてます。自分の能力や体力の限界が悔しく思います。もっと力があればと思うことが多々あります。桑田佳佑の一人紅白歌合戦のDVDを娘からプレゼントされ、事務所に届けてくれました。「贅沢な寝不足をどうぞ。」と言われました。能力のある人、実力がある人が仲間とともに、本気で自分たちも楽しみ、人も楽しませようとするのですから面白くないわけはありません。同年代ということもあり、選曲もぴったりで自分の人生を振り返り、ニヤついたり、涙ぐんだり、家族や友を思い出したり、・・・・・・・・。本当に贅沢な寝不足を味わいました。彼の才能の奥深さはもちろんですが、すべてのジャンルに精通し、歌が好きだということがひしひしと伝わりました。そして娘の優しさが身に染みました。見終わった夜中に、「楽しかった。感激した。おやすみ」と娘にメールを打つと「いい夢見ろよby柳沢慎吾」と帰ってきました。